【心】この世で、白黒はっきりつけない方が楽なのではないでしょうか。
最近、あらゆる面で「正解」を求めている人が多いように感じています。
何をしたら、上手くいく。何かをするには、こうあるべきだ。
など、元々あった二元論的な考えが、AIの発展と共に、「自分の正解」ではなく「情報の正解」を求めるようになっていっているような風潮が、あるなと感じるようになっています。
私自身は、「情報の正解」でも、「自分の正解」でも、どちらの考えがあってもいいと思っていますが、あまりにも正解、不正解を区別する様な考え方になってしまうと、自分自身を苦しめてしまう。
そんな、思考が育っていってしまうのではないのでしょうか。
私自身も少し前までは、白黒をはっきりさせたい性分でした。
何かをしていなければいけない。何かをしていたらそれは正しい。
そんな考えを持ちながら、生活をしていました。
しかし、自分の中で正しいと思っていたことが、ある日を境にできなくなったとき、自分の中の正しさが、一気に無に葬り去られました。
自分の中の正しいと思うことができなくなると、こうも心が苦しいのかと。
こうも、自分を否定するようになってしまうのかと。
自分で自分を責めました。責め続けました。
それからしばらくして、ふと気づいた事があります。
「物事に、白黒つけない方が生きる上で楽だ」と。
自分が正しいと思うこと、社会が正しい、他人が正しいと思う事。
全てに、善悪の二つだけで判断するのは、あまりにも視野を狭め、心を閉ざしてしまう事なのだと感じるようになったんです。
そもそも、生きている中で、善悪で区切れないことの方が圧倒的に多いです。
ただ、本を読むにしても色んな本の読み方をする人がいるように、人の数だけ考え方と言うのは存在します。
その中で、何が正解と言えるのか。
何が、不正解と言えるのか。
ありとあらゆる情報ソースから、この様な解釈が一般的です、とAIが提示してくれても、自分にしっくり来なければ、それは不正解になるのでしょうか。
頭がくしゃくしゃになりそうですが、それくらい「正解、不正解」の区切りをつけるのは難しいものだと感じるんです。
だからこそ、「こういう考えもあっていいし、こんな考えもあっていいよね」
と言う白黒ではなく、中和したグレーグラデーションの考え方を大切にしていければ良いのではないかなと感じます。
更に付け加えるなら、「こんな自分でいなきゃダメだ」と言う考えも、中和してあげることで、「こんな自分だけど、こんな自分もあって良いよね」
と、責める自分を少しずつ解いてあげられる考えになってくれると信じています。
白黒に分けすぎず、自分の心が穏やかになる。
軽くなる考え方が最終的には自分の正解に近いものになるのではないかなと感じます。
それを決めるのは、機械でもなければ、他人でもない、自分自身の心です。
ここまでお読み頂き有り難うございました。
また、次回のnoteでお会いしましょう!
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