世界の偉人シリーズ|第14話 鮎川義介 日産コンツェルン創設者・日本最大級の工業王国を築いた男
世の中には、
会社を作る経営者がいる。
しかし稀に、
「産業そのもの」を作ろうとする人間がいる。
工場一つではない。
商品一つでもない。
鉄
機械
自動車
化学
金融
輸送
それら全部を繋ぎ、
国家の形そのものを変えようとする。
彼は、その側の人間だった。
しかも面白いのは、
彼が単なる財界人ではなかったことだ。
現場へ行き、
油にまみれ、
工場で働き、
アメリカの大量生産を見て震えた。
そして思った。
「このままでは、日本は工業で負ける」
ここから、
彼の巨大な挑戦が始まる。
鮎川義介
日産コンツェルン創始者。
日本の重工業・自動車産業の基盤を築いた人物の一人。
1880-1967|日本産業株式会社(日産)創設者。
【名門出身だった】
鮎川義介は、
山口県の名家に生まれる。
親族には、久原房之助がいた。
後の、
・久原鉱業
・日立鉱山
・日立製作所
へ繋がる巨大実業家である。
鮎川は、最初からエリート側の人間だった。
当時、東京帝大卒業生の王道は、
・官僚
・政治家
・学者
だった。
しかし彼は違った。
彼は、
「机で国家は強くならない」
と考えた。
だから工場へ行く。
ここが、
鮎川義介という人物の異常さだった。
【アメリカで「工員」になった】
さらに面白いのは、
彼がアメリカへ渡った時である。
普通の視察ではない。
彼は、
実際に工場労働者として働いた。
英語も完璧ではない。
生活も苦しい。
しかし彼は、
現場を見たかった。
そして、
フォード式大量生産を目撃する。
巨大工場
流れ作業
機械化
圧倒的生産力
その時、彼は衝撃を受ける。
「これは戦争に勝てない」
単に、
「儲かりそう」
と思ったのではない。
国家レベルで危機感を持ったのである。
【彼が見ていたのは「産業の接続」だった】
帰国後、
鮎川は戸畑鋳物を創業する。
現在の日産グループの源流である。
しかし彼の発想は、
普通の経営者と違った。
普通は、
「一つの会社を強くする」
ことを考える。
しかし鮎川は違った。
彼は、
・鉄
・機械
・自動車
・化学
・金融
・鉱山
を全部繋げようとした。
彼は、
「産業は点ではなく、線で作る」
と考えていた。
これは現在で言う、
サプライチェーン構想
産業クラスター構想
に近い。
しかも昭和初期に、
それをやろうとしていたのである。
【「日産」は正式名ではなかった】
持株会社の名前は、
「日本産業株式会社」だった。
しかし新聞の株式欄では長すぎた。
そこで略称として使われたのが、
「日産」
だった。
つまり「日産」は、
最初からブランド戦略で生まれたわけではなく、
極めて実務的に生まれた名称だったのだ。
【異常な品質主義】
戸畑鋳物時代、
鮎川はかなり苦しむ。
・技術不足
・品質問題
・資金難
・人材不足
当時の日本は、
まだ高度な工業技術が弱かった。
しかし彼は妥協しない。
品質に異常に厳しい。
職人が、
「こんな精度は無理です」
と言っても引かなかった。
しかも、
かなり怖い経営者だったと言われる。
論理的
数字にも厳しい
完璧主義
だから現場は恐れた。
しかし一方で、
彼は技術者を非常に大切にした。
営業より、
工場
設計
生産技術
ここから、
後の日産系企業に残る、
「技術屋が強い文化」
が形成されていく。
【満州で「国家実験」を始める】
鮎川、最大の挑戦。
それが満州だった。
彼はここで、
巨大工業地帯を作ろうとする。
しかも規模が異常だった。
・製鉄
・自動車
・化学
・発電
・鉄道
を全部繋ぐ。
彼は、
「工業国家そのもの」
を設計しようとしていた。
しかしここで、
彼は戦争と政治へ飲み込まれていく。
軍部
国際情勢
国家戦略
理想は巨大だった。
しかし時代は、それを許さなかった。
【国家レベルで成功し、国家レベルで失敗した】
鮎川は、普通の失敗をしていない。
彼は、
「国家規模」で挑戦し、
「国家規模」で失敗した。
戦後、
財閥解体対象となり、
日産コンツェルンも崩れていく。
後年、
彼を批判する声も多かった。
だが一方で、
GHQ関係者の中には、
「この男は本物の産業人だ」
と評価する者もいたという。
なぜか?
