平将門私見・2
(4月11日記)
将門を書いてみよう、かな、と思ったのが2022年の8月で、あれこれ読んでみて、腹を決めたのはどうやら10月のことだったようだ。この月に僕は、神田明神にお参りに行っている。同じ日に大手町の将門塚にも行っているか、それ以前にお参りしていると思う。
神田明神には「意を決して」行った。そこでおみくじを引いて、卦が悪かったら書くのを辞めようと思い定めていた。おみくじは「大吉」だった。
こういうことは大事である。小説というのはまったく理屈に合わない文学ジャンルなので、オカルトとは親和性が高い。『東海道四谷怪談』上演の前にお岩さんの四谷稲荷に行くのと同じだ。
11月には坂東市へ「将門まつり」を見に行った。と言ってもおまつり自体にはあまり触れず、国王神社へのお参りが主であった。将門終焉の地に娘が建立したといわれる国王神社ーーなんという名だーーは、江戸開府のために徳川家が将門を祭り上げた神田明神よりも、はるかに重要なゆかりの地である。けして大仰ではないが、茅葺屋根の荘重な神社だった。有名な将門の木像も開帳されていた。
将門とその軍勢に扮した町の人たちを見送って、一言神社とか胴塚(首を取られた将門の遺体が埋められているという。お寺の名前は「延命院」)とか、あちこちにある将門ゆかりの地を巡りながら、坂東市という土地も見た。お祭りのためにメインストリートは車両通行止めになっていたので、バスを使うことができないし、タクシーも捕まらない。二万数千歩を歩いて文字通り足が棒になった。
坂東市はもと岩井市で、猿島郡猿島町と合併した。マスコットキャラクターは「将門くん」、市を挙げて将門を観光資財としている。
一方でここは鉄道の駅がひとつもない土地として知られており、僕のような運転免許のない観光客にはアクセスがよくない。自転車でもレンタルしてくれればいいのにと棒になった足を引きずりながら思った。陸の孤島のようにも感じる。
平将門が日本の歴史上きわめて重要な、特異な存在であり、のちに天下取りの野心を抱いたあまたの武将に、大きな精神的影響を与えた巨人であることは言を俟たない。怨霊だなんだとオカルトで担ぎ上げられて済ませられるような人間ではない。観光客誘致だけ考えても、将門は鎌倉市にとっての源頼朝や、太宰府市にとっての菅原道真に匹敵するビッグ・ネームで、本来あるべきだ。
だが国王神社に鶴岡八幡宮や太宰府天満宮のような派手さはない。派手に演出しよう、参道に土産物屋を並べようという気配もない。その慎ましさに僕は胸を打たれた。本当に将門を大事にしていると感じた。よその人間には判らないものがあるようにも思えた。鉄道が通っていないことさえ、地元の人々の深慮遠謀かもしれないと考えた。
まったく不思議だよ。将門が人に与えるものがどんなものか、掴もうとしてもつかみきれるものじゃないのかもしれない。
