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本音が言えないのは優しいからじゃない|我慢が癖になっているだけ

本音が言えない。

そう気づいたとき、
一番苦しいのは、
「言えなかったこと」そのものよりも、
そのあとに一人で残る後悔かもしれません。

本当は嫌だった。
本当は断りたかった。
本当は少し傷ついていた。
本当は違うと思っていた。

でも、その場では笑ってしまう。

「大丈夫」
「いいよ」
「全然気にしてないよ」

そんなふうに言ったあとで、
帰り道や、夜の部屋や、スマホを置いたあとに、
じわじわ苦しくなる。

「また言えなかった」
「なんで私はいつもこうなんだろう」
「本当はあんなふうに思ってなかったのに」

そうやって、自分だけが後から疲れてしまう。

本音が言えない人は、
よく「優しい人」と言われることがあります。

たしかに、相手を思いやる気持ちはあるのだと思います。
人を傷つけたくない。
空気を悪くしたくない。
相手を困らせたくない。

でも、それだけで片づけるには、
本音が言えない苦しさは、少し重すぎる気がします。

優しいから言えない。
それも一部は本当かもしれません。

けれど、もしかすると本当は、
我慢することが当たり前になりすぎて、
自分の気持ちを出す感覚がわからなくなっているだけかもしれません。

この記事では、
本音が言えない人の中で起きていることを、
責めるためではなく、
少しずつ言葉にしていきます。

また言えなかった、が積み重なっていく

本音が言えない苦しさは、一度の出来事だけで生まれるものではありません。小さな我慢や、小さな飲み込みが何度も重なって、「また言えなかった」という感覚になって残っていきます。その場では何事もなかったように振る舞えても、心の奥では、言えなかった気持ちが少しずつ積もっていくことがあります。