彼が単なる投機家ではなかったからである。
本気で、日本の工業化を考えていた。
【「技術は買うな、育てろ」】
鮎川の大きな成功の一つ。
それが、「国産技術への拘り」だった。
当時の日本企業は、
欧米技術へ強く依存していた。
機械も、
モーターも、
製造設備も、
「外国製の方が高性能」
という時代である。
日本企業の多くは、
「海外技術を輸入する」
発想だった。
しかし鮎川は違った。
彼は、
「技術は買うものではない。
育てるものだ」
と考えていた。
その象徴が、
日立製作所へ繋がる技術育成である。
当時、
久原鉱業の日立鉱山では、
外国製機械の故障が多かった。
修理費も高い。
納期も遅い。
そこで鮎川は、
技術者たちへ言う。
「自分たちで作れないのか」
普通なら無理だった。
当時の日本は、
まだ重電技術が弱い。
しかし彼は、
技術者へ挑戦させた。
失敗する。
また壊れる。
改良する。
その繰り返しだった。
しかしこの積み重ねが、
後の日立製作所の技術力へ繋がっていく。
つまり鮎川は、
単に工場を増やしたのではない。
「日本人技術者が、
自分たちで作れる構造」
を育てたのである。
ここが重要だった。
もし彼が、
「外国製を買えばいい」
と考えていたら、
日本の重工業成長はもっと遅れていた可能性が高い。
鮎川の本当の成功は、
単なる企業利益ではない。
「日本の技術自立」
を早めたことだったのである。
【彼が変えたもの】
鮎川が変えたのは、
単なる企業ではない。
日本の工業化速度そのものだった。
もし彼のような人物がいなければ、
・自動車産業
・機械産業
・重工業
の成長は、
もっと遅れていた可能性が高い。
彼は、利益だけを追った経営者ではない。
むしろ、
「工業国家を設計した男」
だった。
【戦っていた相手】
鮎川が戦っていたのは、
単なる競合企業ではない。
本当に戦っていたのは、
・日本の工業力不足
・小規模生産体質
・技術軽視
・国家の脆弱さ
・「日本には無理」という空気
だった。
彼は、アメリカの工業力を見てしまった。
だから分かっていた。
工業力の差は、
そのまま国家の差になる。
だから彼は、
一企業経営では満足しなかった。
鉄を作る。
機械を作る。
自動車を作る。
金融を繋ぐ。
つまり彼は、
「産業構造そのもの」
と戦っていたのである。
【これは戦略だったのか】
結果だけ見れば、巨大財閥形成の成功譚。
だが彼には、かなり明確な型がある。
・現場へ潜り込む
・技術を最優先する
・産業を線で考える
・国家単位で発想する
・海外から構造を学ぶ
・大量生産を先読みする
・組織を巨大接続する
・理想へ異常な執念を持つ
極めて構造的である。
しかも面白いのは、
彼が単なる財界人ではなかった点だ。
むしろ、工場と機械を異常に重視する
「現場の工業人」だった。
だから彼は、
鉱山
↓
鉄鋼
↓
機械
↓
自動車
↓
輸送
↓
国家産業
を、一つの流れとして見ていた。
これは単なる会社経営ではない。
「産業連結」
そのものだったのである。
しかも彼は、目先の利益だけを見ていない。
・日本は工業国にならなければ生き残れない
・重工業が国家を支える
・技術を持たない国は弱い
そこまで見ていた。
だから彼は、工場を単なる生産設備ではなく、
「国家のエンジン」
として見ていたのである。
【まとめ】
鮎川義介は、
派手なカリスマでも、
大衆的人気経営者でもない。
むしろ、
「日本を工業国家へ変えようとした男」
だった。
だから彼は、
・鉄
・機械
・自動車
・金融
・化学
を全部繋ごうとした。
彼が見ていたのは、
一企業の利益ではなく、
国家の未来だった。
そして重要なのは、
彼が最初から成功者だったわけではない点である。
油まみれになり、
工場で学び、
アメリカで震え、
失敗し、
国家規模で賭けた。
だから鮎川義介は、
「日産創業者」
というより、
「日本の工業文明を加速させた人」
として見ると、
非常に人間臭く、
そして異様にスケールの大きい人物なのである。
次回予告
世界の偉人シリーズ|第15話 出光佐三
出光興産創業者
こちらが投稿記事インデックスです。
ご関心がある記事があれば是非ご覧ください。
投稿記事インデックス ★こちらで関心ある記事をお探し頂けます
投稿記事インデックス#2 ★シリーズ毎の閲覧メリットを説明しています
孫子の兵法シリーズ目次 ※全42話が確認頂けます
三十六計シリーズ目次
世界の偉人シリーズ|インデックス
いいなと思ったら応援しよう!
もしよろしければ応援をお願いいたします。いただいたチップはクリエイター活動費に使わせていただきます!ありがとうございます。
