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本音を隠して生きてきた人が抱えやすい不安と孤独

誰かと話したあと、ひとりになってから急に疲れが出ることがあります。

あの言い方でよかったのかな。
本当は違うと思っていたのに、また合わせてしまった。
別に大きな問題があったわけではないのに、なぜか心が重い。

そんな感覚が続くと、自分の性格が弱いのかもしれないと思ってしまうことがあります。

でも、もしかするとそれは、ずっと本音を隠して生きてきた人が抱えやすい疲れなのかもしれません。

本音を隠すことは、ただ嘘をつくことではありません。

その場を壊さないため。
嫌われないため。
面倒な人だと思われないため。
相手の機嫌を悪くしないため。

そうやって、自分の気持ちよりも周りの空気を優先してきた時間が長いと、自分でも気づかないうちに心の中に不安と孤独が積もっていきます。

この記事では、本音を隠して生きてきた人がなぜ不安を抱えやすいのか、なぜ人と一緒にいても孤独を感じるのかを、少しずつ整理していきます。

無理に前向きになる必要はありません。

まずは、今まで言葉にできなかった苦しさに、静かに名前をつけていくところから始めてみてください。


本音を隠すことが当たり前になっていた

本音を隠して生きてきた人は、自分ではそれを「我慢している」とすら思っていないことがあります。空気を読むこと、相手に合わせること、波風を立てないこと。それがあまりにも自然になっているからです。この章では、本音を隠す癖がどんなふうに日常の中に入り込んでいたのかを見ていきます。

空気を読むことが生き残る方法だった

本音を隠す人は、もともと何も感じていないわけではありません。

むしろ、周りの空気にとても敏感だった人が多いのだと思います。

相手の表情が少し曇っただけで、何か悪いことを言ったかもしれないと感じる。
LINEの返信がいつもより遅いだけで、嫌われたのではないかと考えてしまう。
会話の中で一瞬沈黙が生まれると、自分が何か埋めなければいけない気がする。

そういう小さな反応を、ずっと拾ってきたのかもしれません。

子どもの頃から、家庭や学校や友人関係の中で、空気を読むことが必要だった人もいます。

自分の意見を言うより、相手の機嫌を見たほうが安全だった。
本当は嫌でも、嫌だと言わないほうが平和だった。
泣いたり怒ったりするより、何も感じていないふりをしたほうが面倒にならなかった。

そういう経験が重なると、本音を出すことよりも、場を乱さないことが優先になります。

それは弱さというより、その時の自分が身につけた生き残るための方法だったのだと思います。

誰かに合わせることで、少なくともその場はうまくいく。
自分が飲み込めば、相手は不機嫌にならない。
自分が我慢すれば、関係は壊れない。

そうやって何度も自分を抑えているうちに、本音を隠すことが当たり前になっていきます。

最初は苦しかったはずなのに、だんだん苦しさを感じる前に反応できるようになる。

「いいよ」
「大丈夫」
「なんでもない」
「私もそう思う」

口から出る言葉だけが先に整って、心のほうが後ろに置いていかれるような感覚です。

嫌われないために「大丈夫」を選んできた

本当は大丈夫ではないのに、「大丈夫」と言ってしまうことがあります。

頼まれごとを断りたいのに、
「全然いいよ」
と言ってしまう。

少し傷ついたのに、
「気にしてないよ」
と笑ってしまう。

予定をキャンセルしたいほど疲れているのに、
「行けるよ」
と返してしまう。

その瞬間は、自分でもうまくやれたような気がするかもしれません。

空気を壊さなかった。
相手を困らせなかった。
嫌な人にならなかった。

でも、帰り道や夜になってから、じわじわと別の疲れが出てくることがあります。

どうしてまた断れなかったんだろう。
どうして本当のことを言えなかったんだろう。
どうして自分ばかり平気なふりをしているんだろう。

スマホを見ながら、返信しなければと思うのに指が動かない。
通知音が鳴るだけで、胸の奥が少し固くなる。
誰かから連絡が来ること自体はうれしいはずなのに、また合わせなければいけない気がして疲れてしまう。

