世界の偉人シリーズ|第16話 渡邊祐策 宇部興産創業者・炭鉱の町を日本有数の工業都市へ変えた男
世の中には、
資源で成功した人は多い。
炭鉱王
鉱山王
石油王
しかし、
「資源はいずれ尽きる」ことを前提に、
次の産業まで育てた人は少ない。
しかもそれを、
東京でも大阪でもない。
地方都市でやった。
山口県宇部。
当時は、小さな炭鉱町に過ぎなかった。
しかし後にそこは、
・化学
・機械
・セメント
・電力
を持つ、日本有数の工業都市へ変わっていく。
そして、地方都市でも世界級企業を創れることを証明した。
彼は単なる炭鉱経営者ではない。
「地方は、自分たちで未来を作らなければならない」
そう考え続けた、
極めて執念深い現場人間だった。
渡邊祐策
「有限の鉱業から無限の工業へ」を掲げ、
地方産業モデルそのものを変えた人物。
地方工業化。炭鉱町を総合工業都市へ変えた男。
1864-1938|宇部興産(現、UBE)創業者の中心人物。
【武士だった家が崩壊した】
渡邊は、長州藩の下級武士の家に生まれた。
しかし時代は、明治維新。
武士の時代が終わる。
彼は、
昨日まで武士。
今日から無職。
という世代だった。
家計は苦しくなり、
教師を目指していた夢も断念。
役場勤め、農業、雑務。
生活のため、
何でもやるしかなかった。
ここで彼は、
非常に重要な現実を見る。
地方は、誰も助けてくれない。
中央は地方を救わない。
ならば、自分たちで産業を作るしかない。
この感覚が、
後の宇部興産の原点になる。
【実はかなり学者肌だった】
炭鉱王というと、
豪快な親分肌を想像されやすい。
しかし祐策は、かなり勉強家だった。
若い頃は、陽明学系の私塾で学び、
思想書を読み込んでいた。
特に影響を受けたのが、
「知っているだけでは意味がない。
実行しろ」
という思想だった。
そのため彼は、理屈だけの人間を嫌った。
現場へ行く。
実際に見る。
自分で確認する。
UBEに今も残る、
・現場主義
・実践主義
・技術重視
は、渡邊祐策の性格そのものなのだ。
【宇部の石炭が、外へ奪われていた】
当時の宇部では、石炭が採れていた。
しかし問題があった。
利益が、地元へ残らない。
採掘権は、外部資本に握られていたのである。
宇部には、資源はある。
しかし豊かにならない。
という構造だった。
これに渡邊たちは強い危機感を持つ。
「宇部の資源は、宇部の人間で守る」
そして1897年、
共同出資で「沖ノ山炭鉱」を立ち上げる。
これが、後の宇部興産へ繋がっていく。
【海の下を掘る】
しかし、この炭鉱が異常に難しかった。
海底炭鉱だったのである。
つまり、海の下を掘る。
当然、
・浸水
・崩落
・ガス爆発
・設備故障
が頻発する。
ポンプが止まれば、炭鉱が水没する。
現在の感覚なら、かなり危険な事業だった。
しかも当時は、技術も未熟。
そのため渡邊は、
夜中でも現場へ飛び出していったと言われる。
彼は、机上の経営者ではなかった。
炭鉱の親方に近い。
ここが、後のUBE文化へ強く影響する。
【修理できないなら、自分で作る】
UBEらしさが最も出ている話がある。
炭鉱機械が壊れる。
しかし宇部には、修理工場がない。
普通なら、外部へ依頼する。
しかし渡邊は違った。
「待っていたら炭鉱が止まる」
そこで、自分たちで鉄工所を作ってしまう。
これが、後の宇部新川鉄工所。
UBEの機械事業は、「困った」から始めたのである。
これはかなり面白い。
戦略コンサル的発想ではない。
現場で困った。
だから自分で作った。
極めて現場発の産業化だった。
【彼が本当に凄かった部分】
しかし、渡邊の本当の凄さは、ここからだった。
普通の炭鉱経営者なら、
・石炭価格
・採掘量
・炭鉱拡大
だけを見る。
だが渡邊は違った。
彼はかなり早い段階で、
「石炭はいずれ尽きる」
と考えていた。
これが異常に早い。
しかも、炭鉱が儲かっている時に、
既に次を考えていた。
だから利益を、
・セメント
・化学
・電力
・機械
・鉄道
・港湾
・銀行
へ回していく。
彼は、炭鉱王をやりたかったのではない。
地方産業都市そのものを作ろうとしていた。
ここが、渡邊最大の特徴だった。
【会社だけ儲かればいい、ではなかった】
渡邊は、企業だけが儲かることを嫌った。
彼が掲げたのは、
「共存同栄」
という思想だった。
企業と地域は、一緒に発展しなければ意味がない。
だから彼は、
・道路
・港
・学校
・文化活動
・インフラ
