読書note1-43「進撃」/池波正太郎『真田太平記』(新潮文庫)第六巻「家康東下」より
おはようございます。
ただいま池波正太郎の『真田太平記』を読んでおります。長編小説なので、各章を読み終えたところで雑文を投稿しています。
本日は新潮文庫第六巻「家康東下」より「進撃」です。
関ヶ原の合戦は、上杉征伐へ向かう途中の徳川家康が西軍の挙兵を知り、急ぎ西へ向かい関ヶ原で東西が衝突した…わけではない。
前哨戦のようなものが続く。
伏見城を落とした西軍は、伊勢方面へ展開。また石田三成は大垣城に入り、岐阜城の織田信秀を西軍に引き入れた。織田信秀は織田信長の孫にあたる。
一方、東軍の先鋒である福島正則は居城の清州にはいる。ここには、黒田長政、池田輝政らが集っていたが、家康自身は体調がすぐれないと言って江戸を出発しないでいた。
それでいて、自分が行くまで動かぬよう指示している。
これから戦を始めるというのに、おかしな話である。
これを福島正則は、家康殿は豊臣恩顧の我々の心を試しているのではないか、そう見極め、それなら目の前の岐阜城を落としてしまえ、と進軍する。
八月二十三日
織田信秀の岐阜城が福島正則らにより落城。
このとき信秀は自害しようとしたが、家臣が止めて降伏した。徳川方からは秀信を討ちとってしまえという声もあったが、福島正則が抑えた。
豊臣恩顧の武将にしてみれば、秀信は織田の嫡流で主筋である。
勢いに乗って福島正則ら東軍は、一気に大垣城の北西に位置する赤坂に陣を構えた。
さて一方、西軍の石田三成は優れた知識人であるが、どうやら戦を知らなすぎるようにお見受けする。
それに理に敏すぎて、人の心を知らなさすぎるようだ。
どうも大将の器ではない。
徳川家康と比べると大きく引けを取る。
おかげで島津義弘も宇喜多秀家もいささかげんなり。これでは勝てる戦も勝てなくなる。
話が反れるが、昔テレビドラマで司馬遼太郎の『関ヶ原』をやった。その時のキャストが、徳川家康に森繁久彌で、石田三成が加藤剛だった。
さてさて、
沼田にいる真田信幸のもとに珍しい人が訪ねてきた。滝川三九郎という織田信長の重臣だった滝川一益の孫である。
武田の家臣だった真田昌幸は、武田滅亡のあとは織田信長の支配下に入ったが、その時上州を統治にきたのが滝川一益である。
なかなか出来た人物であり、この者ならば仕えるに問題はないと昌幸は思ったが、本能寺の変ののち、上州は北条家に奪われ、一益は元の領国へ戻ってしまった。
しかし真田家と滝川家の友誼は続いていた。
いまは諸国を旅しているという三九郎と話をしていると信幸は、こうゆう人物を召し抱えたいと考えるようになった。しかし、これから戦である。
それも父や弟との対決である。
「のう、三九郎殿...…」
「はい?」
「わしは、近いうちに、上田の城にいる父と弟を攻めに参るのじゃ」
「それは、おもしろうござりまするな」
「おもしろいか...…」
「はい、余所目には、おもしろうござります」
そんなに面白いなら見物せぬか、と信幸は三九郎を誘うと、お言葉に甘えて、と彼はくっついて行くことになった。
これにて第六巻「家康東下」を読み終えた。やっと全12巻の折り返しである。
次第に関ヶ原へとワクワクが高まる。
