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秘密基地の合言葉

人には、一つくらい「誰にも通じない思い出」がある。

俺にもある。

それは、小学三年生の頃に作った、秘密基地の合言葉だ。

近所の空き地の奥に、木の枝やベニヤ板を集めて、小さな秘密基地を作った。

メンバーは三人。

悪ガキ仲間の亮太、久美、そして俺。

秘密基地にはルールがあった。

合言葉を言えない者は、中に入れない。

でも、その合言葉は、何か意味のある言葉じゃ面白くない。

だから三人で笑いながら、意味のない言葉を並べて作った。

「いち にい さんまの しおやき
ゴリラが ローマで バナナを
パクパク くりょえい とぉ」

意味なんて、一つもない。

ただ、俺たち三人だけが笑って言えれば、
それでよかった。

秘密基地は一年もしないうちに壊れた。

でも、その合言葉だけは、不思議なくらい
忘れなかった。

やがて、小学校を卒業すると同時に、久美は
福島へ引っ越した。

中学校を卒業すると、今度は、亮太が神奈川へ
引っ越した。

それ以来、二人とは会っていない。

携帯電話もSNSもない時代だった。

そのまま、それぞれの人生が始まった。

大学を卒業した俺は、会社都合の転勤で、
日本各地を転々とする生活になった。

引っ越しを繰り返すうちに、気がつけば
三十歳を過ぎていた。

その頃の勤務先は福島県だった。

ある休日、公園のベンチで本を読んでいた。

風が気持ちよく、子どもたちの笑い声が遠くから聞こえる。

ページをめくっていると、一人の男の子の声が耳に入った。

「いち にい さんまの しおやき」

思わず顔を上げる。

その続きを聞こうと、自然と耳を澄ませた。

「ゴリラが ローマで バナナを」

心臓が少しだけ速くなる。

まさか。

そんなはずはない。

そして、最後まで聞こえた。

「パクパク くりょえい とぉ!」

……

俺は、本を閉じた。

今の……

聞き間違いじゃない。

もう一度。

子どもは楽しそうに、また歌い始めた。

「いち にい さんまの しおやき
ゴリラが ローマで バナナを
パクパク くりょえい とぉ!」

間違いない。

くりょえい………

俺たち3人の名前の頭文字。

その言葉を知っている人間なんて、この世に三人しかいないと思っていた。

久美と、亮太と、俺

子どもの近くには、父親らしき男性が立っていた。

母親の姿は見当たらない。

少し迷った。

でも、どうしても気になってしまった。

俺は立ち上がり、なるべく自然を装って近づいた。

「すみません。」

父親が振り向く。

「その歌、面白いですね。福島の数え歌ですか?」

父親は少し笑って、子どもの頭を軽くなでた。

「いやぁ、私もよく分からないんですよ。」

そして子どものほうを見て言った。

「お母さんに教えてもらったんだよな?」

子どもは、満面の笑みでうなずいた。

「うん!」

その一言だけだった。

それだけで十分だった。

俺は、それ以上何も聞かなかった。

「突然すいません。ありがとうございました」

軽く会釈をして、その場を離れた。

お母さんの名前も聞かない。

どこに住んでいるのかも聞かない。

聞こうと思えば聞けた。

でも、聞かなかった。

もし久美だったとしても。

もし違ったとしても。

どちらでもいい気がした。

あの頃、一緒に笑っていた誰かが。

意味のない言葉を、子どもへ伝えていた。

それだけで、胸がいっぱいになった。

俺はベンチへ戻り、空を見上げた。

小学校三年生の夏。

汗だくになって秘密基地を作り、三人で笑い転げながら考えた、世界で一つだけの合言葉。

「いち にい さんまの しおやき
ゴリラが ローマで バナナを
パクパク くりょえい とぉ!」

意味なんてない。

だからこそ、忘れなかった。

「くりょえい」

三十年近く経って、その言葉が、もう一度俺の耳に届いた。

偶然だったのか。

奇跡だったのか。

今でも分からない。

久美だったのか。

違ったのか。

その答えも、もう知る必要はない。

あの日、秘密基地で笑っていた三人は、それぞれ違う人生を歩いた。

それでも、たった一つの意味のない言葉だけは、誰かの心の中で生き続けていた。

子どもから子どもへ。

思い出から思い出へ。

「くりょえい」は、三人だけの秘密ではなくなっていた。

意味なんてない。

だからこそ、誰にも縛られず、三十年という時間を越えてきたのかもしれない。

あの日の秘密基地は、もうどこにもない。

亮太も、久美も、俺も、あの頃とは何もかも
変わってしまった。

それでも…

あの夏、笑いながら作った合言葉だけは、
あの日のまま、少しも歳を取っていなかった

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