焼き鳥になった私。がんサバイバーの私。
ケアマネ試験の話ですが。
落ちました。
私は受かったとたかを括り、自己採点もしませんでした。
「思っていたより簡単だったな」と。
合格発表の日。
自分の番号が、ない。
――ん?
ケアマネ試験は点数が通知されません。
私は照会に行きました。
結果は、一点足りませんでした。
結果は、一点足りませんでした。
……一点。
この、わずか一メモリの差が、私の傲慢な翼を焼き落とす『メラゾーマ(極大消滅呪文)』になりました。
ダイの大冒険でいうと、ガルダンディーがポップを『たかが魔法使いの小僧』と舐めてかかり、指先一つでひねり潰せると確信していた、あの瞬間の顔。
私の脳内には、合格通知が見えていた。
でも現実に降ってきたのは、不合格という名の熱線でした。
一瞬、思考が停止しました。
だって私は、合格発表までの日々を『受かった後の実務研修費用、6万円をどう工面するか』という悩みに費やしていたからです。
『6万かぁ……。市から少し補助が出るとしてメルカリで何を売ろうかな。夫か私の結婚指輪か‥。メルカリで2万稼ぐとしてあとどうしようか。』
脳内の私は、すでにケアマネとして職場の皆から相談される想像をしていました。
まさに、空の上から人間を獲物として見下ろし、優雅に旋回していたガルダンディー。
ところが現実は、6万円を工面する心配以前に、試験会場の入り口で門前払い。
6万円の心配をして胃を痛めていたあの時間は、いったい何だったのか。
竜の背中から真っ逆さまに叩き落とされ、地面に激突してこんがり焼けた私の口から漏れたのは、勝どきではなく『……一点、だと?』という、三下特有の情けない呟きだけでした。
クロコダインみたいに、格好良くありたかった。
でも私は、クロコダインではなかった。
ガルダンディーでした。

竜騎衆という時点で本来は相当な強敵のはずなのだが相手を見下しポップを舐めてかかった結果、冷静さを失い焼き鳥にされる。人間を完全に「空から見下ろす獲物」としか見ていない。まさに舐めプの真髄。
敵の実力を見誤り、自分の慢心に足をすくわれる。
後日、後輩の男の子に聞かれました。
「試験、どうでした?」
私はこう答えました。
「あぁ、M君‥私、クロコダインになりたかったけど、ガルダンディーだったみたい。」
すると彼は首をかしげて、
「ガルダンディーって、誰でしたっけ?」
――ダイ大が好きなはずなのに、通じないくらいのモブキャラ。三下。雑魚。
ポップのメラゾーマ一発でこんがり焼き鳥にされた男。
恥ずかしい。
自分で書いていて、さらに絶望的な事実に気づいてしまった。 ガルダンディーは、相棒のルードをポップに殺されたからこそ逆上し、冷静さを失ったのだ。彼には、狂うだけの「理由」があった。
でも私には、ルードはいない。
ただ、iQOSを吸いながら『ま、余裕でしょ』と言っていた自分自身が、最強の敵だっただけ。
つまり私は、ガルダンディー以下。
ドラゴンに跨る資格すらない、ただの『歩く焼き鳥』
合格発表日は、私の誕生日でした。
『神様、最高の演出をありがとう。』
本気でそう思っていました。誕生日に合格通知を受け取り、それを肴にいつものハイボールじゃなくてちょい高い酒を飲む。
6万円の研修費なんて、自分への誕生日プレゼントだと思えば‥
でも現実は、神様からのサプライズ・プレゼントではなく、全力の指弾(フィンガー・フレア・ボムズ)。
お祝いのケーキを用意しようとしていた私の手元に残ったのは、ロウソクではなく、煙を吹く自分の黒焦げた翼だけ。
『最高の誕生日』が、一瞬で『人類史上、最も自分をぶん殴りたい日』へと塗り替えられました。
誕生日おめでとう、私。
そして11月下旬のこの時期源泉徴収票の記入や確認が始まる。
ここ数年、総務のお局様の体調があまり良くないため看護師分のチェックは私が担っている。
「看護師分だけお願い⭐︎」と簡単に言ってくれるけど病院で一番人数が多い職種は、看護師だ。
大量の源泉徴収票が容赦なく生気を源泉徴収された直後の私に襲いかかる。
