クソ共の発言は全てポジショントーク

こんにちは🌞
今日は世のクソ共のクソな発言を偶然見てしまったので、自分を治療していこうと思う。エンタメ動画を見ながら適当に書いていくので日本語がおかしいかもしれない。

人間は基本自分の実益のために動いているので、以前私が書いた[物は言いよう]という世界観で善悪や正解不正解をどう虚構するかというと自分に都合よく虚構するのだ。基本人間が付加価値をつける前の出来事は現象でしかなく、裁判や優劣は付ける人間や集団側の利益を生み出すために作られている。

その相手の利益のために作られたポジショントークにのまれて都合よく動かされたりしている時間は無益だという話で、シンプルに仕掛けられた勝負に負けているのだ。みんな自分の実益を追いかけて意見や価値観を押し付けようとしている場合が多い。

集団に表向き迎合することと、本心でその世界観にのまれて生活することは全く幸福度が違うし、実益を自分自身で考えて自分の人生を生きているとは言えなくなってしまう。

じゃあどうやってそういった他人に都合よく作られた価値観等のポジショントークを見分けるかというと、結論をみればいいだけだ。〇〇はダサいとか〇〇は不快だという意見だとすれば、そいつ目線〇〇が嫌だからやめろというポジショントークでありそいつの実益につながっている。そいつが嫌な思いをしないことやその行動の是正が自分の実益に繋がるのであれば賛成すればいいが、そんな場合はほぼ無いし無視が安定である。

ポジショントークを見分けるよりもさらにいい方法は、自分の実益に繋がるかどうかを行動前の最終判断基準にすることだ。何をする前にも、それをすることが自分の実益に繋がるか否かを真剣に吟味して、行動後にもそこだけは真剣に考えておくべきである。

逆にそれ以外は忙しければ全て省略省力して良い部分だと考えていて、真面目な日記とかジャーナル的ななんやかんやも実益関連の部分だけ真剣に考えてそれ以外の意識高い系的な要素を取り入れる必要はほぼ無い。

とにかくクソどものクソな発言は基本的に考えを始めるきっかけぐらいにすぎず、自分の中の幻想や虚構に影響を与えさせてそいつの実益を一緒に追わされるのは避けるべきだ。知性改善論には逆に自分の実益を大衆に追わせるのが目的で幸せだと語っている部分はあったが、確かにそれができるならベストに近いかもしれない。まあ少なくとも相手のポジショントークにのまれるのは無益だ。

話を広げていくがこれは発言に限ったことでは無い。行動もそうなのだ、偽善という言葉もあるように素晴らしい行いや勤勉で献身的な振る舞いをしていたとしてもそれはそいつがそいつの実益を追っていると自然とそうなったわけで、鬱の人間の自己否定からくる自己犠牲や他人の世界観にのまれていることとは訳が違うのだ。実益を明らかに追えていて楽しめている人間に関しては行動を過大評価するべきでは無い。そういった恵まれた人間に偏った価値観が現代の課題点だと私は深く感じている。

真面目な人間を評価したり不真面目な人間を見下したりするのも、真面目な人間に都合がいいからだ。真面目な人間が嫌われる場所もありそこには逆側の勢力が多いという話である。

次にプラットフォーム自体が無益な場所についても少し触れるが、ネットは実益を先にロックオンしてから利用しないと基本的に無益だ。ネットサーフィンのようにXやショート動画を流れているのはただ時間を溶かす行為に近い。ゲーム等もそうだ。もちろんこれ以外にも大量に同じような行為は存在していて、一見まともな選択肢に見えても無益な時間の過ごし方をしている場合は多い。もちろん逆にそれ自体が目的で実益を得ていると言える場合もあったりする。

それについても以前書いたが、とにかく人は皆自分の実益を追っているわけで、そこから影響を受けるのであれば言葉や表向きの御託に惑わされずにそいつが実益を追った上でそれをしているという事実に目を向けつつ、自分の実益にしっかりと繋がるかどうかで判断するべきだという話だった。基本のキすぎるが私は行動段階ではこの程度もできていない。

終わり。

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