本当は嫌だったのに合わせてしまう

本当は嫌だった。

でも、言えなかった。

そんな場面は、日常の中に思ったよりたくさんあります。

行きたくない誘いに、
「行けたら行くね」と返してしまう。

本当は疲れているのに、
「大丈夫、手伝うよ」と言ってしまう。

相手の言葉に少し傷ついたのに、
「いや、全然気にしてないよ」と笑ってしまう。

その瞬間は、自分でもうまくやれているように見えるかもしれません。

相手を困らせなかった。
空気を悪くしなかった。
面倒なやりとりを避けられた。

だから一見、問題は起きていない。

でも、問題が起きなかった代わりに、
自分の中には小さな違和感が残ることがあります。

本当は嫌だったのに。
本当は今じゃなかったのに。
本当はそんなふうに言われたくなかったのに。

その気持ちは、相手には見えません。

なぜなら自分で笑ってしまったから。
自分で「大丈夫」と言ってしまったから。
自分で合わせる形を選んでしまったから。

でも、それは本当に選んだというより、
選ぶ前に反射的に合わせてしまった、に近いのかもしれません。

本音が言えない人は、
その場で自分の気持ちを確認するより先に、
相手の反応を考えてしまいます。

断ったら気まずいかな。
嫌な顔をされるかな。
わがままだと思われるかな。
もう誘われなくなるかな。

そう考えているうちに、
自分の本音は置いていかれます。

そして、口から出るのは、
相手が受け取りやすい言葉です。

「いいよ」
「大丈夫」
「合わせるよ」

でも、その言葉を言った自分が、
あとから一番しんどくなることがある。

それが、本音が言えない人の苦しさなのだと思います。

言いたいことが喉まで出ているのに飲み込む

本音が言えないとき、
何も感じていないわけではありません。

むしろ、言いたいことはある。

言葉も、頭の中には浮かんでいる。

「それは少し嫌だ」
「今は無理かもしれない」
「本当はそう思ってない」
「その言い方は傷つく」

でも、喉のあたりで止まる。

言おうとした瞬間に、
心の中で別の声が出てくるからです。

今言ったら空気が悪くなる。
相手が不機嫌になるかもしれない。
ここで言うほどのことじゃない。
あとで自分が我慢すれば済む。

そうやって、言葉を飲み込む。

何度も飲み込んでいるうちに、
本音はどんどん外に出にくくなります。

言いたいことがあるのに、言えない。

この状態は、思っている以上に疲れます。

表面上は普通に会話をしている。
笑っている。
相づちも打っている。
相手に合わせて返事もしている。

でも内側では、
言えなかった言葉がずっと残っている。

会話が終わったあとも、
「あのとき言えばよかった」
「でも言ったら面倒だったかもしれない」
「いや、でも本当は嫌だった」

そんなふうに、頭の中で何度も同じ場面を繰り返してしまう。

本音を飲み込むことは、
その場を穏やかにする方法ではあるかもしれません。

でも、飲み込んだ本音は消えません。

ただ、自分の中に残ります。

そして、あとから静かに重たくなる。

本音が言えない人が疲れやすいのは、
言葉を発していないからではなく、
言葉にしないために、たくさんの力を使っているからなのだと思います。

帰宅してから一人で後悔する

その場では笑っていたのに、
帰ってから急に苦しくなることがあります。

玄関を閉めた瞬間。
メイクを落としているとき。
お風呂に入っているとき。
布団に入ってスマホを見ているとき。

ふと、昼間の会話が戻ってくる。

「あれ、本当は嫌だったな」
「なんであそこで笑ったんだろう」
「またいい人ぶってしまった」
「結局、私だけ疲れてる」

人と会っている間は、
相手に合わせることで精一杯だったのかもしれません。

だから、自分の本音はあとから追いついてくる。

その場では感じきれなかった気持ちが、
一人になった途端に出てくる。

でもそのときには、もう遅い気がしてしまう。

今さら言えない。
今さら蒸し返すのも変。
自分で大丈夫って言ったんだから、仕方ない。

そうやって、また自分を責める。

本音が言えない人は、
相手に怒りを向けるより先に、
自分に怒りを向けてしまうことがあります。

「ちゃんと言えなかった私が悪い」
「断れなかった私が悪い」
「気にしすぎる私が悪い」

でも、本当にそうでしょうか。

言えなかったのには、言えなかっただけの理由があったはずです。

怖かった。
気まずくなりたくなかった。
嫌われたくなかった。
面倒な空気に耐えられなかった。

その気持ちも、ちゃんと理由です。

「どうして私はいつも言えないんだろう」
そんな悩みを抱えているなら、まずは自分を責める前に、本音を言えなくなる仕組みを知ることが大切です。
本音を言えないこと自体に苦しさを感じているなら、「本音を言えない人が、いつも自分を後回しにしてしまう理由」も読んでみてください。

優しいからでは説明できない苦しさ

本音が言えない人は、「優しいから」「気を遣えるから」と言われることがあります。でも、本人の中では、そんなきれいな言葉だけでは片づけられない苦しさがあります。相手を優先することが当たり前になり、嫌われる不安が先に出てきて、本音より空気を守ってしまう。その繰り返しが、少しずつ自分を苦しくさせていきます。

相手を優先するのが当たり前になっている

本音が言えない人は、
自分より相手を優先することに慣れています。

それは、わざと自分を犠牲にしているというより、
もう自然にそうしてしまう感覚に近いかもしれません。

お店を決めるとき、
「どこでもいいよ」と言う。

予定を決めるとき、
「そっちに合わせるよ」と言う。

頼まれごとをされたとき、
本当は余裕がなくても、
「大丈夫、やっておくよ」と言う。

誰かと会話しているときも、
自分が話したいことより、
相手が話しやすいことを優先する。

相手が楽しそうなら、
自分が少し疲れていても笑っている。

相手が不機嫌そうなら、
自分が悪いことをしたわけではなくても、
機嫌を直そうとしてしまう。

そういうことが、あまりにも日常になっていると、
自分が我慢していることに気づきにくくなります。

周囲からは、
「優しいね」
「気が利くね」
「一緒にいると楽」
と言われるかもしれません。

でも、その言葉を聞いても、
心のどこかが少しだけ寂しくなることがあります。

私は本当に優しいのかな。
それとも、断れないだけなのかな。
自分の気持ちを言えないだけなのかな。

そんなふうに思ったことがあるなら、
その感覚は大切にしていいと思います。

相手を優先できることは、たしかに一つの優しさです。

でも、いつも自分だけが後回しになるなら、
それは優しさというより、
我慢の癖になっているのかもしれません。

嫌われる不安が先に出てくる

本音を言おうとしたとき、
すぐに不安が出てくる人がいます。

嫌われたらどうしよう。
変な人だと思われたらどうしよう。
面倒くさいと思われたらどうしよう。
関係が悪くなったらどうしよう。

まだ何も起きていないのに、
頭の中ではもう、悪い未来が始まっている。

だから、本音を言う前から疲れてしまう。

たとえば、友達の誘いを断りたいだけなのに、
「断ったら冷たいと思われるかな」
「次から誘われなくなるかな」
「前も断ったし、さすがに悪いかな」
と考えすぎてしまう。