本音を隠して生きてきた人にとって、「大丈夫」は便利な言葉だったのだと思います。

でも同時に、自分の本当の感情を奥に押し込める言葉でもありました。

大丈夫と言えば、その場は終わる。
大丈夫と言えば、深く聞かれない。
大丈夫と言えば、相手も安心する。

けれど、自分の中にある「本当は大丈夫じゃない」は、消えたわけではありません。

ただ、言葉にされないまま残っていきます。

本当は違うと思っても言葉を飲み込んでしまう

本音を隠す癖があると、違和感に気づいても、それを外に出す前に止めてしまいます。

本当はその意見には賛成できない。
本当はその言い方に傷ついた。
本当は今日はひとりでいたい。
本当はその関係に少し疲れている。

でも、言ったら空気が変わる気がする。
重い人だと思われる気がする。
わがままだと思われる気がする。
相手を傷つける気がする。

そう考えているうちに、言葉は喉の奥で止まってしまいます。

そして代わりに、無難な言葉を選ぶ。

「そうだね」
「たしかに」
「わかる」
「私もそう思う」

その場では何も問題が起きません。
むしろ、うまく会話できているように見えるかもしれません。

でも、自分の内側では少しずつズレが生まれていきます。

外側の自分は笑っている。
内側の自分は本当は違うと思っている。
外側の自分は合わせている。
内側の自分は置き去りにされている。

このズレが続くと、自分が何を感じているのかさえ見えにくくなります。

本音を隠すことが長く続いた人ほど、ある日ふと、
「自分は本当はどうしたいんだろう」
とわからなくなることがあります。

それは、気持ちがないからではありません。

気持ちを出さない時間が長すぎて、見つけにくくなっているだけなのだと思います。


本音を隠した人ほど、なぜ不安が消えないのか

本音を隠して相手に合わせているなら、人間関係はうまくいきそうに見えます。けれど実際には、合わせれば合わせるほど不安が強くなることがあります。なぜなら、安心の基準が自分の中ではなく、相手の反応に置かれてしまうからです。ここでは、その消えにくい不安の正体を整理していきます。

人に合わせても安心できない理由

人に合わせることは、たしかにその場の衝突を減らしてくれます。

意見をぶつけない。
相手を否定しない。
相手の望む反応をする。

そうすれば、会話はなめらかに進みます。

でも、本音を隠して合わせたときの安心は、長く続きません。

なぜなら、その安心は「自分が大丈夫だから」ではなく、「相手が今のところ不機嫌ではないから」成り立っているものだからです。

相手が笑っていれば安心する。
返信が早ければ安心する。
誘ってもらえれば安心する。
褒められれば安心する。

でも逆に、相手の表情が少し変わっただけで不安になる。
返信が遅いだけで不安になる。
少し距離を感じただけで、自分が何かしたのかもしれないと考える。

自分の本音を出していない関係では、相手が本当の自分を受け入れてくれているのかどうかがわかりません。

見せているのは、相手に合わせた自分。
嫌われないように整えた自分。
傷つかないように薄めた自分。

だから、たとえ相手が優しくしてくれても、どこかで思ってしまうのです。

この人が受け入れてくれているのは、本当の私ではないのかもしれない。

この感覚が、不安を消えにくくします。

相手の評価が気になり続ける苦しさ

本音を隠して生きていると、相手の評価が自分の安全確認のようになっていきます。

嫌われていないか。
変に思われていないか。
重いと思われていないか。
面倒な人だと思われていないか。

会話が終わったあとも、頭の中で何度も振り返ってしまうことがあります。

あの返事、冷たく聞こえたかな。
もっと明るく返せばよかったかな。
あそこで笑わなかったの、変だったかな。
自分の話をしすぎたかもしれない。

相手はもう忘れているかもしれないのに、自分だけが会話の場面を何度も再生してしまう。

ベッドに入ってからも、ふと昼間の会話がよみがえる。
スマホを閉じても、頭の中の反省会が終わらない。
眠りたいのに、心だけがまだ誰かの反応を確認し続けている。

これは、ただ気にしすぎな性格というだけでは片づけられないと思います。

本音を隠している人は、自分の内側にある確かな感覚を頼りにしにくくなっています。

私はこう思った。
私はこう感じた。
私はこれでよかった。

そういう自分側の確認が弱くなるぶん、相手の評価に頼らざるを得なくなるのです。

相手が大丈夫そうなら、自分も大丈夫。
相手が不機嫌そうなら、自分が悪い。
相手が離れていきそうなら、自分の価値がなくなる。

そんなふうに感じてしまうと、人間関係はいつも緊張を含んだものになります。

本音と行動がズレるほど心は疲れていく

本音を隠したまま行動し続けると、心の中に少しずつ疲れがたまります。

行きたくないのに行く。
断りたいのに引き受ける。
傷ついたのに笑う。
嫌だと思ったのに平気なふりをする。

ひとつひとつは小さなことかもしれません。

でも、それが毎日のように積み重なると、自分の中にある感情と、実際の行動がどんどん離れていきます。

すると、何をしていてもどこか空っぽな感じがすることがあります。

人と会っているのに楽しくない。
感謝されているのに満たされない。
予定が入っているのにうれしくない。
周りからはうまくやっているように見えるのに、自分だけが疲れている。

