見出し画像

オーケストラのための雅楽曲  〜松平頼則 ピアノとオーケストラのための盤渉調越天楽による主題と変奏〜

本コラムは、
私の父の友人である茨城県石岡市長の谷島洋司さまに、私的にご清覧賜りました。

今回は、
作曲家 松平頼則(まつだいらよりつね)と、雅楽の関わりについて紹介します。


はじめに


2023年度後期放送の連続テレビ小説「ブギウギ」をご覧になっていた方も多いのではないでしょうか?

第二次世界大戦終戦直後、
「ブギの女王」として一斉を風靡した笠置シズ子をモデルとし、
(筆者も大好きな)女優 趣里さんか主演した朝ドラです。

それまで躍動に乏しかった歌謡界に、
ジャズのリズムパターンであり、
黒人音楽の世界から誕生した「ブギ」とド派手なダンスを取り入れたことで、戦後歌謡界に大きな影響を与えた人物でした。

その「ブギ」は、オーケストラ版雅楽曲のアレンジに使われていたことをご存知でしょうか?

しかもそのベースの曲が盤渉調越天楽であったことは、雅楽を嗜む者であれば驚きを隠せないでしょう。

驚きを隠せない…?
その理由は読んで行けば分かります。


盤渉調越天楽 篳篥譜(筆者使用)

越天楽は3種類ある

普段雅楽として思い浮かべるのは平調越天楽でしょう。
挙式の雅楽奏楽や、越天楽今様、黒田節(平調越天楽が原曲)など、多くの方が聞き馴染みのある曲なのですが、

実は雅楽曲の中には移調関係にある同じ名前の越天楽という曲が、ほかに2種存在しています。

それが、『黄鐘調越天楽』『盤渉調越天楽』であり、今回はそのうちの盤渉調に属する越天楽を題材とした『ピアノとオーケストラのための盤渉調越天楽による主題と変奏』を紹介したいと思います。

盤渉調越天楽の主題と変奏

 

盤渉調越天楽のメロディを主題とし、そこから6つのアレンジに変化していきます。

主 題…管弦楽による盤渉調越天楽の雅楽演奏の忠実な再現(主題の提示)

変奏曲1…華麗な装飾楽句のちりばめられたピアニステイックな曲

変奏曲2…低音部、中音部、高音部がそれぞれ異なる調性で現れる復調的な曲

変奏曲3…試験的な12音技法を駆使した現代的な曲

変奏曲4…静謐な曲。「無言歌」という副題を持つ

変奏曲5…当時巷に溢れていたジャズの一種「ブギ」のリズムを用いたポピュラーな曲

変奏曲6…トッカータによる華麗な曲

コーダ…変奏曲6のクライマックスを迎え、主題の雅楽演奏の忠実な再現に戻り、厳かに終曲する(ピティナ・ピアノ曲事典より解説を参照)


松平頼則氏
『東京新聞』2023.4.9朝刊掲載写真より
下山富彦氏がイラストに描きました。


盤渉調越天楽といえば、
ご葬儀(神葬祭)に演奏されることの多い曲で、個人的には湿っぽさや暗ったさを感じます。

さらに盤渉調が季節感としては【冬】を表すように、寒々とした月明かりの夜に凍てつく哀しい調べが幽玄さを誘う…そんなイメージであったのですが、

このオーケストラ版盤渉調越天楽を初めて鑑賞した私は、そのすべてのイメージが覆ったことを強烈に覚えています。

まず忠実な雅楽の主題の提示に始まり、格調高いピアノの踊るような旋律に恍惚な気分にさせられます。
緩急の変化に富み、まるで古今東西のフルコースが順々に振る舞われていくような全く飽きのない曲。そして宴もたけなわになったその時に、「無言歌」の静かな調べとは全く裏腹な「ブギ」の越天楽の登場です。
雅楽を嗜む者にとって、この越天楽のイメージの場違いさとセンセーショナルな感覚にあっけにとられるのではないかと思いますが、
その絶妙な裏切りの数々が面白く感じました。

一連のアレンジを魅了し尽くした最後(コーダ)には、主題の雅楽に戻って荘厳さを取り戻し、
今まで目眩く紡いできた音の宴は、まるですべてが幻想であったかのような錯覚を残して静かに終わるのです。

私の盤渉調越天楽のイメージを、驚きとともに根底から覆しました。
まさに古代と現代が交錯する、一番洗練されたオーケストラ版雅楽曲といってもよいように思われてなりません。

松平頼則の若いころ

ブギの調べを含む不思議な曲の数々は、松平頼則氏(1907〜2001)によって作曲されました。

「日本現代音楽の父」と評され、海外で高く評価、逆輸入されることで国内で再評価された作曲家です。

茨城県石岡市に本拠をおいた常陸府中藩の藩主「府中松平氏」の子孫であり、父、松平頼孝(子爵)は鳥類学者として有名でした。

幼少期は裕福な生活を送ったものの、父は鳥類研究にどっぷりハマり破産…
そんな中、来日したフランス人ピアニストの演奏に感銘を受けて、17歳の頃から音楽家を志します。

1930年。音楽界に新しい風をもたらすべく「新興作曲家連盟」を結成。
自らは在野の立場から器楽や管弦楽の創作に積極的に取り組みます。

このころ松平頼則はまだ雅楽には出会っておらず、
東北地方の南部民謡をモチーフにした作品を手がけています。
では雅楽との出会いはいつ、どんなきっかけがあったのでしょうか?

