進化製薬工業株式会社 Wikiにも載る『爆発』までの真実 Part 1 (雪谷) #24
※本記事は
Otapedia公式note(https://note.com/fine_rat5784)のみで
公開しています。
無断転載・改変・商用利用を禁止します。
© Otapedia
ー免責事項ー
この投稿は
東京地方裁判所
1961年 (昭和36年) (わ) 2337号 判決
1964年 (昭和39年) 10月16日
を参考に
当事故を後世に伝えるものです。
今回
当時の新聞記事を発掘できたことにより
事実関係と現場の状況に関する記述を
大幅に加筆修正いたしました。
2025‐09‐27 追記
事故の概要
1958年 (昭和33年) 7月15日(火)
午後4時頃に
大田区内で発生した
痛ましい爆発事故について
当時の裁判記録を基に
振り返りたいと思います。。
最初に
この事故によって
尊い命を奪われてしまった、
13名の方々に
心より哀悼の意を表します。
※当時の新聞記事や
現場の記録では
犠牲者12名と報じられていますが
これは現場で収容された人数です。
病院に運ばれた1名が
その後亡くなっているため
最終的な犠牲者の数は13名となります
私たちは、
この13名の若い命が失われた悲劇から、
安全管理の教訓を深く学び取る責任があります。
【進化製薬工業株式会社の生い立ち】
この会社のルーツは
高園善次氏の叔父の経営する
進化製薬研究所が原点となる。
(創業者の祖父に関する記述が
全く残っておらず、
会社がいつどこで始まったのかという
創業年度や創業地は不明な状態です。)
【経営陣の経歴】
高園善次 (社長)
1916年 (大正6年) 頃生
事故当時 (42歳)
[出典 2]
佐賀県立小城中学校中退後、
(現在で言う高校中退)
(昭和10年頃の話か)
上京して叔父の経営する
進化製薬研究所を手伝う。
1947年 (昭和22年)
叔父の死亡後、事業一切を継承する。
1954年 (昭和29年)
進化製薬工業株式会社を設立して
代表取締役となる。
1957年(昭和32年)には同社2階に、
東京ヒートシーリング有限会社を設立し、
その代表取締役を兼任。
彼は中学中退
という学歴を持ちながら、
事業を継承し、
製薬業に留まらず
別会社まで設立するなど、
強い事業欲と行動力を
持っていたことがわかります。
※事故による負傷無し
梶田篤 (工場長)
事故当時 (42歳)
[出典 2]
高等小学校卒業後、
福岡県の日鉄二瀬工業所の
電気工として働いていた。
1953年 (昭和28年) 7月
義兄である高園の事業を手伝うために上京。
進化製薬工業株式会社発足後は、
取締役兼工場長に就任した。
裁判の供述から判断すると、
工場長という肩書であるにもかかわらず、
日々通常業務に従事させられ、
また正式な辞令はなく、
役職手当が支給されていないなど、
高園には不満があったようだ。
(この事実が
事件の直接的な原因ではないものの、
風通しの悪い組織風土を
形成した要因の一つ
である可能性はあります。)
※事故により重傷を負った
専務取締役M
(生没年不明)
専務取締役として存在するが
登場場面はほとんどない。
業務の場面では記述がないので、
主に対外的な業務にあたっていたか?
事故当時は不在であったか
係長I
1933年 (昭和8年) 頃生
事故当時 (25歳)
[出典 2]
顆粒室担当係長として製薬業務に従事。
※事故により重傷を負った
【事業内容と組織体制】
胃腸薬を中心に
創立以来エスエス製薬株式会社、
帝国臓器株式会社などから
委託を受け各種薬品錠剤等の
製薬加工等の業務を行っていた。
当時の組織は、
代表取締役社長高園善次、
専務取締役M、
取締役兼工場長梶田篤の
3人を中心に経営にあたっていた。
(名前だけで実際の業務を
執行していない取締役が3名いたようだ。)
他営業係長H他2名、
顆粒室担当係長I他2名と臨時工一名、
選球室主任Y他4名、
糖衣室係長S他4名と臨時工一名が勤務。
従業員は43名であった。
[出典 2]
高園善次は社長として
同社の経営全般、
人事並びに工場設備、
原材料、製品等に対する
包括的管理を行う地位にありました
しかし、会社の規模ゆえに、
時折自ら顆粒・打錠等の
作業に従事していました。
梶田篤は取締役兼工場長として、
経営に参画すると共に、
工場全体の管理運営、原材料や製品の保管、
作業の指揮監督等を行う地位にあったほか、
糖衣室関係の作業にも従事していました。
※糖衣とは薬を服用しやすくするため
甘い素材で包む作業のことです

【火災発生当日の工場内の状況】
事務所及び工場は、
東京都大田区雪ケ谷町862番地
(現在の東雪谷5丁目) にあり
高園社長の居宅も敷地内にありました。
事件当日の
1958年 (昭和33年) 7月15日 (火)
の状況は以下の通りです
【当日の作業状況】
午前中:
顆粒室では
高園社長、社員T、社員Yらが
通経剤アロミンの原料の
調合・顆粒作業に従事。
午後:
顆粒作業を終えた
アロミンの熱風乾燥作業のため
ガスバーナーが点火されていた。
顆粒錠剤の
選別・打錠等の作業を行っていた
社員Tと社員Yと係長Iらは
(3名とも重傷)
事務室では工員Yと女子事務員Tが、
(女子事務員Tが重傷)
糖衣室では梶田と工員Yらが、
(2名とも重傷)
