置き去りにした感情を迎えに行くトキ
ずっと昔の記憶。
忘れてしまった記憶。
その時に感じた感情。
蓋をしてしまった感情。
泣きたかったのに泣けなかった。
怒りたかったのに怒れなかった。
笑いたかったのに笑えなかった。
喜びたかったのに喜べなかった。
それを私は
「置き去りにした感情」
と呼ぶ様にしている。
その「置き去りにした感情」は忘れているだけで、蓋をしただけで
消え去った訳ではない。
なので、燻っているその感情は今も外部的な刺激があると 動き始める。
だけど、今目の前で刺激を与えた事や人間に対して反応した様に思えるので
まさかずっと自分の中にあった 置き去りにされた感情が反応したとは思いにくい。
イラっとしたらモヤっとしたら手紙を書いてみる

日々を過ごしていると当たり前の様にイラっとする人物は登場する。
優しくありたいと思っても 我慢出来ない人物は登場する。
そんな時は自分の感情を置き去りにせずしっかり出す為に
その人物に対して手紙を書く。
その人物宛に○○さんへ。と書く。
これは出さない手紙。
そして自分だけが読む手紙。
なので 本音のままに書く。
誰かに見られたとき用の言葉ではなく
自分の中に出てきた言葉そのままを書く。
言いたい事を書く。
そしてこうして欲しかった、
こう言って欲しかった。
事も書く。
感情が込み上げて涙も出る。
悔しい
情け無い
悲しい
馬鹿野郎
顔も見たくない
私に関わるな!
いや、もっと関わってくれよ!
など どんどん出てくる。
思った以上に、
そして思ってもみなかった言葉達がどんどん出てくる。
ここに出てきた言葉達は 出てきたかった言葉達。
「置き去りにした感情」たち。
だから
「よく出てきてくれたね」
と迎え入れると
「出していいんだ」
と安心した自分の中の蓋が開き
更に出てくる。
そして何かに気付く。
気付く事は人それぞれだけど これはきっとその時に その人が気付くべき事なのだろう。
何に気付いて欲しくて
この言葉達が出てくるのか。
人によって違うし
自分自身その時によって違う。
それが面白くもある。
成長の前にあるもの

成長の前には
「気付き」
がある。
出さない手紙を書くと
「置き去りにした感情」
達がどんどん出てきて 何かに気付く。
気付きが起きると
心は軽くなる。
そして成長する。
こうやって気付きを起こしてくれるキッカケとなった人物には
「ありがとう」
が生まれる。
いや、生まれない時もある。
それでいい。
ただ、嫌な奴という気持ちが減る。
それでいい。
そうやって自分の中の
「置き去りにした感情」
達を迎えに行って
自分の中に
「おかえり」
をする。
自分は不完全だ。
それでも私は私でありたい。
そう思える様になった事が少し幸せな成長をしたかな?と思えると
自分という居場所が心地良い。
そして少しだけ成長して
少しだけ心にゆとりが出来て
少しだけ自分に優しくなれた時
他の人に対しても少しだけ優しく、
だけど演じる優しさではなく
心から優しく
誰かに接する事が自然と出来る様になる。
そんな自分の変化を楽しんでいきたいと思う。
