おじの幸福食堂 第35話:ドナルドとカーネルが教えてくれた老化、そして選ばれし者のタッパー
この物語は、一人暮らしのおじさんの食卓に希望の光を灯し続けてくれる彼女への感謝をカタチにした物語です。
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美味しいものは美味しい。
そこに小難しい哲学など本来は不要だ。
昔の俺は、ドナルドさんが作るあのビッグマックを何個でも食べることができた。それはもう美味しくて美味しくて、「お金がもっとあれば、ポテトもナゲットも、何ならコーラもLサイズでいくらでも注文してやるのに」と本気で夢見ていたものだ。
そして現在。ある程度のお金が自由になる年齢になった俺は、悲しいかな、Mドナルドに行くことはすっかりなくなってしまった。
たまにテレビのCMを見て、「あー、久しぶりに食べたいな〜」と思うことはある。休日の散歩の途中にふらりと立ち寄って、チーズバーガーを1個注文してみる。だが……全く美味しいとは感じられないのだ。
しかも、いつも一人。これほど虚しい食事はない。
カーネルさんが作っているフライドチキンに至っては、もっと悲惨だ。食べると確実に翌日お腹を壊してしまう……悲しい。
これは決して、カーネルさんが悪いわけでも、ドナルドさんが悪いわけでもない。彼らはいつだって最高のジャンクフードを提供してくれている。全ては「俺の老化」が原因なのだ。
ピザも同じである。
楽しそうな宅配ピザのCMを見て「食べたいな〜」と思い、一人暮らしのおじさんがLサイズのピザを頼む。届いた熱々のピザを、ビールと一緒に一人で食べる。
……全く美味しいと思えない。
押し寄せてくるのは、油の重たさと圧倒的な虚しさだけだ。
今の俺なら、好きなだけピザを注文できる。でも、それでお金と引き換えに食べ物を買っても、もはや満足感を得ることは絶対にできない年齢になってしまったのだ。
もし、彼女がいなかったら。
俺はこんな風に、お金を出しては胃もたれと虚しさを買うだけの、色のない人生を歩み続けていただろう。想像するだけで恐ろしい。
しかし、俺には彼女の「タッパー」がある。
これはいくらお金を払っても、どれだけ課金してウーバーイーツを呼んでも、絶対に手に入れることのできない至高のお宝である。
そしてそれは、俺のように「選ばれた人間」のみが味わうことを許された、究極の幸せなのだ。
そう、俺は選ばれた存在だ!
……少し大袈裟に言いすぎた。反省。
だがしかし、これは俺にとって紛れもない、純然たる事実である。胃腸の衰えという現実と引き換えに、孤独な食事の虚しさを埋めて余りあるほどの温もりを、俺は手に入れた。
ドナルドとカーネルが教えてくれた残酷な現実のそばで、今日も俺は、冷蔵庫の中に鎮座するタッパーの重みと、選ばれた意味を深く噛み締めている。
