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緋文字 ホーソーン

 おはようございます。ブログ生活今日で5日目、夏の読書感想文も6作目です。プロフィールに読書と映画と音楽が好きって書きましたが、まずは読書から、読後感の温かいうちに整理しておきます。
 今日はHawthorne、古典中の古典ですね。映画版で主役したデミ・ムーアが、「あまり誰も読んだことのない小説」って言って失笑を買ってました。でもその時点で私も読んでなくて、あんまり笑えないな、という小骨がずっとのどに刺さってたのですが、歴史的興味から、やっと読了。
(以下、ネタバレ含みますのでご注意ください。って毎回書いてますが、でも構成上最後にまとめが来るので、そこは読んでほしいというジレンマ。)

 と言いつつ、大まかなストーリーは有名ですよね。不倫の罰として、胸に赤いAの文字の刺繡をつけてなきゃいけない女性の物語。舞台は1640年代のボストン、イギリスからやってきた清教徒達の、アメリカの歴史のごく初期。不倫文学っていうのがあるのかどうか知らないけど、その古典。
 不倫相手が誰なのかっていうのは、なかなか直接はかかれないけど、普通の人はすぐ気づく。だから謎解き的な要素は全くなく、純粋に罪と罰の話。
 厳しい倫理観の中で、罪を犯した二人のうち、女は堂々と罰を受け続け、やがて周りの尊敬までを受けるほどになる、一方、牧師である男は隠し続けて自責の念から健康を害し、最後に告白して破滅に至る。女の夫は復讐を生きがいに生きるが、その相手がいなくなることで目的を失って自滅するも、不倫間の娘に遺産を残す。そもそも不倫が露見する原因となった娘は、遺産を受け取って幸せに暮らす。以上。

 つまり、宗教的道徳観の犠牲と告白による許し。まぁ、シンプルですね。贖罪についての宗教書的な。完璧な清教徒ではありえない、ただし、自分に正直にあれ、さすれば救われる。カトリックの迫害から逃れ、宗教的自由を求めてアメリカに来たはずなのに、自らの宗教で自らを苦しめ、また、自らの中に異教を作り出し、クェーカー派の迫害や魔女狩りを行っていること、そして宗教の名のもとに、先住民や黒人を迫害し続けることへの戒めであり、自省でしょうか。(そこまで言ってないかも。)
 発表された1850年から見て200年前の世界。独立後、いかに共和国を維持していくかを模索しつつ、移民当時の状況を振り返って、その宗教的厳格さや矛盾、息苦しさを描くことで、清教徒達は偉大だった、でも彼らは人の痛みや弱みを許さなかった。もっと自由で明るくて、そして弱くても良いのではないか。そろそろ南北戦争へと向かう中で、人は、もっと許しあえるのではないか、というメッセージでしょうか。
 これが日本の江戸中期のアメリカ文学か、と思うとすごいな。

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