ホーガン死去「プロレスの影響力は否定できず」―The Wall Street Journal
■スポーツの歴史のどこに位置づけるべきか
ハルク・ホーガンをスポーツの歴史の中でどこに位置づけるべきか、あるいはそもそも位置づけるべきなのか、正直よくわからない。
7月24日、71歳で亡くなったホーガンは、身長6フィート8インチ(約203cm)の鍛え抜かれた巨体で驚異的な身体能力を披露することができた。しかし、プロレスというものは――ネタバレだが――純粋な競技ではなく、エンターテインメントだ。
それでも、プロレスが地方の小さな見世物から広く浸透した文化的な力へと進化したことは否定できない。今ではよく知られた事実だが、スポーツも政治も日常生活も、かつてないほどプロレスのリングに近づいている。
我々は騒々しく対立する国民になってしまった。繊細な駆け引きは、折りたたみイスの一撃に取って代わられる。そして理性は、部屋の中で最も大きな声にかき消される。プロレスは人生の複雑さを原始的な対立にまで単純化する。そして、そのスタイルを最も有名かつ象徴的に体現したレスラーの一人が、ハルク・ホーガンだった。

私はプロレスの熱狂的なファンではない。何度か観戦したことがある程度だ。ブルーノ・サンマルチノの正しい綴りは今でも調べないとわからない。それでも、ホーガン(本名テリー・ボレア)が変革的な存在だったことだけは知っている。彼は、壮大な世界の中でもひときわ壮大なキャラクターだった。
ホーガンは、時に悪役、時にヒーロー、そしてまた悪役へと、自らのイメージを何度も作り変えた。復活と転落、そして数え切れないほどの職業的な寄り道を繰り返した。有名人としても、スキャンダルの渦中の人物としても、ポスターの顔にもなれば、社会の嫌われ者にもなった。人種差別的な発言が録音されて解雇され、メディアの十字砲火の中で奇妙な主人公となり、政治集会のスピーカーにもなった。彼は物議を醸しながらも、常に存在感を放ち続けた。

■影響力は否定できず
1980年代初頭、彼は突如として登場した。多くの人が初めて彼を目にしたのは、映画『ロッキー3』で“究極の男”サンダーリップスとしてロッキー・バルボアと対戦した場面だった。ホーガンはロッキーを雑に投げ飛ばし、ミッキーとエイドリアンが恐怖に震えるシーンだ。
ハリウッド進出は、当時のWWFでの職を失う原因となった。(団体側は出演を望んでいなかった。)しかし「ハルク・マニア」は勢いを増し、彼は復帰した。熱狂は頂点に達し、1985年4月には『スポーツ・イラストレイテッド』の表紙を飾った。腕を曲げ、手を広げ、まるで架空の蛮族が門を叩いているかのようだった。
伝統主義者たちは猛反発した。「プロレスは本物のスポーツじゃない!ホーガンがサンディ・コーファックスやモハメド・アリ、カリーム・アブドゥル=ジャバーと同じ殿堂に入るなんてありえない!」
私自身も、プロレスのイベントが主要なスポーツメディアで真剣に扱われているのを見ると、同じような疑問を抱く。「メディアが本当にこれを取り上げるのか…?」
それでも、プロレスの影響力は否定できず、ホーガンがその成長期に完璧なタイミングで登場したことも事実だ。彼は、プロレスがローカルな娯楽から世界的な現象へと変貌する流れに乗り、ビンス・マクマホンの積極的な拡大戦略の象徴的存在となった。彼らは、メディアの生態系を誰よりも巧みに活用し、プロレスの世界を築き上げた。

■彼は今も私たちの中に存在している
ホーガンは、古典的なプロレスの概念を理解していた。「目立つには、突飛であること。聞いてもらうには、大声を出すこと」
それが愛される理由になれば最高だが、たとえ嫌われても、注目されることには変わりない。
このような意図的な演出――レスラーたちが「ワーク」と呼ぶもの――は、今やスポーツ界では当たり前だ。注目を集め、名前を売り、金を稼ぐために騒ぎを起こすアスリートは珍しくない。今ではあらゆる職業に浸透している。
かつてはメディアこそが、その世界の演出に不可欠なパートナーだったが、今ではデジタルツールを使えば自分自身で発信できる。
インフルエンサー、ビジネス界の対立者、メディアの炎上屋、SNSの演出合戦、そしてテレビの“リアリティ”番組という名の非現実的なコンテンツ…そのすべてに、少しずつプロレスの要素が混じっている。
時計の針を戻す手段は、もう存在しないのかもしれない。静けさへの渇望はあるが、もはや繊細さや文脈、専門性に居場所があるのかはわからない。アルゴリズムは「音量」を評価し、文化もそれに従う。私たちはその騒音の中に巻き込まれている。
ハルク・ホーガンはこの世を去った。しかし、彼は今も私たちの中に存在している。


