京浜急行旧出村駅 戦災休止による地元住民による駅復活運動の記憶 (六郷特別出張所) #165
1945年の城南大空襲で
機能を停止した京浜急行出村駅は、
現在の京急蒲田駅と
雑色駅の間にありました。
敗戦直後の混乱期に
地元住民が
駅復活を強く願い続けた
象徴的存在でした。
復活運動は
京急本社への陳情や
地域代表者の擁立へとつながり、
地域の記憶と復興への
強い意志を今に伝えます。
※本記事は
Otapedia 公式note(https://note.com/fine_rat5784)のみで
公開しています。
無断転載・改変・商用利用を禁じます。
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年表
1901年 (明治34年) 2月1日:
出村駅設置
(六郷橋―大森停車場開業に伴う)
1930年 (昭和5年) 7月
株式会社東京計器製作所が
(現 南蒲田2-16-46) に移転
1936年 (昭和11年) :
上り副本線設置
急行待避駅となる
1945年 (昭和20年) 4月15日:
城南大空襲で大田区広範囲が被災
1945年 (昭和20年) 7月1日:
周辺の機能が停止したと判断され
出村駅休止となる
1948年 (昭和23年) 頃:
地元住民による復活運動が始まる
1949年 (昭和24年) 6月1日:
政治的・財政的努力が実らず
出村駅正式廃駅が決定される
1951年 (昭和26年) 頃:
復活運動の自然終息。
出村駅の誕生とその後の役割
現在の
蒲田消防署付近に設置された
京浜急行の駅です
急行列車待避駅となるなど
路線の速達化を支える
重要な役割を果たしました。
空襲の被害
軍事工場が
多数集まっていた
蒲田大森地域は
空襲の標的とされ
4月15日の
城南大空襲により、
大田区内は広範囲に
被害を受けました。
1945年 (昭和20年) 7月1日
利用客の多数を占めていた
東京計器が
大きな被害を受け
機能を停止したことなどを理由に、
駅は休止となりました。

旧出村駅(救急車のある方)と
出村通り共栄会を望む
復活運動のはじまり
1948年 (昭和23年) 頃、
東六郷一丁目の住人たちが中心となり、
出村駅の復活運動を開始。
京急本社への陳情など、
精力的な活動を展開します。
駅の復活を願う
住民たちの決意は固いものでした。
京浜急行の対応
駅舎の建設費用
(当時のお金で300~400万円) を
地元が負担できれば
「再開を検討する」と
回答しました。
しかしその費用を
調達することが
できませんでした。
復活運動熱量の高まり
そこで地元の人々は、
この困難な状況を打開するため、
東一町会長 (東六郷一丁目町会) の
渡辺才一氏を
区議会議員に送り出し、
政治の場を通じて
運動を継続するという、
熱い決断を下しました。
渡辺才一氏は
1958年 (昭和33年) 5月30日~
1959年 (昭和34年) 4月30日まで
第12代大田区議会副議長を
務められております
明暗を分けた駅
政治的・財政的な努力が実を結ばず、
1949年 (昭和24年) 6月1日、
付近の復旧の見込みがないと判断され、
出村駅は正式に廃駅となりました。
その後も
1951年 (昭和26年) 頃まで
運動は続いたものの、
その熱は徐々に冷めていきました。
興味深いのは、
同日、同じ京浜急行の
大森町駅 (当時大森山谷) も
同じ理由で廃止となりましたが、
こちらは
1952年 (昭和27年) 12月15日に
再開業を果たし、
出村駅とは
異なる運命をたどりました。
廃駅となったほかの大田区の駅
東急目蒲線の道塚駅も
(西蒲田8-12あたり)
同じ理由で
1945年 (昭和20年) 6月1日休止
1946年 (昭和21年) 5月31日廃止
となりました。
戦災によって
地域の交通基盤は変容し、
道塚駅周辺の路線は失われ、
現在の路線へと再編されました。
街に残る記憶そして未来へ
出村駅があった駅前は、
「出村通り」として
その名を残しています。
通りの中には
1937年 (昭和12年) に創業した
「蒲田温泉」もあり
地域の記憶を継承しています。
同施設内にある
蒲田温泉食堂では
大田区のご当地そば
東京大田汐焼きそばも頂けます
歴史の記憶は、
地域の日常風景の中に
息づいています。

蒲田温泉
2階のお座敷では
東京大田汐焼きそばも
頂ける
地域の記憶と未来への継承
出村駅は姿を消しましたが、
その裏には戦後の困難な時代に、
自分たちの生活の基盤を
取り戻そうと尽力した
住民たちの熱い物語がありました。
渡辺才一氏は、
まさに戦後の混乱期において、
地域の生活基盤を守るため
代表として立ち上がりました。
現在株式会社東京計器は
被災当時にあった場所に
本社を構えていますが
2026年 (令和8年) 3月に
大田区羽田空港一丁目に
移転が決まっています。
おわりに
Otapediaは、
出村駅復活に尽力した
渡辺才一氏を
「大田区無名の偉人」
出村を
「大田区無名の呼称」
として
出村駅と出村通りを
「大田区未顕彰の地域遺産」
として
出村駅が廃駅となった
5月31日と
道塚駅が廃駅となった
6月1日を
「大田区記憶の日」
として記録します。
大田区の記憶を呼び起こす
「Otapedia」の活動
私たちは
その“名を失いかけたものたち”に、
もう一度まなざしを向け、
記憶の岸辺に呼び戻す営みです。
彼らの活動や
痕跡は消えても、
地域に遺した軌跡を
未来へと伝えていきます。
これらの呼称は
「Otapedia独自の呼称」であり
「大田区公式の認定ではありません」。

出典
1. 六郷わがまち 第13号 平成8年11月1日
2. Wikipedia 出村駅
3. Wikipedia 東京計器
4. Wikipedia 大森町駅
5. Wikipedia 道塚駅
6. 蒲田温泉
7. Wikipedia 東京大田汐焼きそば
8. 東京計器、26年3月に本社を大田区羽田空港一丁目に移転へ | kikai-news.net
9. 歴代議長・副議長・議員選出監査委員
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