そこで本コラムでは、
小野雅楽会機関誌『雅楽界』からのアプローチにより、松平頼則について、雅楽の世界から触れてみたいと思います。

雅楽の世界から見た松平頼則

雅楽との出会いについて、
『雅楽界』第49号に寄稿された「小野雅楽会と私」では以下のように回顧しています。

「私が始めて雅楽の五線譜に接したのは、今から凡そ二十五年も前のことである。
(筆者註:雅楽界49号の発刊が1970年のため、凡そ1945年前後ということになるか?)
その頃宮内省雅楽部が雅楽を素材とした管絃楽曲の募集をしていて、私はその素材となる楽譜をしたわけである。(中略)その当時は何しろ始めて接する雅楽のシステムなので、どうしてよいか全く見当もつかなかった。

私がそれまで勉強して来た西洋の音楽とは全然別種のもので、辛うじて、旋律の輪郭だけを捉えることしか出来なかった。…この時から私は雅楽のとりこになった。そして日本人である自分が、日本の伝統音楽に歯がたたないという事は、何か甚だおかしなことである事に気がついた」


全音ピアノライブラリ
『ピアノのための盤渉調越天楽による主題と変奏』楽譜
筆者蔵

彼は恐らく上記のきっかけから、
雅楽について徹底的に知りたいという願望を抱きました。

東儀和太郎先生との出会い



戦後、自宅を訪ねてきた元神主の「小さな」男から小野雅楽会を紹介され、
(東京都台東区無形文化財。民間の立場から雅楽を普及させることを目的に、明治20年、小野照崎神社宮司 小野亮道氏が創設した雅楽団体。)

当時指導を行っていた東儀和太郎氏との出会いを通して直接雅楽を知る機会を得ます。

「小野雅楽会と私」では、東儀先生との出会いをこう振り返ります。

「東儀和太郎先生を紹介されたことは、私にとっては文字通り渡りに舟だったが、東儀先生にとっては思わぬ災難の前兆だった。

私達のような西洋音楽的に教育された者は楽譜が無ければ夜も日も明けない。知ることに執念のとりこに成っていた私は幾度も五線譜に書き換えられた雅楽の曲をもぎ取ろうとして、まるで債鬼のように追い続けたのである」

また、雅楽の楽器を自ら弟子入りして勉強したいとは思わなかったようです。
その理由は「私が自分で雅楽の養子に成る」ことを恐れたからで、あくまで彼は「自分の音楽を書きたかった」のだと回顧しています。

彼にとって雅楽との直接的な出会いは、小野雅楽会の演奏と当時そこで指導されていた東儀和太郎先生との出会いからであり、そこから大きな影響を受けたと言っても過言ではないのです。

話は戻りますが、『ピアノとオーケストラのための盤渉調越天楽による主題と変奏』は、小野雅楽会と東儀和太郎先生との出会いを経て、1951年に作曲されます。

さらに1952年。
モーツァルト生誕の地であるザルツブルグ現代音楽協会(I.S.C.M)音楽祭で入選を果たし、

ヘルベルト・フォン・カラヤンの指揮、
ウィーン楽友協会の演奏によりウィーンにて、
さらに、1953年にはカラヤン初来日に合わせて東京で初演され、大変な反響となりました。

ちなみに日本人が作曲した作品のなかで、
カラヤンが指揮し、ウィーン楽友協会で演奏されたものは、『盤渉調越天楽の主題と変奏』以外にありません。
まさかご葬儀にて奏楽している盤渉調越天楽が、
アレンジされてカラヤン指揮、楽友協会が演奏したとは…全く驚きです。

その後も声楽『催馬楽によるメタモルフォーズ』、管弦楽『青海波による管弦楽のための音楽』、
器楽『神聖な舞踊による3つの楽章のための変奏曲(振鉾三節による変奏曲)』など、
雅楽を題材にした楽曲を度々発表し、ISCM世界音楽祭に前人未到の13回の入選を果たします。

音楽大学出身という学歴があるわけではない彼が、全くの「在野」の立場から音楽を切り開く姿は、「雅楽同志協会」という、在野からの雅楽普及を目指した近衛直麿とリンクするように感じられます。

ぜひともこうした作品にも興味を持って鑑賞していただけると嬉しいです。

参考文献

1「小野雅楽会と私」松平頼則『雅楽界49』1969
2『松平頼則の《南部民謡集》をめぐって-採譜と創作のはざまで-』竹内直 京都市立芸術大学日本伝統音楽研究センター 2018
3【「日本現代音楽の父」松平頼則氏の生涯紹介 茨城県立歴史館で企画展 来月17日まで】東京新聞 2023.11.24掲載

いいなと思ったら応援しよう!