それは、本音がないからではなく、本音を置き去りにしたまま動き続けているからかもしれません。

心は、本当はちゃんと気づいています。

嫌だったこと。
寂しかったこと。
傷ついたこと。
無理をしていたこと。

ただ、それをすぐには言葉にできないだけです。

もし最近、「自分が本当は何を考えているのかわからない」と感じることが増えたなら、本音を隠してきた時間が長かったのかもしれません。

その状態については、「本音がわからない人ほど、周囲に合わせすぎている」で詳しく整理しています。気持ちが見えなくなっている感覚に心当たりがある人は、あわせて読んでみてください。


孤独なのに、人と離れるのも怖い

本音を隠していると、人と一緒にいることにも疲れるのに、ひとりになることにも不安を感じることがあります。近づきたいのに怖い。離れたいのに寂しい。その矛盾は、決しておかしなものではありません。本音を出せないまま人と関わってきた人ほど、関係の中で孤独を感じやすくなるのです。

理解されない不安をずっと抱えている

本音を隠している人は、表面的には人間関係があるように見えることがあります。

連絡を取る相手がいる。
一緒に出かける人がいる。
職場でも普通に話せる。
笑ったり、相づちを打ったり、場に合わせたりできる。

だから周りからは、孤独に見えないかもしれません。

でも、本人の内側では、ずっと「本当のところは理解されていない」という感覚を抱えていることがあります。

誰かと一緒にいるのに、心の奥までは届いていない感じ。
話しているのに、肝心な部分は話せていない感じ。
笑っているのに、どこかでひとりだけ別の場所にいる感じ。

その孤独は、人数では埋まりません。

たくさんの人に囲まれていても、自分の本音を出せないままだと、心はひとりのままです。

もちろん、すべてを誰かに話す必要はありません。

人には言いたくないこともあるし、守っておきたい感情もあります。

でも、本当はわかってほしい気持ちまで隠し続けていると、少しずつ苦しくなっていきます。

「誰もわかってくれない」
と思う一方で、
「でも、自分も何も言っていない」
という苦しさもある。

この両方があるから、余計に孤独が深くなるのだと思います。

本音を見せたら嫌われる気がする

本音を隠してきた人にとって、自分の気持ちを見せることは、とても怖いことです。

ただ意見を言うだけでも、胸がざわつく。
少し断るだけでも、相手との関係が壊れる気がする。
「それは嫌だった」と伝えるだけで、自分が悪者になるような気がする。

本音を出す前から、頭の中ではいろいろな不安が広がります。

嫌われるかもしれない。
距離を置かれるかもしれない。
面倒だと思われるかもしれない。
今までの関係が変わってしまうかもしれない。

だから、本音を見せるくらいなら、隠していたほうが安全に感じる。

でも、本音を隠し続けると、今度は別の苦しさが出てきます。

自分がいないまま、関係だけが続いていくような感覚です。

相手と話しているのに、自分の本当の気持ちはその場にいない。
相手に合わせた言葉だけが会話していて、自分の内側は黙ったまま。

そうなると、関係が続いていても安心できません。

むしろ、近くにいるぶんだけ孤独を感じることがあります。

本当の自分を見せていないから、嫌われていないのかもしれない。
でも、本当の自分を見せていないから、愛されているとも感じられない。

この間に挟まれると、人と関わることがとても疲れるものになります。

誰かと一緒にいても満たされない瞬間がある

友達と会った帰り道。
職場の飲み会のあと。
家族と話したあと。
恋人と一緒に過ごしたあと。

楽しくなかったわけではないのに、なぜかひどく疲れていることがあります。

電車の窓に映る自分の顔を見て、ふっと力が抜ける。
家に帰って部屋の明かりをつけた瞬間、急に静けさが押し寄せる。
スマホには今日撮った写真が残っているのに、心の中だけが妙に空っぽに感じる。

