おじの幸福食堂 第39話:汁物のお祭りと人生の縮図、そして選ばれし者の豚汁
この物語は、一人暮らしのおじさんの食卓に希望の光を灯し続けてくれる彼女への感謝をカタチにした物語です。
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いきなりだが、今日の差し入れは「豚汁」である。
トン汁と呼ぶべきか、それともブタ汁と呼ぶべきか? まあ、そんな些細なことはどちらでもいい。
豚汁という料理が持つ最大のイメージは、圧倒的な「温かさ」だ。
厳しい寒さの中や、何かの災害で被災した時、大きな鍋で炊き出される豚汁は、文字通り人々の「命を繋ぐ」食べ物である。
今日のタッパーの中には、豚肉、たっぷりの根菜、そして俺の大好物であるこんにゃくたちが、味噌という偉大な発酵調味料の海で綺麗にまとめ上げられていた。
俺は常々、この豚汁という料理をひと言で形容するなら「汁物のお祭り」だと言いたいと思っていた。
豚肉、大根、蓮根、牛蒡、こんにゃく、豆腐、ネギ。それぞれ全く違う主役級の食材たちが、器の中で「わっしょい、わっしょい!」と賑やかに騒ぎ出し、それを味噌という懐の深いまとめ役が、ひとつの熱狂として見事に形にしている。そんなイメージだ。
しかし、ある時、別の人が豚汁についてこんな風に表現しているのを耳にした。
『具材という名の「個性」が、味噌という名の「調和」でひとつに溶け合う、寛容のスープ』
お祭りの賑やかさも確かにあるが、それぞれ全く違う食感や風味を持つ根菜や豚肉が、味噌という懐の深い存在に包まれて、最終的に一つの丸い味としてまとまっていく。その姿はまるで、バラバラな個性が集まって大きな優しさに変わる「人生の縮図」のようにも思えます、と。
……人生の縮図。
深い。俺の「汁物のお祭り」という単純な形容詞より、遥かに深い。
またしても、完敗である。
こうして一人暮らしのおじさんは、立派な施設長という肩書きの裏で、自分の知識のなさと感性の乏しさを思い知らされる毎日なのだ。
だが、だ。
どれほど気の利いた言葉で表現できなくても、圧倒的な事実が一つだけある。
この、最高に温かくて美味い、彼女が作ってくれた「人生の縮図」を独り占めして胃袋に収めることができるのは、世界中で唯一、選ばれた俺だけだということだ。
一口すするたびに、大地の栄養と優しい味噌の香りが、疲れた身体の隅々まで染み渡っていく。言葉の勝負には負けたが、幸福度においては間違いなく俺の圧勝だ。
今日も、最高に幸せだった。
ありがとう、豚汁。そして、作ってくれた彼女へ。
温かいお祭り騒ぎを腹の底に詰め込んで、明日もまた、俺は俺の戦場で頑張れそうだ。
