かつては高級料理
見た目も涼しく、
のど越しも柔らかい
そうめんは、
真夏に涼のとれる
食として古くから
愛されています。
そうめんの元祖とされる
「索餅(さくべい)」
というものが
誕生したのは奈良時代。
索餅とは、古代中国から
奈良時代ごろには
仏教伝来とともに
日本に伝わった
餅菓子の1つ。
「索」は中国では
太い縄を意味し、
餅は小麦粉などを
練り合わせて作る
食品の総称でした。
従って「索餅」とは
太い縄状の餅という
意味でした。
伝来した当時は、
高級料理として
珍重され、
客をもてなしたり、
上司や主に献上したり、
そうめんは
当時では特別な日の
食卓に並ぶ
高級料理でした。
諸説ありますが、
この「策餅」を、
日本でアレンジして
現在のそうめんと
したのは、
美輪そうめんで知られる
奈良県桜井市が
発祥の地とされています。
きっかけとなったのは、
大和地方で飢饉が
発生した折、
保存食として
生まれ変わったこと。
美輪地方の良質の
小麦を粉にして
挽き、棒状にねり、
これを乾燥させて
今の素麺の形状に
近いものを造ったと
されます。
古くから三輪山や
その周辺は水が
綺麗なこと、
また冬には湿度が
低く寒風が
吹き下ろすという
気象条件も
そうめんづくりに
最も適していたとされます。
そうめん作りは
鎌倉時代に入って
本格的に始まり、
室町時代になると
現在の「索麺」や「素麺」
という漢字が
使われるようになります。
このころ、そうめんは、
寺院の点心(間食)
として広がりました。
庶民の口に入るように
なったのは江戸時代。
特に七夕やお盆の
時期に好んで
食べられたようです。
また、この頃は
「そうめんといえば播州、
播州といえばそうめん」と
言われるようになり、
日本各地で
もてはやされたのが、
現在の兵庫県の
名産・揖保乃糸です。
当時のこんな話が
いまに伝わっています。
戦国時代に、豊臣秀吉は
姫路城に入ったときに
開かれた饗宴で、
播州名産の
そうめんを
食したという記録です。

涼をとるための手段として、
冷たい井戸水や
谷川の清流を
使った流しそうめんも
江戸時代に
始まっています。
