ほどよい心の歩幅
わたしは、いつも、速く歩いてしまう。
いつからそうなったのかわからない。
「いつも」速い必要はない。
でも、大きな歩幅で動く足が止まってくれない。
朝、駅から降りて会社に向かう道も、
周りの人たちが、どんどん私の後ろに移動する・・・
好きな洋服を着て、好きな靴を履いて、好きな髪型を維持しながら、
同じ道を歩き続ける毎日・・・
あるとき、
頭も、心も、息切れしたまま時間が過ぎていく中、
書類を見るのも、会話も、目の前に現れる全てのものが、
「勝手に私から離れていく」ような感覚に突然なってしまった。
次の日、
いつものように会社までの道のりを歩き始めたら、
足が思うように動かない。 まるで時間の進み方が変わったかのよう。
視界も、うっすら白い布がかかったような、はっきり見えない状態。
やっとの思いで前を向いたら・・・
私と同じように会社に向かう人たちが、ものすごい速さで私を追い越し
ていきました。
嘘のようだけど、
そのとき、目に見える全てが、得体の知れない怪物だと私の心は確信し、
「お願いだから、みんな止まってーーー!」
と心の中で叫び続けてしまいました。
どうして、そんなに速く歩くのだろうか。
どうして、ずっと前だけ見たままなのか。
何かに吸い寄せられるように前へ前へと何かから動かされているよう。
あのまま仕事を続け、明日も、そのまた明日も会社に行っていたら、
今、私はいなかったかもしれない。
あのとき、怪物に思えた人たちよりも、私はずっと速く歩いていたのだ。
……ブルっと寒気が走る。
世の中には「危険」がウヨウヨ漂っている。我々は、それを知っているのに、
そんなもの いないものとして1日1日を過ごしてしまう、とぼけた生き物なのかもしれない。
生きていくことは、
『危険』と『わたし』が腕を組んで歩き続ける。
もしかしたら、そういうことなのかもしれないと不意に感じました。
ちょっと話がずれますが、
ゆっくり歩く 小柄で高齢の母と、散歩をしたとき、
長い距離を早歩きで歩いても、さほど疲れない私が、
山登りをしたくらい ものすごく疲れてしまい、
少し戸惑ったことがありました。
普段と違う身体の使い方をすると、それが、たとえ遅い動きだとしても、
慣れていないだけで こんなに疲れるものなのか・・
おそらく、身体だけではなく、脳も心も思いのほか疲れたのでしょう。
この、たわいもない経験は、あれ?っと『心の衣替え』をしたかのように、
目の前に広がる色合いが新鮮で、気持ちの良い優しい風が吹き込んだように
なぜかそのとき感じてしまいました。
もしかしたら、今までの歩き方は、「疲れた」という感覚を麻痺させ、
わたしの限界に近づくだけの「危険な生き方」に直結していたのではないだろうか。
そして、常に早歩きなのは、
『危険』と腕を組んで歩かなくてはいけない世の中に、諦めと恐怖を
無意識に感じていたのかもしれません。
この先、短いか、長いかもわからない人生・・・
互いの腕を離して、「危険」と少しの隙間を置いて並んで歩む。
それくらいがちょうどいい・・
そんなことを頭の中で想像しながら過ごしていたら、
私の歩く姿も、少しずつ変わっていきました。
急ぐ必要があるときは、速く。でもそれ以外は・・・
ゆったり歩いていたら、
”雨上がりの地面の光と色合い”
”穏やかな、雲の流れ”
”風にそよそよ吹かれる葉っぱ ”
”夜の星や月の優しい明かり”
「危険」との間に作った隙間に、それらがすーっと染み込んできました。
生きている以上、「危険」は去っていってはくれない。
「危険」の攻撃を受けて、最悪の状態になりかけたとき、
少しでも冷静に危険を回避できるようになるためには、
のんびり、程よい心の歩幅で、目の前にある、かけがえのない全てを
毎日コツコツと、味わい尽くしていく。
そんなシンプルな生き方が、今の私には大切なことなのかもしれないと
思いました。
