同僚の話を素直に喜んであげられないお猪口のような器の私
職場に、我が家と同じ年齢編成のお子さんを持つ職員さんがいます。
そのお家の下の二人も、不登校を経験しています。
一人は高校に入ってからは毎日通えるようになり、彼氏もできたり、バイトを頑張ったりして、将来の夢も見つかったようです。
4月から東京の専門学校に決まったとか。
もう一人は、まだ中学生ですが、仲の良い別の学校の友達がいるため。そちらの学校に転校した所、楽しく通えるようになったそうで、今とても充実しているとの事。
やはり、状況が好転したら、親は嬉しいですので、「おかげさまで〜」なんて前置きしながら、お子さんの近況を話してくれます。
私には、それが時折、刃で滅多斬りされてるような感覚になるのです。
歳が同じで、不登校という悩みも同じだからでしょうね。
お子さんが元気になられた事は、喜ばしい事ですし『良かったねー!』と笑顔を作りはしますが、どうしても、腹の中では素直に喜んであげることができません。
その子達と我が子達には、『障害がある』『性別違和がある』という、決定的な違いがあるからなのだと思います。
うちは、どう頑張っても一生ついて回る課題がある。
これは、障害や性別違和を受け入れてる、受け入れないの話ではないのです。
以前のnoteに
こちらは良かれと思っていても、無意識に相手を傷つけるような事を言っているかも知れない
というような話を書いたのですが、正にこの職員さんがそれなのだと思います。
うちも良くなったから、縹色さんのお子さんもきっと大丈夫だよ!
と、励ましの意味も込められてでしょうから。
いやいや、根本的に抱えてるものが違うでしょうよ。
そもそもスタートから違うべ。
なんて、腹の中でツッコんでみたり。
ナンデ スナオニ ヨロコンデアゲランネーノカナー。
ワレナガラ ケツノアナ ノ チイセエ ニンゲンダナー。
と、ガッカリする一方で、これは私が今後、福祉の世界で生きていくための、大切な気づきであると思ったりします、カッコつけた言い方しちゃうと。
どんなにポジティブに見える人でも、どんなポジティブな言葉かけでも、10人中10人がそれをポジティブに捉えるという事はまずあり得ないわけで。
全く同じ言葉をかけても、どこかで誰かがそれに救われる事もあれば、別の誰かは、すごく傷付いたり怒りを感じる事がある。
そんな事ばかり考えてたら、言葉なんて何一つ話せないよって話ですが、少なくとも言葉を発する側の人間は、そういう事を頭の片隅に置いておきながら話さなければならないし、自分の言葉には責任を持たなければならないのです。
だから、これに気づけた私は、何も考えずにただただ善意で話している職員さんよりは、きっと支援者としてはステージが上がったに違いないと思う事にしてます。
比べる事自体、無意味で滑稽な事ではあるんですけどねー。
そこまで、なかなか達観できない未熟者。
人間としての器は、まだまだお猪口ぐらいしかねーな(笑)
最後までお読みいただき、ありがとうございます✨
