見出し画像

【Day7】「正解」じゃなく、「どう感じるか」で選んでいい──正しさに削られてきた人の最終回

Day6で、名前が戻ってきた話を書いた。 焦り、悲しみ、嬉しさに名前がつく。 感情は形をもち、扱えるかたちに変わる。

名前がつくと、見えてくるものがある。 ここまで自分が何を基準に選んできたか、という基準そのものだ。

感覚が戻ると、正しさで選んできたことに気づく

感情に名前がつくようになると、ある日、嫌な気づきが訪れる。 ここまでの人生で、自分が選んできたものの多くが、自分の感覚ではなかった、という気づきだ。

進学先、職種、付き合う相手、休日の過ごし方。 表向きは自分で決めたと言ってきたものほど、実は、正しさや他人の評価で選んでいた。 偏差値、年収、安定性、世間体。 そういう基準のほうが、自分の感覚より、ずっと声が大きかった。

正論で削られ続けた人ほど、選ぶときの基準が、外側に置かれている。 自分の感覚で選ぶ、というやり方を、長く使ってこなかった。 だから、いざ感覚が戻ってきても、それを判断に使う回路だけが、まだ働いていない。

これは、能力の話ではない。 削られている時期に、外側の基準を握っていなければ、生き残れなかった、というだけのことだ。 正しさを盾にすることは、その時期の防御だった。

ただ、感覚が戻ってきた人は、もうその盾を握り続けなくていい。 盾を握ったまま選んでいると、選んだ結果に、自分のうれしさが、ついてこない。 どこかで、なぜか満たされない、という感覚が残り続ける。

正しさで通った人生は、正しさのぶんだけ、自分の温度を置き去りにしている。

ここからは、選び方を、ゆっくり変えていく話だ。

南波六太は、正しさより楽しさで決めた

宇宙兄弟という作品に、南波六太、通称ムッタという主人公がいる。 弟の南波日々人は、兄より先に宇宙飛行士になった。 兄のムッタは、自動車メーカーのエンジニアとして、地に足のついた仕事をしていた。 順当で、世間的にも正しい人生に見える。

その兄が、ある事件をきっかけに、会社を離れることになる。 大人になってからの、思いがけない空白が、彼に訪れる。

その空白の中で、彼は思い出す。 幼いころ、弟と二人で交わした、宇宙へ行くという約束を。 正しさで言えば、年齢も経歴もブランクも、選ばないほうが妥当な道だ。 でも、心が動いてしまう。

彼が宇宙飛行士を目指し直すと決めたのは、勝算があったからではない。 正解だったからでもない。 自分の中で動いた何かを、無視できなかったからだ。

ここで、彼を支える人物のひとりが、天文学者の金子シャロンだ。 迷うムッタに、彼女は静かに伝える。 正しいかどうかではなく、自分がどう感じているか、楽しいと思えるかで決めていい、という趣旨の言葉を。 言い直すなら、選ぶときの軸を、外から内へ戻していい、ということだ。

ムッタは、誰かに認められる道ではなく、自分が見たい景色のほうを選ぶ。 強い人だから選べたのではない。 彼はネガティブ思考で、自分を疑い続ける人物だ。 ただ、自分の感覚で道を探すときの不器用さを、捨てなかった。

彼は、正解を選んだんじゃない。心が動いたほうを、選んだだけだ。

正論で殴られてきた人が、最後にやり直す動作も、それと似ている。 正しいかではなく、心がどう動いたか。 そっちを、選ぶ理由にしていい。

自分で選んだものは、続けられる

心理学に、自己決定理論という考え方がある。 人は、外からの「べき」で動かされたものより、自分の中の「やりたい」という感覚で選んだもののほうが、長く続けられる。

正しさで選んだことは、外側の事情が変わると、すぐに揺らぐ。 評価が下がる、人にどう見られるかが変わる、状況が悪くなる。 そのたびに、続ける理由が、少しずつ削られていく。