選球室では女子工員Yと女子工員Kらが、
(女子工員Yは重症・女子工員Kは軽症)
それぞれの持ち場で業務に従事していた。
【原料管理と漏洩の問題】
医療品製造原料として用いられる
メチルアルコールおよび局方アルコールは、
極めて引火性が高い。
そのため、
乾燥作業など火気を使用する作業所の近くで、
これらのアルコールが入った容器
(18リットル入ブリキ缶) を
取り扱う際には、容器の破損等による漏洩で、
気化したアルコールが室内に充満しないよう、
厳重に監視しなければならない。
万一漏洩が確認された場合は、
漏洩したアルコール適切な処置を施し、
気化して空気中に滞溜した
アルコールについては、
屋外に排出する等の処置等処置を講じ、
これらが引火して火災が発生するのを
未然に防ぐための
業務上の注意義務があった。
しかしこの会社では、
これらの対策が十分に実施されておらず
安全意識の低さも指摘されている。
※局方アルコールとは、
国が制定した規格に合格した
エチルアルコールで
気化して滞留したアルコール類に着火して
火災が起きる可能性があります。
と書かれている。
【爆発事件の前兆 1】
事件当日、
工場では
重大な危険の兆候が確認されていました。
【アルコール漏洩の事実】
当日午前顆粒室において
高園社長は
工員Yの補助のもと
通経剤アロミンの原料の
調合・練り合せ・顆粒等の
作業を行っていた際、
顆粒室南東側通路の金庫脇に置かれた
局方アルコール入の容器から
アルコールが漏洩しているのに気が付き
同室に来合せた梶田工場長に対し、
別の容器に入れ換えるよう伝えました。
梶田工場長は係長Iと共に
アルコールを
顆粒室内の南東隅にあった、
流し台の上で別の容器に
入れ換えるという
**「一応の処置」**を講じました。
【潜んでいた危険の常態化】
しかし、
裁判における
女子事務員Tの証言から、
この容器は
事件数日前から漏れており、
女子事務員Tがそのことを
係長Iに伝えていた事実が判明しています。
それにもかかわらず係長Iは
床に水が溜っているためであろうと、
適切な処置を講じなかった。
この事実は、
危険な状況が日常化しており、
現場の責任者であった係長Iの間に
安全への意識が著しく欠如していたことを
強く示唆しています。
【爆発事件の前兆 2】
当日容器から漏洩し
コンクリート床上に
滞溜していた相当量のアルコール
及びそれが気化して、
顆粒室付近の空気中に
滞溜していたいう
極めて危険な状況に状態ことに
誰も気付くことはありませんでした。
若しくは、
常態化していたのか
屋外に排出する等の
適切な処置を講じられることは
ありませんでした。
[環境要因と爆発性混合物の組成]
また当日は7月という
季節的な要因もあり、
顆粒室と通路との境をなすガラス戸は
暑さのため開放されていました。
また乾燥室と顆粒室との境をなす
開き扉は閉められていたものの、
下部に相当の隙間がありました。
この複数の要因が重なり、
通路上に漏洩していた
局方アルコールが気化し、
空気と容易に爆発性混合物を組成する、
決定的な状況を作り上げてしまいました。
【爆発事件の前兆 3】
さらに午後1時から
アロミンの熱風乾燥作業のために、
点火されたガスバーナーが、
最終的な引き金となりました。
ガスバーナーによる輻射熱等で、
顆粒室内および通路付近は、
相当に気温が上昇していたと認められる。
もともと揮発性のアルコールは
この温度の上昇と共にさらに気化し、
顆粒室から乾燥室内まで蔓延し、
滞溜していたと考えられる。
この**「熱による危険の増幅」が、
爆発性混合物を着火寸前の状態**まで
追い込んだのです。
【爆発事件の前兆 4】
また室内には、
製品化されなかった
不良品の錠剤が置かれており、
その中には、
燃焼を増長する素材が含まれていた。
これにより、
酸素(開け放たれた窓や扉の隙間から流入)
熱源(点火され続けたガスバーナー)
可燃物(不良品の燃えやすい錠剤)
燃焼の三要素が完全に揃ってしまった。
この人災の連鎖が完成した後の
午後4時過ぎに悲劇が起こりました。
一部20250921加筆
ー参考資料ー
1.東京地方裁判所
1961年 (昭和36年) (わ) 2337号 判決
1964年 (昭和39年) 10月16日
2.朝日新聞記事
3.中日映画社 映像
「アルバイト女学生ら十二名惨死」No.235_2
ヘッダー写真
AIによって生成された画像です
#かえる11号
#Otapedia
#デジタルアーカイブ
#SDGs11
#地域史
#大田区
#雪谷特別出張所
#進化製薬研究所
#進化製薬工業
#高園善次
#東京地方裁判所
#爆発事故
#裁判記録
#胃腸薬製造
#エスエス製薬株式会社
#帝国臓器株式会社
#アルコールの漏洩
#熱風乾燥
#荏原病院
#佐藤病院
#柿原病院
#警視庁東調布警察署
#警視庁田園調布警察署
#実況見分
#証言
#低賃金
#コミュニケーション不足
#大田区特別顕彰区民
#大田区準特別顕彰区民
#大田区裏名誉区民
#大田区無名の偉人
#大田区無名の企業
#大田区無名の産業
#大田区無名の組織・集団
#大田区陰の功労者
#大田区未顕彰の地域遺産
#大田区記憶の日
いいなと思ったら応援しよう!
いつもご覧いただき、誠にありがとうございます。
皆様からの温かいご支援が、
私の活動の大きな支えとなります。