実益を生み出す択を選ぶ
前に別の記事でも書いたが、人生は実益を生み出すためだけにあるという話の続き。どういった選択肢を選ぶ場合であっても実益に繋がるかどうか、そこが無益か金脈かはその基準がある人間であれば簡単に判断がつく。明らかに無益な行動であってもほんのちょっとした工夫や捉え方一つで簡単に実益に繋がるし、その逆にどれだけそれっぽい理由をつけて行動をしたとしてもちょっとサボると完全に無益な時間を過ごすことになったりする。
世の中は相当つまらないので、基本的に人間が実際に行っている行動というのはレベルが低いし見てくれが悪い。人の文句や悪口を言ったり見下したり、クソつまらないことで優劣をつけて本気で勝者と敗者を虚構したりして暮らしている。もちろん被害者側にいる奴もいて、つまらないことを言われてそれを真に受ける、つまり相手が虚構したことを盲目に信じてそこに入り込んでつまらない敗北と真剣に向き合ったりするわけだ。
ただそんなクソつまらない人生や行動でも、ちょっとした工夫で間違いなく実益に繋げることはできる。もちろんそれをしなければ無益だが。
例えば悪口を言ったりする場合、ただ言うだけなら人にそういう人間だと思われるリスクがある。つまりつまらない人間だとか性格が悪いとか、自分勝手に面白くない人の悪口を言ってきて迷惑をかけてくるコミュニケーションの能力が低い存在として嫌われたりするわけだ。
だがそんな場合でも、悪口を言うことでストレスを解消しているとか我慢することに明確にデメリットがあるとか、悪口で楽しく盛り上がれる自信があるとか相手が馬鹿でちゃんと都合よく真に受けてくれるとか、なんやかんや理由をつけるのは簡単だ。そして実際それにより自分の中の他の悪い選択肢を減らしたり想像通りの場面に繋がる、つまり実益を得れていると信じられるのならそれで良かったりする。基本的に実益とは自分が感じるものであるからだ。誰かに認められる必要など本来はない。もちろん誰かに認められることに実益を見出す人間は多いだろうが。
次に言われる側を考えてみよう、悪口や文句を好き勝手たくさん言われているとする。それを真に受けてただ傷つくなんて余程のMでないかぎり無益以外の何者でもない。もちろんそれを受けて悔しさをバネに自分を見直して成長に繋げたりするなら、それは明確に実益であると言える人間は多いだろう。だがそれをしないなら無益でしかない。相手が虚構した幻想に飲まれているのだ、つまりシンプルに負けている、弱さゆえに。
どんな状況どんな場面でも実益に繋げる、できる限り大きな実益に繋げる、それは別に自分が信じられるならそれ以外は関係ないのだ、まあこう言われてもそれ以外の要素のせいで自分が信じられないなら話は終わりでそれを変えることはできないが。
とにかく他人に与えられたフィールドで他人に仕掛けられた勝負をして、必死に小さすぎる実益を求めて戦っている人間は総じて弱く惨めだという話で、そんなことをしている間に憧れとの距離は開いていくし人生の可能性も死んでいく。どんな状況でも打開策はあるし幸せはあるし金脈は明確に存在する。そこを見れるかどうか、コレは行動段階だとしても思考は無しで無意識にできるレベルの判断だけで達成可能な、重要な生き方のコツであると言えるだろう。
他人の行動に関しても、正しさよりも実益重視の評価基準で生きていった方が現代的な幸せや人生全体としての満足度、自分自身との健全な付き合いや運命との向き合い方、どれをとっても最善に近いだろうというのは言うまでもない。
終わり。