試験には落ちたが、仕事からは落ちさせてもらえなかった。
今年も、正直言って勉強は嫌だ。
もう一度あの試験に向き合うのは、気が重い。
それでも、頑張ろうと思う。
自分の夢のために。
ここからはガルダンディーではなく、一人の看護師として真面目な話をしたい。
私の夢は、がん患者さんを「全人的に」支えること。
夫を亡くしてから、私は強く思うようになった。
がん患者さんは、病気や精神的なつらさだけを抱えているわけではない。
治療費の不安。
仕事を続けられるかという恐怖。
外見が変わることで失われていく自己肯定感。
そして、社会から切り離されていく感覚。
だから私は、看護師としての役割に加えて、
FPを取り、アピアランスケアを学んできた。
そして今、ケアマネの資格も取れたら、
視座は、さらに広がるはずである。
私が目指している支援のかたち
• 看護師
身体的・精神的なケア
→ 生命と健康を支える「土台」
• FP
経済的・制度的な支援
→ 生活基盤を守り、治療継続の不安を減らす
• ケアマネ
介護サービス利用の支援
→ 療養生活と社会生活をつなぐ在宅支援
• アピアランスケア
外見と自己肯定感のサポート
→ 社会とのつながりを保ち、QOLを高める
どれか一つでは、足りない。
全部が重なって、ようやく「その人の生活」になる。
正直に言うと、ふと思うことがある。
がん医療はどんどん進歩している。
いつか「治る病気」になる時代が来るのかもしれない。
じゃあ、今私が学んでいることは無駄になるのか。
——多分、そうじゃない。
抗がん剤の進歩などで生存率は伸びた。
そのぶん、「どう生きるか」という問題は、むしろ重くなっている。
働きながら治療する人。
外見の変化に悩む人。
社会とのつながりを失いそうになる人。
病気が治っても、人生の問題は終わらない。
実際、私はがんサバイバーでもある。
「がんです」と告げられたとき。
頭では理解していても、やっぱり一瞬で世界が変わった。
家族に伝えたとき、返ってきたのは
「死ぬの?」という言葉だった。
手術で取りきれるがんだったとしても、
その一言のインパクトは簡単には消えない。
だからやっぱり勉強しようと思う。
焼き鳥のままでは終われない理由がある。
⸻
最近、私は「理想論バトルシリーズ」を書いている。
看護師の働く環境を変えたい、変わってほしいと思っている。
だから時々、ふと考える。
「個人の資格や努力の話をしていて、矛盾していないだろうか」と。
でも、やっぱり思うのだ。
私は、夫をがんで亡くした看護師だ。
その立場だからこそ、見えてしまったものがある。
看護師として病棟に立っていたとき、
私は「患者さん」を見ていた。
けれど夫が患者になったとき、
私は「生活ごと崩れていく人」を見た。
治療だけでは足りない。
説明や優しさだけでも足りない。
制度、経済、外見、仕事、住まい、家族。
それらが絡み合って、人は静かに、確実に追い詰められていく。
現場を変えることと、目の前の一人を支えることは、本当は同じ線の上にある。
看護師の働く環境が変わらなければ、患者さんの人生も守れない。
そして、患者さんの人生を本気で守ろうとすると、制度や環境の限界に必ずぶつかる。
私は今、その両方を見ている。
理想論だと言われてもいい。
それでも私は、声を上げるし、学ぶ。
そこまでするのは看護師の仕事の範疇ではないかもしれないし、定年までどこまでできるかわからない。
夫をがんで亡くしてなおかつがんサバイバーの看護師だからこそ、机上の理想ではなく、生活の中に落とし込める支援を考え続けたい。
矛盾しているように見えるかもしれない。
でも私にとっては、どちらも同じ「看護の延長線上」にある。(まず受かれ、私)
#創作大賞2026#エッセイ部門
いいなと思ったら応援しよう!
温かなサポートをありがとうございます。頂いたお気持ちは、大切にしている保護猫たち🐈⬛🐈の健やかな暮らしと、より深い視点で記事をお届けするための研鑽(書籍・資格取得費用)に充てさせていただきます。皆様の心に届く言葉を磨けるよう、精進いたします。