#142 忘れたくない教育の境界線-教師は何でも受け止め屋?-
「主体性を育てましょう。」
「子どもの個性を大切にしましょう。」
「多様性を認めましょう。」
教育の現場にいて、こうした言葉を耳にしない日はありません。私自身も、大切な考え方として心に留めています。
だからこそ、最近よく考えることがあります。
私たちは、その言葉の意味を、本当に理解した上で使っているのでしょうか?
境界線が曖昧になっていないか
主体性。
自由。
個性。
多様性。
どれも教育の世界で、大切にしましょうと言われたり、よく聞いたりする言葉です。
ですが、その一方で、
わがまま。
放任。
勝手。
自己中心的な行動。
これらまで同じように扱われてしまっている場面はないでしょうか。
言葉は似ていても、本質はまったく違います。
教育で大切なのは、この境界線を曖昧にしないことだと思うのです。
主体性とは「好き勝手にすること」ではない

みなさんは、「主体性」とは?と問われたらどのようにこたえますか?私が考える主体性とは、
「自分で考え、自分で選び、自分で責任を引き受けること」
です。子どもに選択肢を与えることは、とても大切です。ですが、
「やりたくないからやらない。」
「嫌だからやめる。」
「納得できないからルールを守らない。」
これは決して主体性ではありません。主体性には、必ず責任が伴います。責任のない自由は、主体性ではなく、ただの自己都合になってしまいます。
教師は「何でも受け止め屋」ではない
教師は、子どもの気持ちを受け止めます。受け止めたい、そして一緒に前に進んでいきたいと日々考えています。
ですが、受け止めることと、認めることは違います。理解することと、許すことも違います。

「どうしてそう思ったの?」と話を聞くことは大切です。ですが、その上で、「それは違うよ。」「ここは守ろう。」「人を傷つけることは許されないよ。」と伝えることも、私は大切な教育だと思っています。この境界線を曖昧にしたくありません。
保護者としても、教師としても願うこと
私は教師ですが、子をもつ一人の親でもあります。
だからこそ願うのは、勉強ができる子よりも、身の回りの人を大切にできること。まずは家族。自分を導いてくれる周りの大人に対しても敬意をもてる子。そして、友達を大切にできる子。
自分の思いだけではなく、相手の立場も考えられる子です。私の知る限り、社会とは、そうそう自分の思い通りになる場所ではありません。だからこそ子どもの頃に、
折り合いをつけること。
相手を思いやること。
時には我慢すること。
そして、自分の行動に責任をもつこと。
これらを経験を通して学ぶ必要があります。それは子どもを縛るためではなく、子どもが将来、社会の中で幸せに生きていくためです。
忘れたくない教育の境界線
子どもを大切にすることと、子どもの言うことを何でも受け入れることは違います。
主体性と、わがまま。
自由と、勝手。
多様性と、無秩序。
受容と、放任。
この境界線を曖昧にしてしまうと、子どもは本当の意味で社会を生きる力を身につけることはできません。
だから私は、教師にも、保護者にも、まず大人自身がこの境界線を共有することが大切だと思っています。

子どもたちは、大人の姿を見て育ちます。何を受け止め、何を毅然と伝えるのか。その一つ一つの積み重ねが、子どもたちの未来につながっていくのだと信じています。
今日も読んでくださり、ありがとうございました。
#教育 #子育て #子育てのヒント #保護者 #教師 #学校教育 #学級経営 #主体性 #非認知能力 #多様性 #自由と責任 #教育について考える #子どもの未来
いいなと思ったら応援しよう!
いつもお読みいただきありがとうございます。いただいた応援は、これからの執筆活動の大切な糧とさせていただきます。