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ショートショート ねこんぶ

「お母さん、この猫ね、私の話している言葉が分かるの」

娘が、野良猫と一緒に帰ってきた。
グレーと白が混じった毛で、賢そうな顔をしている。

「そうだろうねぇ。良い顔している。
こんにちは、ねこんぶ」

猫は顔を背ける。
ねこんぶという名前はダメなのか。

「お母さん、この子の名前はアクアだよ」

それ、推しの子やな。
今ドはまりしているから、すぐその名前を使う。ちょっと気恥ずかしくて言えない。お母さんは、アクアとは呼べない。

「こんにちは。
いつも娘ちゃんと遊んでくれて、ありがとう」

猫は、じっと私の顔を見る。
にゃあと言って、どこかに行った。

「なんで、一緒に帰ってきたの?」

「知らない。ついてきたの」

その日以来、毎日娘と一緒に帰ってくるようになった。
でも、私がこんにちはと声をかけ、三秒ほど目を合わせると、すぐどこかにいなくなる。

これは、猫のお知らせではないのか?

なんだか落ち着かない。
良い知らせ?悪い知らせ?それとも……宝くじ?

その日は、様子が違っていた。
娘と一緒に帰ってきたねこんぶが、私と目を合わせない。そして、その場から動こうとしない。

とうとう、その日が来たのか。

ねこんぶは、私と目を合わせないまま歩き出した。チラッとこちらを振り返る。
私も覚悟を決めてついていく。

「娘ちゃん、お母さん、行くよ」

「え?行くってどこに?私も行くよ」

「いや、それはダメだよ。危険な場所かもしれない。お母さんだけで行く。ごめん」

「いやだよ、お母さん。私も一緒に行くよ」

二人でドラマチックな会話をしていると、ねこんぶが短くニャッと鳴いた。

「はいはい、今行きますよ……」

娘と手を繋いで、後ろを歩く。

草がぼうぼうと生えていて、風に揺られている。
「緑は目に良いわよねぇ」と思っていたら、
次第に色が変わっていき、緑から赤に、赤から黄色に、色がぐるぐる回り始めた。

「娘ちゃん、草が、草が……面倒な色になってる!」

「お母さん、この草、目が痛くなる」

「うるさーーーい!」

ねこんぶが突然大きな声を出した。

「お母さん、アクアが喋った!」

「え?ちょっと待って。お母さん、頭の中がパニック。ねこんぶの声が想像と違い過ぎる!」

「うるさーーーい!」

ねこんぶの声さ、モザイクがかかっている人の声じゃん?
ちょっと、不気味なんだけど。
お母さん、そこが怖いのだけど。

心の中で叫ぶ。
でも、また怒られるから黙る。

「あのな、どうして、ついてきてもらったか分かる?」

ねこんぶは、真っ直ぐに私を見る。
私も見つめ返す。

「どうして、それが正解だと思う?」

ねこんぶが、静かに言った。

その瞬間、
カラフルな草から色が消えた。
音が消えた。地面が無くなった。
世界は真っ白になった。

全ての境界線がなくなり、現在地が分からなくなる。

娘の手をしっかりと握る。
心臓の音がうるさい。
手を握る以外、動くことが出来ない。
呼吸のタイミングが分からない。

ねこんぶが、ニャッと短く鳴く。

一気に力が抜ける。
世界に色が戻り、音が戻り、自分が戻った。

私は、その場にへたりこんだ。

鼻で空気を吸って出す。
何度も何度も。

「じゃ、そういうことだから。またね」

そう言い残して、ねこんぶは去っていった。

私は、ドキドキしていた。
世界が無くなるって、やばいな。
おえー。吐きそう。

境界線がないって、自分がいなくなるのね。

「娘ちゃん、大丈夫だった?」
「え?なにが?」

あー、そうなの。お母さんだけなの?

「お母さん、なんでそこに座ってるの?
アクアについて行かなくていいの?」

そうだな。
ちょっと、今、動けません。
もう、ついて行かなくていいです。
心臓に悪いわ。

「お母さん、アクアと何か話していたの?」

ん?話す、というか、聞かれた?教えられた?

ねこんぶの瞳に耐えることが出来るかを、確認された。うん。これだ。

「娘ちゃん、そのまま、真っ直ぐに大きくなりなよ、って言っていたよ」

「ふーん。よく分からない」

だよねぇ。まだ分からなくて大丈夫だよ。
お母さんも、よく分からない。
分かっているつもりが、一番怖いみたい。

娘と手を繋いで帰る。
緑の草の香りを感じる。
風はソヨソヨと優しく身体に触れてくる。

ああ、色がある。匂いがある。音がある。
良いねぇ。

「お母さん、今日の月、すっごく大きいよ」

もう、月が出てるの?そんな時間?
ご飯作らなきゃ。大人は忙しいのだよ。

そっか、ねこんぶ。
とりあえず、今は世界を受け入れろ、かな?

知らんけどね。