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おじの幸福食堂 第57話:命懸けの根曲がり竹と、おにぎりが描くミレーの『落穂拾い』

この物語は、一人暮らしのおじさんの食卓に希望の光を灯し続けてくれる彼女への感謝をカタチにした物語です。

     * * *

今日の差し入れは「たけのこご飯」だ。
しかも、ただお茶碗によそうのではなく、俺が手軽に食べられるようにと「おにぎり」の形にして届けてくれた。

聞けばこのたけのこは、彼女のお母様がわざわざ山に入って獲ってきたものだという。

北海道のたけのこといえば、笹藪の中に生える「根曲がり竹」である。
見通しの悪い笹藪を掻き分けて進むため、必然的にヒグマとの遭遇率が格段にアップする。
昨今の連日報道されるクマ事情を考えれば、これはまさに「命懸けの山菜採り」である。
お母様の勇気と労力に、まずは深く頭が下がる。

さらに、根曲がり竹は下処理も途方もなく手間がかかる。
鮮度が落ちるとアクや苦味が出やすいため、収穫後の迅速な処理が絶対条件だ。
茹でて、冷まして、硬い皮を一枚一枚剥いて……
幾つもの面倒な工程を経て、初めて「食べられる状態」になる。

そんな命懸けと手間暇の結晶であるたけのこを、彼女はにんじんとちくわと一緒に炊き込んでくれた。

具材はシンプル。
しかし、だからこその味がそこにある。
丁寧に下処理されたたけのこは驚くほど柔らかく、アクも苦味も一切ない。
おそらく、彼女が守る小さな子供でも美味しく食べられるようにと、極限まで優しく工夫されているのだ。

一口、おにぎりを頬張る。

……またしても、俺の貧相なボキャブラリーではこの奥深い美味しさを適切に表現することができない。

前回のあら汁は「音楽」だった。
ならば、このたけのこご飯を「絵画」に例えてみたらどうだろうか?

頭に浮かんだのは、バルビゾン派の写実画。
中でも、ジャン=フランソワ・ミレーの『落穂拾い』に近いものがある。

このおにぎりには、決して派手さはない。豪華な金箔も、煌びやかな輝きもない。
でも、そこには人間のひたむきな労働と、自然への深い敬意が静かに、そして確かに刻み込まれているのだ。

にんじんの橙、ちくわの白、そして根曲がり竹の淡い黄。

色数は少なく、構図も極めて質素だ。
しかし、キャンバス(おにぎり)を前にして口に運んだ瞬間、その絵がはっきりと「語りかけてくる」のがわかる。

ミレーが農民の姿を過剰に理想化せず、ありのままの労働の尊さを描いたことと、このおにぎりはどこか重なる。

飾らない。誤魔化さない。でも、そこには母から娘へ、そして小さな命へと受け継がれる確かな愛情と、素材を活かし切る料理の技術がある。

命懸けの自然の恵みと、世代を超えた愛が詰まった質素で偉大な名画。
今日も心震える幸せをありがとう。

ごちそうさまでした。

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