自分の感覚で選んだものは、構造が違う。 理由は自分の中にある。 外の評価が動いても、自分の中の何かが続いていれば、揺らがない。

外で選んだものは外で崩れ、内で選んだものは内で続く。

これは、性格の強さではない。 選び方の構造の違いだ。

外側の基準で人と関わってきた人は、関係そのものが重くなる。 人といること自体が、消耗の理由に変わっていく。 めんどくさい、と感じることが増えていく。 本人は、自分が冷たくなったのかと思う。 そうではない。正しさで人間関係を回す時間が、長すぎただけだ。

このあたりの重さは、別の記事「人間関係がめんどくさいと感じるほど、頑張りすぎている人へ」で掘り下げた。 そこで書いた重さは、選ぶ基準が外側に置かれたままだった人の重さだ。

選び方を内側に戻すこと。 それは、続けるための、いちばん地味で、いちばん効く手立てだ。

正しさに削られてきた人へ、最後の一歩

僕は、現場仕事を本業にしながら、書いている。 本業は、正しさで回る世界だ。手順、安全基準、評価基準、報告書。 すべて正論で組み立てられている。それは必要なものだ。 ただ、正論の中だけで生きていると、自分の感覚はすぐに薄くなる。

僕が書き始めたのは、伸びたかったからではない。 本業の中で薄くなっていく自分の感覚を、書くことで取り戻したかったからだ。 うまくいかない日もある。書いても通知が静かな日のほうが、たぶん多い。 それでも、続いている。 理由は単純で、書いている時間だけは、自分の感覚で選んだものだからだ。

正しさで頑張りすぎると、ある日、関係そのものをリセットしたくなる瞬間が来る。 全部やめて、別の場所に行きたい、という衝動だ。 これは怠けではない。 別の記事「人間関係をリセットしたくなるのは、逃げではなく限界のサイン」に書いたとおり、それは身体からの、これ以上は外で選び続けるのは無理だ、という信号だ。

40代で、正しさで回る職場や世間に長く揉まれてきた人ほど、選ぶ基準が外に置かれている。 転職、副業、関係の見直し。 どれも、正論で考えれば、やらないほうが安全、がいつも答えに出る。 でも、安全な選択を積み重ねた先で、自分が薄くなっていくことに、もう気づいている人もいる。

ムッタが大人になってから夢を選び直したように、今からでも、自分の感覚で次の一歩を選んでいい。 大きく動かなくていい。 仕事のあと、自分が何に少し時間を使いたいか、それだけを書き出す。 副業に化ける動きは、たいていそこから始まる。 副業を主役にしなくていい。 自分の感覚を、隣にそっと置いておくだけでいい。

正しさは、続ける理由にはならない。心が動いたほうだけが、続けさせてくれる。

選び直すのに、遅すぎる年齢はない。 あるのは、もう自分の感覚で選んでいい、という許可だけだ。 誰かに出してもらう必要はない。 自分で、自分に出していい。

正解じゃなく、どう感じるかで決めていい。 心が動いたほうを選ぶことは、わがままではなく、続けるための土台だ。

正しさで削られてきた時間は、無駄ではない。 それがあるから、いま、何が自分の感覚かを見分けられる。

7日間、正論パンチに削られた感覚を、ゆっくり戻す道を一緒にたどってきた。 反論できない夜、自分を責める朝、評価される平日、麻痺、受け止めすぎる夕方、名前を取り戻す瞬間、そして、自分の感覚で次を選ぶ一歩。 ここまでたどり着いた人は、もう、外の正しさに削られっぱなしの人ではない。

感情を整理する話を、noteで毎日書いている。 読むと、いつもの自分が少し違って見えるかもしれない。 気になったら、プロフィールから覗いてみてほしい🦉

いいなと思ったら応援しよう!

ミカヅキ🥐|読みたくなるnoteの「レシピ」 「いつも温かい応援をありがとうございます。皆様からの『スキ』やサポートが、創作を続ける大きな支えになっています。形にしていただいたお気持ちに応えられるよう、これからも自分らしい言葉を綴り続けていきたいと思います。」