強さと弱さ、考えの基礎、自らの鍛え方

こんにちは🌞
今回は根本的な考え方の紹介。

強さと弱さについて
土台を固めて構造を強化する
実益が全て
小手先は無駄すぎるから自分で構築する

まず強さと弱さは実益を得ているかどうかという一点で測るべきだ。実益を得ているのであれば強いし勝っている。実益を得ていないのであれば弱いし負けている。一見勝っているように見えても、それよりも前の段階で負けている場合も多い。そして一見負けているように見えても、肝心なところ(自分にとっての実益)で勝っている場合もある。

できないと思わされたら負けで弱い、より効率よく実益を得れたらそれは強くなっているということだ。実益を得るために払う代償を減らすとか実益の量を増やすとか効率を上げていく。

負けと思って勝っていることはないが、勝っていると思って負けていることはよくある。ここに注意しながら人生で得る実益を増やしていくことが成長であり自己強化と言える。

この大前提を踏まえた上で、土台を固めて構造を強化するというスタイルをおすすめしたい。まあおすすめというかこれ以外ほぼあり得ないのだが、以前紹介した通り我々というのはセルフ1とセルフ2という意識無意識に分けられる存在である。その上でセルフ1(顕在意識的な方の自分)はどこへでも移動することができるという話を以前書いた。だが優秀且つ重要なのはセルフ2(無意識)であり、それこそが自分の実益に近い存在で、そちらをセルフ1がサポートする形が理想とされている(インナーゲームでは)。

私もこの考え方に賛成であり、自分という土台に居座り続けてそこで改善点を探すのが唯一の道だと考える。それ以外の時間は無益だ。実益を得ているかどうかという一点のみが常に判断基準となり、人生とは自分の実益の比較や予想を絶えずし続け、創造し続けることに近い。

小手先というのは今の自分には明確に実益が見えていないのにも関わらず、他人のセリフや相手の売り文句に騙されて実益に繋がるかもしれないという希望的観測から行動に移してしまうことを言っている。

しんどいとか楽しいとか疲れたかどうかとかは実益と関係がない訳ではないが、細分化された判断基準であり視野が最適化されていない証拠となる。しんどいからやめるのではなく、やめることで実益が最大化されるからやめるという基準を持つ。

この基準を明確にするためには、セルフ1がセルフ2に居座り続けてサポートに徹することが必要である。土台が必要であり、さらに無意識的な癖でセルフ1をどこかへ飛ばしたり、セルフ2がセルフ1に嘘をついて適当に理由を構築させたり、セルフ1とセルフ2の信頼関係が構築できていないと、でっちあげで一時的に自分に嘘をついてセルフ2の実益よりもセルフ1の都合で実益かどうか判断出来るように付加価値をつけた結果、現実とずれて自己否定の原因になったりする。

よくある出来事ではあるが、これは本当に無益で無駄な場合が多いので気をつけるべきである。

とにかく雑な判断とは自己防衛の道具であり、未熟な者の成長の手段でありそしてエンタメでもあるのだ。野蛮な人間たちは雑な判断で虚構された幻想の中を生きている場合が多く、そのまま死んでいく人間も多いと考えられる。本気で虚構できているなら悪くないが、私の望む生き方とは程遠い。

結局ほとんどの人間が諦めて虚構に甘んじているのだ。ある意味遠慮しているとも言えるし、世界の中ではなく自分の幻想の中を生きている。こういったタイプの実像は、単純な流れに弱すぎる軸のない人間でしかなく限りなく自然現象に近い。

まあそもそも人間自体が現象ではあるのだが、その中でも軸が全くないという話で、土台が固まっていないためあらゆる刺激に釣られ簡単に揺れ動きセルフ2の成長が運任せになった結果としてほぼ本来の運命に収束する形になる。

同じく運命的な流れであったとしても当人の得る実益の総量を考えればセルフ2に執着してサポートする形が最も理想的なのはいうまでもない。

他人にも自分の目標を追わせるのが幸せであるというような人間が現段階でこの世界を動かす側にいる可能性が高く、それに気づき仕掛けられた勝負に勝ち自分自身に目を向けて、現実逃避としての自己からのセルフ1(意識)の離脱には十分に注意するべきだ。

時間感覚が短くなり時の流れが早く感じる時は注意であり、それは先に時間の使い方を決めてから後悔無く向き合いたい部分である。無意識的な部分をサポートする形で意識を使う際は瞑想時のように時の流れが明らかに遅く感じられるものだ。これは重要なヒントになり得る。

自分にとっての実益は何かを知ることも同じく重要であり、ほとんどの場合実益は今この瞬間及び流れの外やはるか先に存在している。

言葉にとらわれず、楽しむ自分を映像でイメージしてみたりするとセルフ2の声が聞こえてくる。セルフ1が得意なのは湧き出てきた言葉を使っての短期記憶上での連想ゲームやストーリー構築的な意味づけであり、映像化を図るとそれは無意識から湧き出てくる段階のモノであってセルフ2側の生成物であるから、この映像を裁判なく、再現するためのサポートをしていくのが具体的な一つの方法として存在する。

まあ同じことを書き続ける形になりそうなのでこの辺りでやめておく。物足りなさは否めないが。

終わり。

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