誰かといたはずなのに、満たされていない。

その感覚は、本音を隠していた時間が長い人ほど起こりやすいのかもしれません。

相手と一緒にいた時間の中で、自分はどれくらい本当の気持ちでいられたのか。
どれくらい無理なく笑えたのか。
どれくらい「それは違う」と思った瞬間を飲み込んだのか。

そういう小さな我慢は、楽しい時間の中にも混ざっています。

だから、帰宅後にどっと疲れる。

人と会うことが嫌いなわけではない。
誰かとつながりたい気持ちもある。
でも、近づくほど自分を隠さなければいけない気がして苦しくなる。

本音を隠していると、人と近づきたい気持ちと距離を取りたい気持ちが同時に生まれます。

その結果として、人間関係が続かなかったり、同じ悩みを繰り返したりすることがあります。もし思い当たるなら、「人間関係が続かないのは性格ではない|繰り返すパターンを見直そう」も参考になるかもしれません。


本音を隠す癖は弱さではなく防衛だった

本音を隠してきた自分に気づくと、「どうしてもっと正直にできなかったんだろう」と責めたくなることがあります。でも、その癖は弱さだけで生まれたものではありません。傷つかないため、関係を壊さないため、その時の自分なりに必死に身につけた防衛だった可能性があります。

傷つかないために身につけた習慣だった

本音を隠す癖は、ある日突然できるものではありません。

何度も傷ついたり、がっかりしたり、言ってもわかってもらえなかったりした経験の中で、少しずつ身についていくものです。

正直に言ったら否定された。
嫌だと言ったら機嫌を悪くされた。
泣いたら面倒くさそうにされた。
怒ったら自分のほうが悪いことにされた。

そういう経験があると、人は学びます。

本音を出すと危ない。
感情を見せると面倒なことになる。
自分の気持ちは隠したほうが安全。

それは、とても自然な反応です。

本音を隠してきた自分を責める前に、その癖が自分を守ってきた可能性を見てあげてもいいのだと思います。

本音を言えなかったのではなく、言えない環境や関係の中で生きてきたのかもしれません。
自分の気持ちを大切にしなかったのではなく、大切にする余裕がなかったのかもしれません。

その時の自分は、きっと必死でした。

傷つかないように。
嫌われないように。
置いていかれないように。
これ以上、心が壊れないように。

だから、本音を隠してきた過去を、ただ悪いものとして切り捨てなくてもいいと思います。

それはあなたを苦しめてもきたけれど、同時にあなたを守ってもきたのかもしれません。

優しさと我慢を混同していたかもしれない

本音を隠す人は、優しい人だと言われることがあります。

相手に合わせられる。
人の気持ちを考えられる。
場の空気を壊さない。
自分の主張を押しつけない。

たしかに、それは優しさの一部かもしれません。

でも、いつの間にか優しさと我慢が混ざってしまうことがあります。

相手を思いやることと、自分を無視することは同じではありません。
相手を傷つけないことと、自分が傷つき続けることも同じではありません。
関係を大切にすることと、自分だけが耐え続けることも、本当は同じではないはずです。

けれど、本音を隠して生きてきた人は、その境目がわからなくなりやすいです。

自分が我慢すれば丸く収まる。
自分が黙れば相手は嫌な思いをしない。
自分の気持ちより、相手の気持ちを優先したほうがいい。

そうやって過ごしているうちに、自分を後回しにすることを「優しさ」だと思うようになります。

でも、その優しさの中に、苦しさが混ざっているなら。
あとから疲れや怒りや虚しさが残るなら。
それは、少しだけ見直してもいいサインかもしれません。

優しいままでいていいのです。

ただ、自分を消さなくてもいい。

誰かを大切にすることと、自分の気持ちをなかったことにしないことは、両方あっていいのだと思います。

今の自分を責める必要はない

本音を隠してきた自分に気づくと、過去のいろいろな場面を思い出して苦しくなることがあります。

あの時、ちゃんと言えばよかった。
あの関係、もっと早く離れればよかった。
あんなに我慢しなくてもよかった。
どうして自分の気持ちを大事にできなかったんだろう。

でも、その時の自分には、その時の限界がありました。

今の自分が振り返れば見えることも、当時の自分には見えなかった。
今なら言葉にできることも、当時は言葉にする力が残っていなかった。
今なら離れたほうがいいとわかる関係も、当時は離れることのほうが怖かった。

