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村上春樹『夏帆』を読んで、映画『ファイト・クラブ』に思いをはせる。

こんにちは。
鴨井奨平です。
最近出版された村上春樹氏の新作長編『夏帆』を読みました。私は面白いと思いました。なんなら2011年以降の氏の作品の中で一番好きかもしれません。
以下に、ネタバレ有り(オチも含まれます)の感想を記します。
ちなみに私は村上春樹氏の小説は文庫で読めるものについては全て読んでおり、エッセイ類にもほとんど目を通しています。私は村上主義者です。








小説『夏帆』の物語を一言でいうと、「主人公・夏帆の成長譚」になるかと思います。夏帆は異界(現実と夢が混在したような世界)に意図せず入り込み、そこから抜け出したところで作品が終わります。この「異界からの脱出」においてキーとなるのが、「母を(象徴的に)殺す」ということかと思います。『夏帆』と「母殺し」を絡めた論考は既に多くあるはずですが、やはりこの要素抜きに本作は語れないと思います。
私が考えたのは、夏帆にとって母は「自分の分身」でもある、ということです。夏帆は母(シロアリの女王)を刃物(刃物は「魔除け」の意味もあります)で突き刺す直前、「この(母の)乳首から私は滋養を与えられたのだ」と思案し、逡巡するシーンがあります。つまり母の体内で作られたものによって自らが形成されていると夏帆は考えており、「夏帆≒母」という認識(あるいは構造)があるため母を刺すことを強く躊躇ったとのだと思います。「母を殺すこと」はすなわち夏帆にとって「自分を殺すこと」でもあるのです。私は小説『夏帆』においてはひょっとして、「母殺し」と同じくらい「自分の死」も重要な要素なのではないかと思っています。実際、劇中作品である「ミソラが主人公の絵本(の草稿)」でも、ミソラは象に踏み潰されることによって死に、生まれ変わって、元の世界に戻っていくことができました。「母の死」は象徴的な「夏帆の死」であり、「一度死ぬことによって生まれ変わり(成長し)、元の世界に戻っていく」というのが小説『夏帆』の骨子なのではないかと私は考えます(もちろん「死」というのはあくまでメタファーです)。

ところで、上記のようなことを思い、ふと私が考えたのは映画『ファイト・クラブ』(デヴィッド・フィンチャー監督)のことです。『ファイト・クラブ』は私が最も好きな映画の一つです(この作品で見られるものこそ「本当の伏線回収」だと思います)。この映画のラストも、主人公(エドワード・ノートン)が「理想的な自分」としての分身(ブラッド・ピット)を殺し(自分の口腔内で拳銃を発射する)、「理想の自分をも超えた自分」に変化・成長するものとなっています。よくよく考えれば『ファイト・クラブ』におけるヘレナ・ボナム=カーターは「守護天使」のような役割をしているような気がします。彼女だけが「タイラー・ダーデン」について疑問を抱いていた。

小説『夏帆』と映画『ファイト・クラブ』は全く毛色の違う作品ですが(違いすぎる)、私は同様のテーマを扱っていると思います。
それは、「死に見紛うほど強烈な痛み(これもメタファーです)によってしか人は成長しない」ということです。これは私も実体験としてあります。
夏帆は異界から抜け出し、どのように成長したのか。それはとても気になるところです。短編くらいのサイズで続編が欲しいところですが、あえてそういうのも無しで夏帆の今後について空想する、というのも良いかもしれません。

今回はこのへんで筆を擱きます。

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