灰色の空で 最後
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僕は、誰もいない場所で普通に笑っていた。
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秘密基地の中でだけ、僕は普通だった。
漫画を読んで、声を出して笑った。
うまく笑えているのかは、もう気にしなくなっていた。
おもしろいものを見たら、口が勝手に動いた。
胸の奥が軽くなって、喉から変な音が出た。
それが笑うということなのだと、僕は覚えた。
誰も聞いたことのない笑い声が、壊れた建物の中に響いていた。
僕は、そこにいることが当たり前になっていた。
中学では、働く場所のことも学ばされた。
効率性。
歴史。
無駄のない生活。
先の大戦。
無感情運動。
それによる国家体制の転覆。
お金は悪。
資源は悪。
感情は悪。
でも、それらをなくすと、人は動かなくなる。
だから、ルールが作られた。
時間。
仕事。
食事。
睡眠。
結婚。
出産。
寿命。
街は、全部を決めていた。
僕は、同じ顔でそれを聞いていた。
その頃、僕はギャグ漫画にハマっていた。
人が転んでいた。
同じことを何回も言っていた。
意味のない顔をしていた。
怒っているのに、次のページでは笑っていた。
無駄なことが、こんなに面白いなんて知らなかった。
学校では、よく周りを見るようになった。
失敗する人はいなかった。
成功する人もいなかった。
上手い人もいなかった。
下手な人もいなかった。
みんな、同じ速さで書いて、同じ速さで立って、同じ速さで歩いた。
教室は、正しかった。
だから、とても無機質だった。
その中で、僕はひとりの子をよく見るようになった。
その子の横顔を見ていると、胸の奥が少し変になった。
可愛い。
本に書いてあった言葉だった。
でも、僕が本当に見たかったのは、それだけではなかった。
笑顔。
その子の笑った顔が見たかった。
ある日、僕はその子に話しかけた。
「今日の授業、終わったね」
その子は僕を見た。
「終わった」
それだけだった。
声も、顔も、両親と変わらなかった。
僕は、少しだけ手を伸ばした。
その子の手に触れた。
僕の胸は、どくどくした。
手の中が熱くなった。
けれど、その子は何も変わらなかった。
指も、目も、口も。
何も。
次の日から、大人たちの目が鋭くなった気がした。
先生が僕を見る時間が増えた。
廊下に立つ人が、僕の方を向くようになった。
それ以来、僕は無駄なことをやめた。
少なくとも、人の前では。
秘密基地では、まだ笑っていた。
しばらくして、僕は楽器を弾きたくなった。
漫画の中には、歌う人がいた。
ギターを持つ人がいた。
ピアノの前で泣く人がいた。
でも、この街にピアノはなかった。
ギターもなかった。
作ることもできなかった。
だから、僕は木材を叩いた。
乾いた板。
湿った柱。
折れた机。
空っぽの箱。
叩く場所によって、音が違った。
こん。
こつ。
ぼん。
かん。
それだけで、僕は満足していた。
音にも、顔があるような気がした。
中学を卒業すると、社会に出た。
卒業式で泣く者はいなかった。
親も来なかった。
花もなかった。
歌もなかった。
名前を呼ばれて、返事をして、終わった。
昔の漫画では、みんな泣いていた。
笑っていた。
手を振っていた。
抱き合っていた。
僕はそれを思い出しながら、みんなと同じ顔で立っていた。
大人になると、一人暮らしを始めた。
空き家をあてがわれた。
この街には、空き家が多かった。
僕は、街の管理を任せられる一人になった。
表に出た数字を確認し、決められた処理を進めるだけだった。
あの人の寿命。
あの人の結婚。
人口比による子どもの増減。
その指示。
健康状態の把握。
雲の量。
全部、数字で決められていた。
人は、表の中では数だった。
でも僕は、知っていた。
人には顔がある。
笑う顔。
泣く顔。
怒る顔。
照れる顔。
知っていたから、少しだけ苦しかった。
苦しそうな顔はしなかった。
僕は、ふつうの顔が上手くなっていた。
僕には、結婚する機会が与えられなかった。
必要がなかったのだと思う。
一人で起きて、一人で食べて、一人で働いて、一人で眠った。
暗くなれば眠る時間だった。
それでも、眠れない夜があった。
そのうち、両親が死んだ。
六十歳だった。
今では、めずらしいことではない。
決められた手順で部屋が片付けられた。
決められた書類が出され、決められた場所へ運ばれた。
涙を流す者はいなかった。
僕も、その場では泣かなかった。