職場で違う意見を言いたいだけなのに、
「空気を読めないと思われるかな」
「反論しているみたいに聞こえるかな」
「あとで気まずくなるかな」
と考えて、結局黙ってしまう。

本音を言うこと自体より、
そのあとの人間関係を想像して苦しくなる。

だから、言えない。

本音が言えない人は、
気が弱いというより、
人との距離や反応に敏感なのだと思います。

相手の声のトーン。
返信の短さ。
表情の曇り。
会話の間。
少し変わった空気。

そういうものをすぐに察知してしまうからこそ、
本音を出すことが怖くなる。

でも、本音を言わないことで、
関係が守られているように見えても、
自分の中では少しずつ孤独が増えていくことがあります。

誰にも嫌われていないはずなのに、
誰にも本当の自分を見せられていない。

その孤独は、静かに心を疲れさせます。

本音より空気を守ってしまう

本音が言えない人は、
その場の空気を壊すことが苦手です。

自分の気持ちを言えば、
空気が変わってしまう気がする。

相手が黙るかもしれない。
場が重くなるかもしれない。
楽しい雰囲気が終わるかもしれない。

そう思うと、
自分の本音よりも、
その場をなめらかに進めることを選んでしまう。

友達の何気ない一言に傷ついても、
「それちょっと嫌だった」とは言えない。

職場で無理な頼まれ方をしても、
「今は難しいです」とは言えない。

家族に踏み込まれすぎても、
「そこまでは言われたくない」とは言えない。

言ったほうがいいとわかっていても、
その一言で空気が変わるのが怖い。

だから、笑う。
流す。
話題を変える。
自分の中で処理しようとする。

でも、本音より空気を守り続けると、
心の中には少しずつ疲れが溜まります。

なぜなら、自分だけがずっと調整役になっているからです。

相手が気持ちよく話せるように。
場が変な感じにならないように。
誰も傷つかないように。
自分さえ我慢すれば済むように。

そうやって、見えないところで頑張っている。

でも、空気を守る人の苦しさは、
周りには気づかれにくいです。

なぜなら、あなたはうまく笑えてしまうから。

本音を我慢する時間が長くなると、
今度は「自分が何を思っているのか」さえ分からなくなることがあります。
そんな感覚がある人はこれも読んでみてください。自分の気持ちがわからなくなってきた人は、「本音がわからない人ほど、周囲に合わせすぎている」も参考になるかもしれません。

我慢は少しずつ自分を見えなくする

我慢が続くと、ただ疲れるだけではありません。自分が何を嫌だと感じているのか、何を選びたいのか、どこからが無理なのかが少しずつ見えにくくなっていきます。本音が言えない状態が長くなるほど、自分の基準よりも周囲の基準で動くことが増えていくのです。