へも金を使う。
結果、宇部は単なる炭鉱町ではなく、
工業都市
へと変貌していく。
これは実は、かなり珍しい。
日本には、資源で一時的に栄えた町は多い。
しかし資源が尽き、衰退した町も多い。
その中で宇部は、
炭鉱町
↓
工業都市
↓
化学・機械都市
へと変化した。
これは、渡邊が、
「次の産業」
を見続けていたからである。
【豪胆だが、極めて現実的】
渡邊は、夢想家ではない。
むしろ、かなり現実主義だった。
・地方は弱い
・技術が足りない
・資源は尽きる
・中央依存では生き残れない
そこを冷静に見ていた。
だからこそ、
「地方でも産業を持たなければならない」
と考えた。
しかも彼は、
単独支配型ではなく、共同出資を重視した。
みんなで地域を守る。
その思想だった。
ここが、後のUBEに残る、
・協調性
・現場重視
・地域密着
・長期視点
へ繋がっていく。
【宇部の神様】
後年、渡邊は、
「宇部の神様」
と呼ばれるようになる。
しかし本人は、派手な人物ではなかった。
豪邸を建てるより、
・学校
・港
・道路
・文化施設
へ金を使った。
現在でも宇部には、
・渡辺翁記念会館
・銅像
・文化事業
などが残る。
これは単なる企業創業者ではなく、
「都市を作った人物」
として扱われている証拠でもある。
【戦っていた相手】
渡邊が戦っていたのは、
競合炭鉱だけではない。
本当に戦っていたのは、
・地方衰退
・中央依存
・資源依存
・産業空洞化
・「地方には無理」という常識
だった。
だから彼は、
炭鉱を作り、
鉄工所を作り、
化学へ広げ、
港を整備し、
工業都市そのものを育てた。
UBEがやったのは、
単なる炭鉱経営ではない。
「地方産業革命」
だったのである。
【これは戦略だったのか】
結果だけ見れば、
UBEという巨大企業の成功譚。
しかし中には、かなり強い型がある。
・地方目線で考える
・現場問題を放置しない
・困ったら内製化する
・資源依存を警戒する
・好況時に次へ投資する
・企業だけでなく地域も育てる
・短期利益より産業構造を見る
非常にUBEらしい構造である。
しかも面白いのは、
彼が単なる「炭鉱経営者」ではなかった点だ。
普通なら、
石炭
↓
採掘拡大
↓
利益最大化
を目指す。
しかし渡邊は違った。
彼はかなり早い段階で、
「石炭はいずれ尽きる」
と考えていた。
だから彼は、
石炭で得た利益を、
・化学
・機械
・電力
・鉄道
・港湾
へ投資していく。
つまり彼は、
炭鉱
↓
工業
↓
インフラ
↓
産業都市
↓
地方自立
という流れを見ていた。
彼が作っていたのは、
単なる炭鉱会社ではない。
「地方産業構造」
そのものだったのである。
さらに特徴的なのは、
企業だけが儲かればいい
という発想ではなかったことだ。
道路を作り、
港を整備し、
学校を支援し、
地域へ利益を戻した。
つまり彼は、
会社
↓
地域
↓
産業
↓
雇用
↓
地方の未来
を、一体で考えていた。
だから宇部は、
単なる炭鉱町で終わらなかった。
炭鉱町
↓
工業都市
↓
化学・機械都市
へ変化できたのである。
そして実際に、
地方でも世界級企業は作れることを証明した。
これは、
戦前〜戦後日本の地方産業史の中でも、
かなり特異な成功例だった。
【まとめ】
渡邊祐策は、
華やかな財閥創業者ではなかった。
むしろ、
地方の危機を見続けた現場人間だった。
だから彼は、石炭を掘るだけで終わらず、
・機械
・化学
・電力
・インフラ
へ広げていった。
その結果宇部は、小さな炭鉱町から、
日本有数の工業都市へ変わっていく。
現在のUBEにも、どこか「現場臭さ」が残っている。
それは恐らく、創業者自身が最後まで、
「地方はどうすれば生き残れるか」
を考え続けた人だったからである。
周囲からは、
「なぜ儲かっている炭鉱以外に金を使うのか」
と理解されなかった。
しかし彼は、「石炭はいずれ尽きる」を見抜いていた。
晩年、宇部の町には煙突が立ち並び、
地方の小炭鉱町は、日本有数の工業都市へ変貌し始めた。
渡邊は1938年に亡くなるが、その4年後、
彼の事業群は統合され、 UBE となる。
彼が残したのは、単なる会社ではなく、
「地方でも未来は作れる」
という希望そのものだった。
次回予告
世界の偉人シリーズ|第17話 井上貞治郎
レンゴー創業者
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