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タロットが教える、「話が通じない人」は本当に分かり合えないのか——カップ2逆と節制が示す、通じなさの正体


今日は、「話が通じない人」について書くわ。

何度説明しても伝わらなくて、
心のなかで、小さく「は?」とつぶやいてしまう——
そんな相手が、あなたにもいるでしょう。

先に、言ってしまうわね。

分かり合えないのは、
相手のせいでも、あなたのせいでもないの。

「完全に分かり合えるはず」という思い込みが、
その苛立ちを、生んでいるのよ。

言葉が通じないって、
ほんとうは、いちばん静かな孤独だものね。


あなたにも、こういう経験がなかったかしら

同じことを、もう三回も言った。

なのに、まったく違うふうに、受け取られる。

家族。同僚。いちばん近いはずの、あの人。

「どうして、こんなことが伝わらないの」

喉まで出かかった言葉を、飲み込む。

同じ日本語を、話しているはずなのにね。

ましてあなたのように、
先回りして相手を分かろうとしてきた人は、
分かってもらえないことに、人一倍、すり減るのよね。

こんなに分かろうとしているのに、なぜ——
その「なぜ」が、夜に、ぐるぐると回る。

伝わらなかった言葉ほど、
自分のなかに、澱のように溜まっていくのよね。


「話が通じない」の正体

多くの人は、それを「相性」や「向こうの鈍さ」のせいにするの。

でも箋は、そこじゃないと思っているのよ。

同じ言葉を使っていても、
その言葉の下に敷かれた「前提」が、違うの。

あなたの言う「大丈夫」と、
あの人の「大丈夫」は、重さがちがう。

あなたの「ふつう」は、
あの人の「ふつう」じゃない。

通じなさの正体は、語彙じゃなくて、前提のズレなのよ。

人は、それぞれ違う家で、違う痛みを抱えて育つでしょう。

だから、同じ「愛してる」も、同じ「平気」も、
心のなかの辞書では、別の意味に翻訳されているの。

あなたが必死で渡している言葉は、
あの人の辞書では、違う単語に置きかわってしまう。

苛立つのは、あなたの愛が足りないからじゃないわ。
「同じ辞書のはず」と信じている分だけ、
ズレた瞬間の落差が、大きくなるだけなのよ。

そして、「分かり合える関係こそ、いい関係」という理想が、
そのズレを、まるで失敗みたいに感じさせるの。

でも、ズレているのは、二人の優劣じゃない。
ただ、立っている場所が、ちがうだけなのよ。


荘子が見抜いていたこと

荘子が、橋の上で魚を見て言ったわ。

「魚が悠々と泳いでいる。あれが、魚の楽しみだ」と。

友人の恵子が、すかさず返すの。

「君は魚じゃない。どうして魚の楽しみが分かる」と。

これは、「分かり合えなさ」の、完成された理屈よ。

あなたは私じゃない。だから、分からない——
論理だけで詰めれば、たしかに、そのとおり。

でも荘子は、その理屈の外で、こう答えるの。

「私は、この橋の上で、ちゃんと分かったのだ」と。

前提のちがう者どうしは、
理屈だけでは、橋が架からないわ。

それでも、論理を飛び越えて「分かる」瞬間が、
ふいに、訪れることがある。

「分かる」は、勝ち負けの外側で、
そっと起きるのよ。

理屈で相手を言い負かすことと、
分かり合うことは、別の場所にあるの。


カップ2逆が示しているもの

カップ2は、ふたりが杯を交わす、調和のカード。

その逆位置が、今日の一枚。

箋はこう読む。

逆になったカップ2は、「もう愛がない」じゃないのよ。

注ぐタイミングと、杯の向きが、
まだ、噛み合っていないだけ。

あなたが注ぐとき、相手の杯は、別を向いている。
相手が差し出すとき、あなたは、下を向いている。

すれ違っているけれど、
杯は、まだ二つとも、そこにあるの。

投げ捨てられても、割られてもいない。
ただ、向きを直すための時間を、待っているだけなのよ。


節制が示しているもの

節制のカードには、
天使が、ふたつの杯のあいだで、
水を静かに行き来させている姿が描かれているわ。

箋はこう読む。

通じなさは、欠陥じゃなくて、配合の途中なの。

性質のちがう二つの水は、
振っても、すぐには混ざらない。

でも節制の天使は、急がないのよ。

混ざるまでの時間そのものを、
こぼさず、ただ静かに、抱えている。

無理に、同じ水にしようとはしないの。

ちがう二つのままで、行き来させ続けると、
やがて、どちらでもない、第三の味が生まれる。

分かり合うって、たぶん、そういうことなのよ。

相手をそっくり同じにすることじゃなくて、
ちがうまま、となりで、揺れていられること。


今日、問いを一つ置いていくわ

だから、もう「分からせよう」と、
相手を変える戦いから、降りていいの。

あなたの「分かってほしい」も、
あの人の世界には、すぐには届かない。
それは、おたがいさまなのよ。

今日は、ひとつだけ問いを置いていくわ。

その人と、何もかも完全に分かり合う必要が、
本当に、あるのかしら。

全部は、分からなくていいの。

分かろうとし続ける、その横顔だけで、
もう、相手にはちゃんと届いているわ。

ただ、橋の上で、ほんの一瞬、
「あ、分かった」が起きる——

その一瞬のために、隣にいられたら、
それは、もう、奇跡みたいなことなのよ。

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