何が嫌なのか説明できない

本音が言えない時間が長くなると、
「嫌だ」と思っても、その理由を説明できなくなることがあります。

なんとなくしんどい。
なんとなく気が重い。
なんとなく会いたくない。
なんとなく返信したくない。

でも、はっきりした理由は言えない。

相手がひどいことをしたわけではない。
大きな問題があったわけでもない。
責められるほどの出来事ではない。

だから、自分でも自分の感情を疑ってしまう。

「私が気にしすぎなのかな」
「これくらい普通なのかな」
「嫌だと思うほうがおかしいのかな」

でも、嫌な気持ちは、
いつもわかりやすい理由を持っているわけではありません。

小さな違和感が何度も重なっていることもあります。

毎回少しだけ予定を合わせている。
毎回少しだけ話を聞きすぎている。
毎回少しだけ踏み込まれている。
毎回少しだけ我慢している。

ひとつひとつは小さくても、
積み重なると、心はちゃんと疲れます。

でも本音が言えない人は、
その小さな疲れを自分で軽く扱ってしまう。

「このくらいで嫌だなんて言えない」
「相手に悪気はないし」
「私がうまく流せばいい」

そうやって、嫌だった気持ちを何度も見送っているうちに、
何が嫌なのかを言葉にする力が弱くなっていく。

本当は、嫌だと感じた時点で、
そこには何かしらの理由があります。

まだ言葉になっていないだけで、
心は何かを受け取っている。

だから、説明できないからといって、
その感情が間違っているわけではありません。

選択するときに迷いが増える

本音が言えない人は、
自分で何かを選ぶ場面でも迷いやすくなることがあります。

何を食べたいか。
どこに行きたいか。
誰と会いたいか。
何を断りたいか。
どんな働き方がしたいか。
どんな関係を続けたいか。

本当は、日常の中には小さな選択がたくさんあります。

でも、いつも周囲に合わせることを優先していると、
自分の選びたいものが見えにくくなる。

「どっちがいい?」と聞かれても、
すぐに相手の顔を見てしまう。

相手はどっちがよさそうかな。
こっちを選んだら困るかな。
私が選んで失敗したら嫌だな。
相手に合わせたほうが安全かな。

そうやって考えているうちに、
自分の希望がわからなくなる。

そして、最後には
「どっちでもいいよ」
と言ってしまう。

でも、本当はどっちでもよくなかったこともある。

自分の中に小さな希望があったのに、
それを確認する前に引っ込めてしまっただけかもしれない。

選べないことは、優柔不断だからとは限りません。

長いあいだ、
自分の希望より相手の希望を優先してきた結果、
自分の感覚を聞く習慣が薄くなっているだけかもしれません。

本音が言えない人が必要としているのは、
もっと強く主張することだけではなく、
まず自分に聞く時間です。

私は本当はどうしたいんだろう。
これは本当に嫌じゃないのかな。
今、無理していないかな。

その問いを取り戻すだけでも、
少しずつ自分の輪郭は戻ってきます。

気づけば周囲に合わせることが基準になる

本音が言えない状態が続くと、
周囲に合わせることが自分の基準になります。

自分がどうしたいかより、
周りがどう思うか。

自分が疲れているかより、
相手が困っていないか。

自分が嫌かどうかより、
場がうまく収まるか。

そうやって、判断の中心が少しずつ外側に移っていく。

最初はただの気遣いだったのかもしれません。

でも、それが続くと、
自分の人生なのに、
いつも誰かの反応を基準にして動いているような感覚になります。

誰かに嫌われないように予定を入れる。
誰かをがっかりさせないように返事をする。
誰かを不機嫌にしないように黙る。
誰かに必要とされるように頑張る。

そして気づけば、
自分が本当はどう感じているのかが後回しになる。

これは、とても孤独なことです。

周りには人がいる。
連絡を取る相手もいる。
一緒に過ごす人もいる。

それなのに、
自分の本音だけが誰にも届いていない。

その感覚が続くと、
人間関係がどんどん重く感じられることがあります。

本音を言えない苦しさは、
やがて人間関係そのものへの疲れにもつながっていきます。
最近、人付き合いが面倒だと感じることが増えたなら、こちらも参考になるかもしれません。人と関わること自体が重く感じる人は、「人間関係がめんどくさいと感じるほど、頑張りすぎている人へ」も役立つはずです。

本音が言えない人は頑張りすぎている

本音が言えない人は、自分では「普通にしているだけ」と思っているかもしれません。でも実際には、相手の反応を読み、空気を整え、自分の感情を抑え、場を壊さないようにするために、たくさんの力を使っています。気遣いが習慣になり、自分を後回しにすることに慣れている人ほど、限界が来るまで我慢してしまいやすいのです。

気遣いが習慣になっている

気遣いは、本来は悪いものではありません。

相手のことを考えられること。
場の空気を読めること。
誰かが困っていたら手を差し伸べられること。

それは、人と関わるうえで大切な力です。

でも、本音が言えない人の場合、
その気遣いが自分を消す方向に働いてしまうことがあります。

相手が話しやすいように、自分の話を短くする。
相手が不機嫌にならないように、言葉を選びすぎる。
相手が困らないように、自分の予定をずらす。
相手が傷つかないように、自分の傷つきを隠す。

それが何度も続くと、
気遣いは優しさというより、
自動的な反応になっていきます。

気づいたら謝っている。
気づいたら譲っている。
気づいたら笑っている。
気づいたら本音を飲み込んでいる。

それは、かなり疲れることです。

でも本人は、
「これくらい普通」
「みんなやってる」
「私が気にしすぎ」
と思ってしまう。

本音が言えない人は、
頑張っている自覚が薄いまま、
ずっと頑張っていることがあります。

相手に合わせること。
場を壊さないこと。
自分の感情を抑えること。

それは、見えにくいけれど、
確かにエネルギーを使うことです。

自分を後回しにすることに慣れている

本音が言えない人は、
自分を後回しにすることに慣れています。

疲れていても、相手が困っていたら引き受ける。
嫌な気持ちになっても、場を壊したくなくて笑う。
本当は休みたくても、誘われたら断れない。
自分の話をしたくても、相手の話を優先する。

