見出し画像

謙虚な人は、いい人なんかじゃない。

居酒屋で、店員に横柄な態度を取る人、たまにいるよね。
タメ口で注文、ちょっとしたことでキレる、声がやたらデカい。

ああいうのを見ると、俺はいつも思う。

「いや、謙虚とか以前に、ただのバカじゃね?」

だって向こうは、料理作ってる側よ?
唐揚げ落として戻されても、生ビールにおしっこ入れられても、証拠なんて残らん。
もちろん、そんなことをする店も悪いけど、
“やられる可能性がある場所で、わざわざ敵を作る”って行動がもう不合理。



謙虚って、道徳じゃなくて“危機管理”

だから最近、こう思う。
「謙虚な人って、いい人だからそうしてるんじゃなくて、賢いだけ」

損したくないからそうしてるんじゃないかって。
つまり、“処世術”としての謙虚さ。
敵を作らず、トラブルを回避し、無駄なリスクを避けるための最適行動。



よく言われるよね。「実るほど、首を垂れる稲穂かな」って。
昔の人が言ったこの言葉、
一見「立派な人ほど謙虚であるべき」という“徳”の話に聞こえるけど――

現代的に読み替えると、こうじゃないか?

「実るほど、叩かれやすくなる。だから低姿勢でバレないようにしてる稲穂」

SNS社会なんて、まさにそう。
目立った瞬間に揚げ足取られて燃やされる。
低姿勢って、実は“防御スキル”でもある。



偉そうにするメリットも、ちゃんとある

もちろん、「偉そう=悪」って話ではない。
偉そうにすることが戦略的に正しい場面もちゃんとある。
• ナメられたら終わるような現場
• 初対面で主導権を取りたい交渉
• 威厳が求められるリーダーの立場
• 弱気を見せたらマウントを取られる場面

こういうときは、堂々と“偉そうさ”を出した方が、むしろ相手のためにもなる。



だからこそ、

「偉そうにしないと現場が回らない」「立場上ナメられたら終わり」って人は、
遠慮せず、堂々としてくれたらいい。

それは“悪”じゃなく、“役割”だから。



結局、一番賢いのは“使い分けられる人”

謙虚は善人の証じゃない。
偉そうなのも悪人の証じゃない。

どっちもただの**“手段”**だ。
状況によって、スイッチを切り替えられる人こそ、一番得する。



実るほど首を垂れる稲穂になれ。けど、いざという時は、ちゃんと“芯のある米”になれ。

首が下がってても、中身がスカスカじゃ意味ないからな。

いいなと思ったら応援しよう!

KAZUYA/デビル 面白かったらコーヒー1杯おごってください。笑    次の「なんでやねん」の燃料になります。