だから、今の視点で過去の自分を責めすぎなくていいと思います。

本音を隠してきたことに気づけたなら、それはもう変化の始まりです。

すぐに正直になれなくてもいい。
すぐに断れなくてもいい。
すぐに全部の関係を変えなくてもいい。

まずは、
「私はずっと隠してきたのかもしれない」
と気づくだけでも、十分に大きなことです。

責めるためではなく、理解するために振り返る。

そのほうが、心は少しずつほどけていきます。


少しずつ「自分の気持ち」を取り戻していく

本音を隠してきた人が、いきなりすべてを正直に話す必要はありません。大切なのは、外に出す前にまず自分の中で気づくことです。嫌だった。疲れた。寂しかった。本当は違うと思った。そうした小さな感覚をひとつずつ認めることが、自分の気持ちを取り戻す始まりになります。

全部を正直に話す必要はない

本音を大切にすると聞くと、すべてを正直に言わなければいけないように感じる人もいるかもしれません。

嫌なことは嫌と言う。
思ったことは全部伝える。
我慢せずに自分を出す。

たしかに、それが必要な場面もあります。

でも、本音を取り戻すことは、何でもそのまま相手にぶつけることではありません。

本音は、まず自分が知ってあげるものです。

今、私は本当は嫌だったんだ。
あの言葉に少し傷ついたんだ。
本当は断りたかったんだ。
本当は寂しかったんだ。

そうやって、自分の内側で気づくことからでいいのだと思います。

誰に話すか。
どこまで話すか。
いつ話すか。
話さないという選択をするか。

それは、自分で選んでいいことです。

本音を大切にすることは、すべてをさらけ出すことではありません。

むしろ、自分の気持ちを雑に扱わないことです。

誰にでも見せる必要はない。
でも、自分だけは見失わないようにする。

それくらいの距離感から始めてもいいと思います。

まずは小さな違和感を認めてみる

本音がわからなくなっているときは、大きな答えを探そうとすると苦しくなります。

私は何がしたいのか。
どんな人生を生きたいのか。
どんな人間関係が正解なのか。

そういう問いは大切だけれど、疲れているときには重すぎることがあります。

だから最初は、もっと小さな違和感でいいのだと思います。

この予定、少し気が重い。
この返信、今はしたくない。
この人と話したあと、いつも疲れる。
本当は今日は早く帰りたかった。
あの言葉、笑って流したけど少し悲しかった。

こういう小さな感覚を、なかったことにしない。

それだけでも、本音は少しずつ戻ってきます。

違和感は、心からの小さな通知のようなものです。

強い怒りや大きな悲しみになる前に、心がそっと知らせてくれている。

でも、本音を隠してきた人は、その通知をすぐに消してしまうことがあります。

こんなことで嫌だと思うなんて。
自分が気にしすぎなだけ。
相手に悪気はないんだから。
これくらい我慢しないと。

そうやって処理する前に、少しだけ立ち止まってみる。

「そう感じたんだね」
と、自分に言ってみる。

解決しなくてもいい。
誰かに説明できなくてもいい。
正しい感情かどうかを判断しなくてもいい。

ただ、感じたことを感じたまま置いておく。

それが、本音を取り戻すための小さな練習になります。

本音を守るために境界線が必要になる

本音を大切にしようとすると、人との距離感を見直す必要が出てくることがあります。

何でも引き受けない。
すぐに返信しない時間をつくる。
疲れる誘いを断る。
相手の機嫌を全部背負わない。
踏み込まれたくない話題には、少し距離を置く。

それは冷たいことではありません。

自分の心を守るために必要な線です。

本音を隠してきた人は、相手との境界線が曖昧になりやすいです。

相手が不機嫌だと、自分が何とかしなければと思う。
相手に頼まれると、断る権利がないように感じる。
相手が望んでいるなら、自分が我慢するのが普通だと思ってしまう。

でも、どれだけ大切な相手でも、自分の心まで差し出し続ける必要はありません。

本音を守るには、少し距離が必要です。

近づきすぎると、自分の気持ちが相手の感情に飲み込まれてしまうことがあります。
離れすぎると、今度は孤独が強くなることもあります。

だからこそ、自分にとって苦しくない距離を探していくことが大切なのだと思います。

本音を大切にすることは、わがままになることではありません。

むしろ、自分の気持ちを守るためには、人との間に適切な距離や境界線を持つことが必要です。

その考え方については、「人間関係に線を引くレッスン|もう我慢しないための境界線の作り方」で詳しくお話ししています。


本音を隠してきた自分に気づいたなら

本音を隠してきたことに気づくと、これまでの不安や孤独の理由が少し見えてくることがあります。自分がおかしかったわけではなく、自分を守るためにずっと緊張していたのかもしれない。そう思えるだけで、心の中に少し余白が生まれます。最後に、その気づきをこれからの自分へつなげていきます。