そうやって、自分を後ろに置くことが当たり前になっている。

でも、慣れていることと、平気なことは違います。

自分では慣れているつもりでも、
心はちゃんと疲れていることがあります。

人と会ったあと、どっと疲れる。
LINEの返信をするだけで重くなる。
予定が入っているだけで憂鬱になる。
誰かと話したあと、一人になりたくなる。

それは、人が嫌いだからではなく、
自分を後回しにしながら関わることに疲れているのかもしれません。

本音が言えない人は、
「自分を大切にする」という言葉に、
少し抵抗を感じることもあります。

自分を優先するなんて、わがままな気がする。
自分の都合を言うなんて、相手に悪い気がする。
自分の気持ちを大事にするなんて、慣れていない。

でも、自分を大切にすることは、
誰かを雑に扱うことではありません。

自分にも限界があると認めることです。

いつも後回しにしてきた自分の声を、
少しだけ前に置いてあげることです。

限界が来るまで我慢してしまう

本音が言えない人は、
限界が来るまで我慢してしまうことがあります。

少し嫌だな、と思った段階では言えない。
少し疲れたな、と思っても休めない。
少し距離を置きたいな、と思っても離れられない。

そして、かなり苦しくなってから、
突然すべてが無理になる。

返信したくない。
会いたくない。
話したくない。
何も説明したくない。
全部投げ出したい。

そうなって初めて、
「あれ、私かなり限界だったんだ」
と気づく。

でも本当は、限界になる前に、
心は何度もサインを出していたはずです。

気が重い。
疲れが抜けない。
相手の名前を見るだけで胸がざわつく。
予定の前日から憂鬱になる。
会話のあとにぐったりする。

それでも、
「これくらいで距離を置くのは悪い」
「私が我慢すればいい」
「相手も悪気があるわけじゃない」
と自分に言い聞かせてきた。

本音が言えない人は、
ギリギリまで自分の限界を認めないことがあります。

それは弱さではなく、
ずっと我慢して生きてきた人にとって、
我慢をやめるタイミングがわからないだけかもしれません。

だから、限界まで頑張ってしまう自分を責めなくていい。

ただ、できれば限界になる前に、
小さな違和感の段階で気づいてあげたい。

その小さな気づきが、
自分を守る最初の線になるのだと思います。

本音は突然言えるようにならない

本音を言えるようになりたいと思っても、急に何でも言える人になる必要はありません。むしろ、本音が言えない人ほど、いきなり大きな自己主張をしようとすると苦しくなってしまいます。最初に必要なのは、違和感に気づくこと、小さな本音を認めること、自分の気持ちを否定しないことです。

