情景が浮かぶ文章を書きたかった
私は既に天国にいるある女流作家に今もなお憧れている。
音楽や演劇に魅せられ、小説から長く遠ざかっていた私に鮮やかな印象を残した作家だったからだ。
それは鷺沢萠さん。
彼女の作品はまるで絵画のように、まるで映画のように、情景が浮かび上がる作品だった。
初めて読んだ時、それはそれは衝撃だった。
まるで自分が主人公になったような錯覚を覚えた。
彼女の短編のワンシーンのように、自分が主人公と同じファミレスにいるような感覚になった。
ファミレスというところがまたリアルなのである。
彼女の作品には気取りがなかった。
それでいて軽やかな粋な雰囲気を醸し出すことができるのだから、さすが数いる作家の中でも抜きんでた才能を発揮していた人だと思った。
彼女の才能を目指したいとまでは言わない。
でも彼女の描きたかった世界に近付きたい。
それはずっと私の心の中にあった。
ここで日記でもエッセイでも詩でもなく、ほぼほぼ散文のようなものを書き続けながら、私は描きたい世界を模索していた。
今もまだ、模索の途中なんであるが、ふわっとした感覚だけは掴めてきたような気がしている。
書きながら、描いてるような気持ちになれる瞬間が出てきたからだ。
それは、すなわち、まるで絵画のような、まるで映画のような、そんな情景に近付いてきたからではないかと思うからだ。
noteにはどんなジャンルでも素晴らしく上手な人がたくさんいる。
そんな中で、私がこんなことを言うのは気恥ずかしさもあるが、自分の中での変化、変遷みたいなものを、書き記しておきたいと思った。
書くことが好きな者にとって、書くということは、いつになっても未知の世界であり、冒険であり、魅惑の宝庫なのだと感じ入る今日この頃。
私はこれからどんな書き手になっていけるかなと、自分が自分の次作品に楽しみを感じられるようになった。
これは大きな変化であり、これは未来への期待が描かれた地図を手に入れたようなものなのである。
地図は持っているだけじゃもったいない。
地図は目的地に辿り着く為に持ちたいよね。
さあ、明日の目的地をまた決めようじゃないか。
さて、今日も生きるとしよう
