​「イジメがややこしくなったのは、被害者が声を上げたからじゃない」——隠蔽と放置が作り出す“ややこしさ”の正体



​はじめに

​「イジメの問題は、被害者が騒ぐからややこしくなる」

そんな言葉を耳にしたことはありませんか?

​あたかも、声を上げた被害者が平穏を乱したかのような言い方。ですが、それは大きな間違いです。事態を複雑にし、こじらせた本当の原因は、もっと別のところにあります。

​今回は、この「ややこしさ」の正体について考えてみたいと思います。

​「ややこしさ」は、最初の一歩を間違えた結果

​物事が「ややこしく」なるのは、被害者が声を上げたからではありません。

​始まりは、最初にイジメを「なかったこと」にした瞬間にあります。

​本来、問題が起きたその時に、真摯に向き合い、事実を認め、適切に対処していれば、事態はここまで泥沼化しなかったはずです。それを、保身や面倒を避けるために蓋をしてしまった。その「最初のごまかし」が、すべての歪みの起点なのです。

​加担した「傍観者」たちの積み重ね

​事態をここまで深刻にしたのは、直接的な加害者だけではありません。そこには、何層にも重なった「沈黙」と「拒絶」があります。

​見て見ぬふりをした人

「関わりたくない」と目を逸らした瞬間、その沈黙は加害への肯定に変わります。

​「大げさだ」と切り捨てた人

被害者の痛みを軽んじ、矮小化することで、助けを求める回路を断ち切りました。

​面倒を避けて放置した人

責任ある立場にありながら、解決の努力を放棄したことで、絶望を深めさせました。

​これら全員が積み上げてきた「不誠実のツケ」が、今の修復困難な“ややこしさ”となって現れているのです。

​被害者は「平穏を乱した」のではなく「真実を伝えた」だけ

​被害者が声を上げる。それは、壊された平穏を取り戻そうとする必死の抵抗です。

​それに対して「騒ぎ立てるから面倒になる」と感じるのは、自分たちの「放置という罪」を突きつけられ、居心地が悪くなった人たちの勝手な言い分に過ぎません。

​声を上げた人を責める社会は、加害を助長する社会と同じです。本当に責められるべきは、声を上げなければならない状況を作り出し、それを放置し続けた側であるべきです。

​おわりに:自分の感覚を信じるために

​もし、あなたが理不尽な状況の中で「自分が悪いのではないか」「騒がないほうがよかったのか」と悩んでいるとしたら、どうか自分を責めないでください。

​ややこしくしたのは、あなたではありません。

不誠実を積み重ねてきた、周囲の大人たちや組織のあり方です。

​苦手なことや、自分を削るような人間関係から距離を置くことは、決して逃げではありません。それは、自分という大切な存在を守るための、真っ当な選択です。

​「おかしい」と感じるその感覚は、あなたが人間として正しく機能している証拠なのですから。


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