まずは違和感に気づく

本音を取り戻す最初の一歩は、
大きなことを言うことではありません。

まずは、違和感に気づくことです。

なんとなく嫌だった。
少し疲れた。
本当は断りたかった。
あの言葉が引っかかった。
会ったあとにしんどくなった。
返信するのが重かった。

そういう小さな反応を、
すぐに打ち消さないこと。

本音が言えない人は、
違和感を感じても、すぐに自分で否定しがちです。

「でも相手に悪気はないし」
「これくらいで嫌だなんて思っちゃだめ」
「私が気にしすぎなだけ」
「みんな普通にできてることだし」

でも、違和感は悪いものではありません。

それは、心が
「ここに少し無理があるよ」
と知らせてくれているサインです。

すぐに相手に伝えなくてもいい。
すぐに関係を変えなくてもいい。

まずは自分の中で、
「あ、私は今ちょっと嫌だったんだ」
と認めるだけでいい。

その小さな確認が、
本音を取り戻す入口になります。

小さな本音から認める

本音というと、
何か大きなことを伝えなければいけない気がするかもしれません。

でも本音は、もっと小さなところにもあります。

今日は休みたい。
この誘いは少し気が重い。
本当はこっちが好き。
その言い方は少し苦手。
今は返事を急ぎたくない。
一人で過ごしたい。

こういう小さな感覚も、全部本音です。

本音が言えない人は、
大きな本音よりも先に、
こうした小さな本音を自分で認めるところから始めてもいいと思います。

誰かに言わなくてもいい。
メモに書くだけでもいい。
心の中でつぶやくだけでもいい。

「私は本当は嫌だった」
「本当は少し寂しかった」
「本当は断りたかった」
「本当は疲れていた」

そうやって、自分の中で言葉にしてみる。

それだけでも、
ずっと曖昧だった気持ちに輪郭が出てきます。

本音は、いきなり相手に伝えるものではなく、
まず自分が見つけてあげるものなのだと思います。

自分の気持ちを否定しない

本音が言えない人にとって、
とても大切なのは、自分の気持ちを否定しないことです。

嫌だと思っていい。
疲れたと思っていい。
悲しいと思っていい。
怒りを感じてもいい。
行きたくないと思っていい。
距離を置きたいと思っていい。

その感情があるからといって、
あなたが冷たい人になるわけではありません。

感情は、湧いてくるものです。

それをどう伝えるか、
どう行動するかはあとで考えればいい。

でも、感じたこと自体まで否定しなくていい。

本音が言えない人は、
自分の気持ちに対しても厳しくなりがちです。

「こんなことで傷つくなんて」
「これくらい我慢できないなんて」
「嫌だと思うなんてわがままかも」

でも、そうやって自分を責めるほど、
本音はますます見えにくくなります。

まずは、感じたことをそのまま置いておく。

「ああ、嫌だったんだな」
「疲れていたんだな」
「無理していたんだな」

そのくらいの静かな受け止め方でいい。

本音は、否定されない場所で少しずつ戻ってきます。

まとめ|言えないのではなく、言えなくなっていただけ

本音が言えない自分を、弱いとか、優柔不断だとか、変わらなきゃいけないとか、責めてしまうことがあるかもしれません。でも、言えないのには理由があります。これまでの人間関係の中で、我慢すること、合わせること、空気を守ることを覚えてきた。その結果として、本音が言えなくなっていただけなのかもしれません。

それは弱さではない

本音が言えないことは、
弱さではありません。

言えなかった場面には、
きっとその人なりの理由があります。

嫌われたくなかった。
空気を壊したくなかった。
相手を困らせたくなかった。
関係を悪くしたくなかった。
自分が我慢すれば済むと思った。

それは、そのときの自分が選べる中で、
一番安全だと感じた方法だったのかもしれません。

だから、言えなかった自分を責めなくていい。

本当は言いたかったのに言えなかった。
それだけでも、十分苦しかったはずです。

その苦しさを、
さらに自己否定で重くしなくてもいい。

これまでの生き方の結果だった

本音が言えないのは、
突然そうなったわけではないと思います。

小さな頃から、
自分の気持ちより周りを優先してきたのかもしれません。

意見を言ったら否定された経験があったのかもしれません。
嫌だと言ったら空気が悪くなったことがあったのかもしれません。
我慢したほうがうまくいく場面が多かったのかもしれません。

そうやって少しずつ、
「本音は出さないほうが安全」
と覚えてきた。

それは、これまで生きてくるために必要だった方法だったのだと思います。

ただ、その方法が今の自分を苦しくしているなら、
少しずつ見直してもいい。

今までの自分を否定するのではなく、
これからの自分のために、
少し違うやり方を覚えていけばいいのだと思います。

少しずつ自分を取り戻していけばいい

本音は、急に言えるようにならなくてもいい。

明日から全部断れる人にならなくてもいい。
思ったことをすぐ言える人にならなくてもいい。
強くならなきゃ、と焦らなくてもいい。

まずは、
自分が何を感じているのかに気づくこと。

嫌だった。
疲れた。
本当は断りたかった。
少し寂しかった。
合わせすぎていた。

その小さな本音を、
自分だけでも認めてあげること。

そこからでいいのだと思います。

本音が言えない人は、
自分の気持ちよりも周囲を優先することに慣れています。

だからこそ、
「言えない自分を変えなきゃ」
と焦る必要はありません。

まずは、
「本当はどう感じていたのか」
に気づくことのほうが大切です。

もしこの記事を読んで、
「私はずっと我慢していたのかもしれない」
そう感じたなら、
「本音を言えない人が、いつも自分を後回しにしてしまう理由」

や、
「本音がわからない人ほど、周囲に合わせすぎている」
も読んでみてください。

きっと今まで言葉にならなかった感覚が、
少しずつ整理されていくはずです。

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ミカヅキ🥐|読みたくなるnoteの「レシピ」 「いつも温かい応援をありがとうございます。皆様からの『スキ』やサポートが、創作を続ける大きな支えになっています。形にしていただいたお気持ちに応えられるよう、これからも自分らしい言葉を綴り続けていきたいと思います。」