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ショートストーリー            『夏の日のおもひで』


昭和四十年の夏。

東京・浅草で小さな呉服店を営む父と母は、
盆前の浴衣の仕立てに追われ、

朝から晩まで店を離れることができなかった。

そのため十一歳の西脇清彦は、夏休みの間だけ、

祖父母の暮らす山あいの村で過ごすことになった。

母から渡された一枚の切符を大切に握りしめ、

清彦は一人、上野駅から汽車に乗った。

窓の外の景色は、少しずつ変わっていった。

建物ばかりだった東京の町が、
いつしか田畑へ変わり、遠くには青い山々が見えてきた。

駅に着くと、小さな改札の向こうに祖父が立っていた。

「おお、清彦。よく来たのぉ」

日焼けした顔で笑う祖父の声は、
東京では聞いたことのない響きをしていた。

祖父母の家は、山と田んぼに囲まれた古い木造の家だった。

朝は鳥の声で目を覚ました。

昼には縁側で西瓜を食べ、川で遊び、山道を歩いた。

夜には風鈴の音を聞きながら眠った。

東京では知らなかった夏が、そこにはあった。

ある日の夕暮れ。

祖父と畑から帰る途中、清彦は山の奥に古い鳥居を見つけた。

古い鳥居。石段の先に、小さな神社があった。

「あそこに神社があるね」

祖父は頷いた。

「昔からある神社だ。子どもの頃は、よく遊んだもんだ」

清彦は鳥居の向こうを眺めた。

「行ってもいい?」

「ああ。ただし、日が暮れる前には帰ってくんだぞ」

「うん!」

     ***

翌日。

清彦は一人でその神社へ向かった。

古い鳥居。

長い石段。

静かな境内。

一本の大きな木の下に、一人の少女が立っていた。

白いワンピース。

麦わら帽子。

少女は清彦を見ると、微笑んだ。

「東京から来たの?」

清彦は頷いた。

「うん。浅草っていうところから来たんだ」

「浅草?」

少女は首を傾げた。

「人がいっぱい住んでいるところ?」

「うん。でも、こんなに静かなところは初めて来た」

「静かすぎて、つまらない?」

清彦は首を振った。

「なんだか……落ち着く」

少女は嬉しそうに笑った。

「この村の夏は綺麗なんだよ」

「そうだね」

「山も川も。それに、夕日がすごく綺麗」

二人は並んで、山の向こうへ沈んでいく夕日を眺めた。

赤く染まる空。

風に揺れる木々。

サワサワサワ……。

遠くで鳴く蝉の声。

カナカナカナ……。

清彦は、東京では見たことのない景色を見ていた。

それから清彦は、毎日のように神社へ通った。

少女は、この村の昔の話をしてくれた。

「昔はね、この神社で子どもたちがいっぱい遊んでいたの」

「君も遊んでいたの?」

清彦が聞くと、少女は笑った。

「うん。お兄ちゃんと、よく遊んだよ」

「どんな遊びをしたの?」

「川で遊んだり、神社でかくれんぼしたり……楽しかったよ」

二人は川の近くまで歩いたり、
木陰で話をしたり、夕暮れまで境内で過ごした。

少女は昔の村の話をした。

清彦は東京の話をした。

夏の日が過ぎていくほど、清彦にとって神社へ行く時間は、
かけがえのないものになっていった。

やがて、夏休みの終わりが近づいた。

清彦は少女に別れを告げに神社に来た。

「明日、東京に帰るんだ」

「そう」

少女は少しだけ目を伏せた。

「清彦くんと遊べて、とても楽しかった」

少女は笑った。

「僕も楽しかった。また来るよ」

清彦も笑顔で返す。

「うん。待ってるね」

     ***

東京へ帰る夜。

祖父は押し入れの奥から、古い木箱を取り出した。

「清彦に見せたいものがある」

中には、数枚の古い写真が大切にしまわれていた。

その中の一枚で、清彦は手を止めた。

そこには、幼い頃の祖父が写っていた。

そして、その隣には――。

白いワンピース。

麦わら帽子。

あの少女がいた。

「じいちゃん……この子」

祖父は写真を覗き込んだ。

「ああ……これは、わしの妹だ」

祖父は静かに写真を見つめた。

「あの神社で、よく一緒に遊んだもんだ」

清彦は息を止めた。

「戦争が始まってな……」

「妹を失った」

清彦は何も言えなかった。

神社で会ったこと。

一緒に夕日を見たこと。

また会おうと約束したこと。

それを祖父に話すことはできなかった。

祖父が長い年月、
大切に抱えてきた思い出を壊してしまう気がしたからだ。

翌朝。

清彦は祖父母に手を振り、東京へ帰る汽車に乗った。

窓の外には、山と田んぼが流れていた。

遠くに、あの神社が見えた。

その前に、白いワンピースの少女が立っているような気がした。

清彦は小さく手を振った。

     ***

あれから二十年。

清彦は大人になった。

けれど、あの神社へは一度も行っていない。

今でも、あの神社は残っているのだろうか。

いつか、確かめに行きたいと思っている。

あの日の約束。

夏の日のおもひで。



あとがき

『夏の日のおもひで』という題名がふと浮かび、
そのまま一気に書き上げました。

今回は奇抜な展開や大きなどんでん返しではなく、
とにかくノスタルジーを大切にして書いてみました。

そんな昔の夏の空気を、
少しでも感じていただけたなら嬉しいです。

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