家に帰ってから、ひとりで泣いた。
暗くなれば眠る時間なのに、その日は眠れなかった。
昔、人は百歳まで生きたらしい。
今の平均寿命は六十歳だ。
百歳まで生きた人は、何を見ていたのだろう。
誰と笑っていたのだろう。
誰に泣いてもらったのだろう。
答えは、どの本にも残っていなかった。
その日、夢を見た。
お父さんとお母さんが笑っていた。
何年経ったのか、よく覚えていない。
僕は、見よう見まねで絵を描くようになっていた。
乾いた絵の具。
白い布。
破れた写真。
昔の街のページ。
少しずつ、少しずつ、僕はそれを集めた。
ある日、秘密基地で本を読んでいると、外から声が聞こえた。
子どもの声だった。
二人いた。
僕は、本棚の影に身を隠した。
子どもたちは中に入ってきた。
小学生の低学年くらいに見えた。
二人は、床に落ちた本を拾った。
漫画をめくった。
雑誌を持ち上げた。
写真を見た。
僕は息を止めた。
もしかしたら。
そう思った。
もしかしたら、僕と同じように、何かを拾うのかもしれない。
でも、二人はすぐに本を閉じた。
一人が言った。
「必要のない物がある」
もう一人が頷いた。
二人は出ていった。
次の日、僕の元へ報告が上がった。
山道の奥に、不要物が残っている。
危険。
不要。
撤去対象。
取り壊しが決まった。
僕は、その日の夜、秘密基地へ行った。
全部は持ち出せなかった。
漫画も。
雑誌も。
写真も。
たくさんの顔も。
僕は、白い布を持った。
乾いた絵の具を持った。
街の写真を数枚だけ持った。
昔の空が写ったページを一枚だけ持った。
それだけだった。
帰り道、工場の音がした。
ごうん。
ごうん。
ごうん。
いつもと同じ音だった。
僕の家に立ち入る者などいない。
必要がないから。
だから僕は、白い布を壁に広げた。
絵の具はほとんど乾いていた。
水を混ぜても、うまく溶けない色があった。
それでも描いた。
左半分には、昼を描いた。
青い空。
太陽に照らされる街並み。
ギターを弾く人。
公園で遊ぶ子ども。
車が走る道。
自転車に乗る人。
花のある道。
右半分には、夜を描いた。
月。
少しだけ雲のかかった空。
電気のついた街並み。
食卓を囲む家族。
笑う人。
泣く人。
誰かの肩に手を置く人。
僕は、一度も見たことのない景色を描いていた。
でも、ずっと知っていた気もした。
ある年の健康診断で、僕の寿命はあと数か月だと言われた。
僕は寝たきりを装った。
時間がなかった。
仕事を休むためだった。
食事も、睡眠も、必要な分だけにした。
暗くなっても眠らない日が増えた。
昔の人が、夜を明るくしていた理由が、少しだけわかった気がした。
僕は絵を描いた。
描いて、描いて、描いて。
最後の色を置いた時、僕は布の前に座った。
青い空。
太陽。
月。
電気。
花。
音。
人。
顔。
僕の街では、誰も殴り合わない。
誰も怒鳴らない。
誰かを憎んで、傷つけることもない。
戦争もない。
僕が描いた世界には、笑う人がいる。
泣く人もいる。
きっと、怒る人もいる。
誰かを嫌う人もいるのだと思う。
それでも僕は、その世界を描いた。
なぜなのか…
僕は、笑っていたと思う。
そこから先のことは、僕は知らない。
だから、ここからは、きっとそうだったという話だ。
僕が死んだあと、家の掃除が行われたらしい。
決められた手順で、机が片付けられた。
寝具が運ばれた。
食器が数えられた。
記録が確認された。
そして、壁の布が見つかった。
誰かが、手を止めた。
次に入ってきた者も、手を止めた。
その次の者も、何も言わなかった。
そこには、知らない空があった。
そこには、見たこともない青い空があった。
明るい、夜の街があった。
そして、たくさんの人の顔があった。
誰も、片付けられなかった。
『灰色の空で』
完









前
ここまで読んでくださって、ありがとうございます🍑
久しぶりに、最後まで書き切ることができました。
疲れた。
特に漫画……笑
AIを使えば簡単にできると思いきや、全然そんなこともなく。
なかなか思い通りにはならないし、何度も作り直しました。
AIを上手に使いこなしている方は、本当にすごいなと思います。
そして今回、漫画っぽいものを作ってみて改めて思いました。
漫画家さん、すごい。
コマ割り。
見せ方。
ページをめくるタイミング。
どこを絵で見せて、どこに言葉を置くのか。
やってみると、本当に難しかったです。
改めて、最後まで読んでくださってありがとうございました。
また、やる気が出たら更新します。
その時は、また読んでいただけたら嬉しいです。
よろしくお願いします🙇