不安が消えなかった理由が少し見えてくる

ずっと不安だった理由は、あなたが弱いからではなかったのかもしれません。

人に合わせても安心できない。
嫌われていないか気になり続ける。
本音を見せていないから、受け入れられている実感が持てない。

そういう状態の中で、不安が消えないのは自然なことです。

むしろ、心はずっと知らせてくれていたのかもしれません。

このままでは苦しいよ。
本当の気持ちを置き去りにしているよ。
誰かに合わせるだけでは安心できないよ。

その声が、不安という形で出ていたのかもしれません。

不安は厄介です。
できれば消えてほしいし、感じたくないものです。

でも、不安の奥には、自分の本音が隠れていることもあります。

本当はわかってほしかった。
本当は大切にされたかった。
本当は嫌なことを嫌と言いたかった。
本当はもっと自然体でいたかった。

そういう気持ちが、ずっと出口を探していたのかもしれません。

孤独の正体は「本当の自分を出せない苦しさ」だった

人と一緒にいるのに孤独を感じると、自分がおかしいのではないかと思ってしまうことがあります。

周りには人がいる。
話せる相手もいる。
予定もある。
なのに、どうして寂しいのだろう。

でも、その孤独は、人がいない寂しさではなかったのかもしれません。

本当の自分を出せない苦しさ。
自分の気持ちを誰にも触れられないままにしている寂しさ。
相手と関係はあるのに、自分の本音だけが置いていかれている感覚。

それが、孤独として感じられていたのかもしれません。

本音を出すことは、怖いです。

すぐにできるものではありません。
相手によっては、出さないほうがいい場合もあります。
誰にでも開けばいいわけでもありません。

それでも、自分だけは自分の本音を見捨てないでいたい。

外では言えなくても、心の中でくらいは、
「本当は嫌だった」
「本当は寂しかった」
「本当はわかってほしかった」
と認めてあげてもいいのだと思います。

それだけで、孤独が完全に消えるわけではないかもしれません。

でも、自分の中に自分の味方がひとり戻ってくるような感覚が、少しずつ生まれてくることがあります。

これからは自分の気持ちも大切にしていい

本音を隠して生きてきた人は、自分の気持ちを大切にすることに慣れていません。

だから最初は、少し怖いと思います。

断ること。
違和感を認めること。
無理なものを無理と言うこと。
相手に合わせる前に、自分はどう感じているかを確認すること。

どれも簡単ではありません。

でも、これから少しずつでいいのだと思います。

急に別人にならなくていい。
急に強くならなくていい。
急にすべての本音を話せるようにならなくていい。

まずは、心の中で自分に聞いてみる。

本当はどう感じている?
今、無理していない?
これは本当に引き受けたいこと?
この関係の中で、自分はちゃんと息ができている?

その小さな問いかけが、自分の気持ちを取り戻す始まりになります。

本音を隠してきた時間は、なかったことにはできません。

でも、その時間を責めるだけではなく、
「それだけ守りながら生きてきたんだ」
と見つめ直すことはできます。

そしてこれからは、少しずつ自分の気持ちも大切にしていい。

誰かを大切にするように。
誰かの表情を気にしてきたように。
誰かの言葉に傷つかないよう気を配ってきたように。

同じくらい、自分の心にも目を向けていいのだと思います。


ここまで読んで、「ずっと本音を隠して生きてきたのかもしれない」と感じた人もいるかもしれません。

本音を出せないこと自体が問題なのではなく、そのせいで自分の気持ちまで見えなくなってしまうことが苦しさにつながります。

もし今、自分の感情をもう少し整理したいと思ったなら、感情整理ワークをまとめたnoteも用意しています。

頭ではわかっているのに気持ちが追いつかないとき、自分の本音を少しずつ言葉にしていくためのヒントとして活用してみてください。

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