⚽️サッカーOS地政学1 イタリア編①
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なぜイタリアはサッカー大国になったのか
サッカーはイタリアで生まれたスポーツではない。
起源はイギリス。
ではなぜイタリアは、
ワールドカップ4回優勝という世界有数のサッカー大国になったのだろうか。
実はその答えは、
戦術本の中ではなく地図の中にある。
まず見てほしい。
イタリアは地中海のど真ん中にある。
北にはヨーロッパ。
南にはアフリカ。
東にはバルカン。
西にはスペイン。
古代から人も物も文化も集まる交差点だった。
そして19世紀。
世界を支配していたのはイギリスだった。
当時のイギリスは海の覇者である。
世界中に商船が行き交い、
港と港が結ばれていく。
その船が運んだのは、
商品だけではなかった。
サッカーも運んだ。
イタリアで最初にサッカーが根付いたのはローマではない。
ジェノヴァだった。
海洋都市ジェノヴァ。
中世から続く貿易都市であり、
イギリスとの交流も盛んだった。
イタリア最古のクラブであるジェノアは、
イギリス人によって作られている。
つまりサッカーは、
軍隊でも政治でもなく、
海運ネットワークによってイタリアへやって来たのである。
そして面白いのは、
サッカーが最初に広がった場所だ。
ジェノヴァ。
トリノ。
ミラノ。
どれも北イタリアである。
なぜか。
そこに工場があり、
鉄道があり、
労働者がいたからだ。
サッカーは意外と産業革命のスポーツである。
休日が必要。
移動手段が必要。
チームを作る人が必要。
観客が必要。
その条件が揃っていたのが北イタリアだった。
さらに時代も重要だった。
イタリア統一は1861年。
サッカーが広がり始めたのはその直後である。
それまで人々は
「イタリア人」
ではなかった。
ミラノ人。
ジェノヴァ人。
ナポリ人。
そんな意識の方が強かった。
サッカーは、
新しく生まれたイタリアという国の中で、
「俺たちの街」
を表現する道具になっていく。
しかし、
実はイタリアにはサッカー以前から似た文化があった。
カルチョ・ストーリコである。
16世紀のフィレンツェで行われていた競技だ。
ボールを使う。
チームで戦う。
だが実際には、
ラグビーと格闘技を混ぜたような競技だった。
殴る。
押す。
投げる。
かなり荒っぽい。
もちろん現代サッカーの直接の祖先ではない。
サッカーはあくまでイギリスから来たスポーツだ。
だがカルチョには大事な意味がある。
それは、
「都市対抗文化」
である。
フィレンツェ。
ヴェネツィア。
ジェノヴァ。
中世イタリアには強力な都市国家が並んでいた。
そしてみんな負けず嫌いだった。
自分の街が一番だと思っていた。
だから対抗戦が大好きだった。
つまりイタリア人にとって、
街の誇りを背負って戦う
という感覚は、
サッカー以前から存在していたのである。
だからイギリスからサッカーが来たとき、
イタリア人はそれをただのスポーツとしては受け取らなかった。
これは新しい代理戦争だ。
新しい都市対抗戦だ。
そうしてサッカーは爆発的に広がっていく。
イタリアにサッカーが入った理由は、
イギリスの海運ネットワークにある。
だがイタリアでサッカーが文化になった理由は、
カルチョ以来の都市対抗文化にある。
サッカーという競技はイギリスから来た。
だがそれをイタリア人の魂の一部に変えたのは、
イタリアそのものだったのである。
次回
なぜイタリアはカテナチオを生んだのか
〜守備は文化なのか、それとも地政学なのか〜
