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いつでも自由になれる心地よさ

クオリア(Qualia)
ある感覚的な体験をした際に、その人自身が主観的に感じる「質感」や「感じ」のこと。脳科学や哲学の用語で「感覚質」とも呼ばれ、赤いものを見て「赤い」と感じる感覚、甘いものを食べて「甘い」と感じる心地よさなど、言葉では表現しにくい特有の感覚を指す。

集団的無意識しゅうだんてきむいしき
心理学者C.G.ユングが提唱した、個人の経験を超えて人類共通に備わっている深層心理の領域です。時代や文化を超えて共有される普遍的な記憶やシンボル(元型/アーキタイプ)の貯蔵庫であり、夢や神話の類似性の基盤となるとされています


私たちが集団的無意識の深いところで繋がっている自由の正体って、実は「静寂」に近いものじゃないかと思うんです。
それも、ただ音がしないということではなくて、自分を縛っている「物語」から一瞬だけログアウトしたときの、あのスカスカした感じ。

例えば、美容師さんがハサミを置いた瞬間や、家事を終えて誰もいないリビングで一杯のお茶を啜る、あの隙間の時間。
そこには「誰かのための自分」がいません。
名前も、役割も、これまでの経歴も、全部どうでもよくなる。
あの「透明な自分」に戻ったときの手触りこそが、私たちが共通して持っている自由の本質ではないでしょうか。

多くの人は「自由」を、何か新しいものを手に入れることや、どこか遠くへ行くことだと考えます。
でも、本当の近道は、自分の中にある「過剰なもの」を削ぎ落として、そのスカスカな余白を確認することにある気がします。

「自由にならなきゃ」と力んでいるうちは、まだ何かに縛られているのではないでしょうか。
そうではなくて、ふとした瞬間に「あ、今、私、何者でもないな」と気づく。
そのクオリアを自覚できるようになると、わざわざ遠くへ探しに行かなくても、今座っているその場所で、自由の根源にタッチできる。

この「何者でもなさ」の心地よさを知っている人は、強いです。
集団的無意識で繋がっているその場所は、誰にも侵されない聖域のようなものですから。

そこを拠点にして日々を過ごせれば、世間の価値観や他人の物差しに振り回されることも、自然と減っていくはずです。


だって、一番欲しかった「自由の質感」は、もう自分の中にあると知っているのですから。



ありふれた言葉で飾るよりも


もっと直感的で


ちょっと孤独で


でも


たまらなく清々しい



そんな「自由の正体」を



皆さんと分かち合えたら面白いなと思います



さて、




この「透明な自分」という感覚、皆さんの日常の中では、どんな瞬間に顔を出しますか?






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