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それ、ホントに「アンチ」か?

― 反論と誹謗を、いっしょにするな。



「またアンチ湧いてるw」
「嫌なら見んなよ」
「お前みたいなやつがいるから、ネットが荒れる」

YouTubeでもXでも、誰かがちょっと異論を言っただけで、
すぐに「アンチ」認定される時代になった。

でもさ。
それって本当に“アンチ”なの?



匿名の正論は、届かない

たとえば、
「もっとテンポよく編集した方がいいかもです」
「ここの表現、誤解されやすいと思います」

こんなコメントにまで、
「うるせえアンチが偉そうに語るな」
「じゃあ自分でやれよ」
みたいな返しが飛んでくる。

いや、それ…ただの提案じゃん。
反論=悪、って決めつける空気ができすぎてる。



誹謗と批判は、違う
• 「この人の話し方、ほんとムカつく」→ 誹謗
• 「この主張は矛盾してる気がする」→ 批判
• 「根拠あるの?」→ 疑問
• 「興味ない」→ 感想

これ、ぜんぶ違う種類のコメントなんだけど、
ぜんぶまとめて「アンチ」って呼ばれてしまう。

もう、分類する気もない。
感情で一括ラベル貼ってるだけ。



「アンチ認定」は、思考停止のサイン

本来、「批判」は健全なもので、
社会も作品も人も、そこから育つはず。

それを拒絶して「アンチ!」「アンチ!」ってシャットアウトしてたら、
結局残るのは太鼓持ちの集団と、無風のぬるま湯だけになる。

それって、誰のための場所なんだろう?



伸びてる人は、「聞き分けてる」

たとえば、YouTuberのヒカル。
あの人、どんなに過激な発言しても、根強いファンを掴んでる。

なぜか?
コメント欄をちゃんと見てるから。

そして、誹謗中傷と、
・意見
・提案
・素直な感想
をちゃんと**“聞き分けてる”**から。

「確かにそれは一理あるな」とか、
「これ、次に活かそう」とか、
ちゃんと自分の中で処理して、成長に変えてる。



自分の耳で聞ける人が、残る

伸びてる人は、**「誰の声を拾うか」**を自分で決めてる。
そして、自分にとって耳が痛いことでも、一度はちゃんと耳に入れてる。

だから、変われるし、残れる。

一方で、
「全部アンチ!」「全部嫉妬!」で切り捨ててた人たちは、
そのうち更新が止まって、
気づいたら“いたよね”って話になってる。



結局、こういうこと

成功してる人は、叩かれても、聞いてる。

失敗する人は、叩かれないように、耳を塞ぐ。

聞こえるふりじゃない。
本当に、聞いてるかどうか。

その差が、コンテンツの寿命を決める。

最後まで読んでくださってありがとうございます。

このテーマについて、あなたはどう思いますか?

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KAZUYA/デビル 面白かったらコーヒー1杯おごってください。笑    次の「なんでやねん」の燃料になります。