人生を生き切るということ
「桜も今年で見納めだわ」
ニコニコしながら、静かにS先生は、スタッフの私たちにそう伝えました。
そして、仲の良いKさんと2人で病院の周りの桜のお花見しに出かけました。
その光景を、桜の時期が巡ってくる度に思い出します。
先生は、普通に歩いて笑っていました。
そして本当に、それが最後のお花見になりました。
S先生は、癌でお亡くなりになりました。乳癌でしたが数年後、脳に転移をし、開頭手術もされていました。退院してからも、分娩室に顔を出されました。ある時は、私たちが本当に困った時に呼び出して、鉗子分娩を頼んだこともあります。先生は、「もう力が入らないのよね」と言いながら、それでも足を踏ん張って、Kさんに支えてもらいながら、鉗子を引っ張りました。私たちも、先生を呼んだことが適切だったのか、後から皆んなで反省しました。
そして最後の方は、脳腫瘍のために意識もなくなり、動かすと顔をしかめて痛そうにしていたそれさえもなくなり、痛みも感じなかったようでした。
わたしのように病院で働いていても、産科ではお亡くなりになる自体がほとんど無いので、キャリアが長くても、お亡くなりになる方を見ることは、実はありません。
そんなわたしも、その日の流れで臨終の場に参加させてもらいました。
身近にいる方々が見守る中、皆んなある人を待っていました。
バタバタと走ってくる音と、ドアが開く音がしました。いつもお世話をしていた方が到着して、大きな声で先生に声を掛けました。それと同時に、先生は大きくため息をつくかのように呼吸を一つして、次の息を吸うことはありませんでした。
静寂に包まれる中、一つの命がこの世から去っていき、程なくして、もう終わったのだとみんなの中にも切り替えが起き、そしてバタバタと
葬儀に向けて動き出しました。
まさに、人生を生き切った様を生で見せられました。
わたしも10年以上経過して、今こうやってその時の思いを記録できています。きっと、S先生と何かのご縁ががあったからなのかと思っています。
あの場にいなければ書くことが出来なかったことなのです。
ひと段落したとき一緒にいた同僚が、ふと一言つぶやきました。
「こうやって人が一人亡くなっても、世界は何ごともなかったのように、平常に動いているんですね。不思議です。」
「そうだね、不思議だね。」
わたしも気が抜けたようになりながら答えました。
窓の外を見ると、
白々と日が昇り始め、まちの建物の輪郭がはっきりと見え始めていました。
自転車のブレーキの音や車のエンジンをふかす音、徐々に活動の音が増えてくる時間帯です。
朝一番の慌ただしい状況になる前にスッと旅立たれた様は、みんなに迷惑をかけないようにと配慮されたかのようでした。
その後しばらくして、仲の良いKさんも亡くなりました。
ある日、わたしの夢にお二人が出てきました。わたしのいるところより一段上のテラスのようなところで、一つのテーブルに向かい合うように座っていました。
先生は元気そうに笑っていました。
「あら、先生どうしましたか?」
「わたしも色々忙しいのよ」
と言い、そして一緒にいるKさんは、
鼻に酸素のチューブをつけて、少し苦しそうでした。
生前も、彼女のご病気のために、酸素使っていました。わたしは、まだ苦しいのかなと思って
「呼吸大丈夫ですか?」と聞きました。
「全然大丈夫」と答えてくれました。
わたしは「あれ?お二人とも亡くなったのにどうしたのかな?」と不思議に思いました。どうやらメンタルで色々大変だったスタッフのことを心配しているようでした。
「そうなんですね、分かりました。心配していることを伝えておきますね。」と会話をしたところで、夢は終わりました。
いつもの夢は覚えていないのに不思議ですね。何を会話したのかもよく覚えています。
あれっきりお二人は夢に出てくることはありませんでした。
時代が変わり、病院の中も変わり、最近昔の同僚と会う機会があるので、この話を思い出すことが増えました。
死後に夢に出ても、生き切ったから笑顔でいられるのでしょうね。
人格者でもあったので、思い出しても、
いい先生だったなと思います。
あの時なんでわたしもご臨終の場にいたのか? その意味がよく分かりませんでしたが、この話を書いて見ると、
わたしの人生にとって必要なパーツだったのかもしれないとしみじみ思います。ちょうど13回忌くらいなのかもしれないですね。思い出して欲しい時期なんでしょうか。
そしてもう一人、
こちらは同僚ですが、鬱になり、わたしと夜勤を代わってと言われて、夜勤を代わって働いていたその時間帯に、自ら亡くなった別のKさんもいます。
わたしはやはり忘れられません。
関わった人全てがどうしたら良かったのかな?何かやってあげられなかったのかな。と思っています。
彼女の命日も忘れられずにいます。
忘れられないとは、縁があったのかなと思います。
生き切った人と、途中で亡くなった人。頑張ったなぁと、どうにかならなかったのかなと言う気持ち、同じ人生と言えどもその人を思い出すときに、思い出す印象がちがいます。
本当に辛い時期も、たった1年でも過ぎ去ったら、全然別の状態にいることもあるのです。
早まってはいけない。そう思います。
そして、自分が世の中の役に立たないと思っても、
お線香をあげることが出来て、
ご先祖様への感謝が継続して出来れば、
それだけでも生きている価値がある
と言った人がいます。
わたしもそう思います。
見えなくても存在するご先祖様を信じられる、そして見返りがなくても
感謝のご供養が出来る人は徳がある人だと思います。
先祖へのお線香をあげる行為が、ただやりたいだけだから、やります。
そう思えたら幸せだと思うのです。
みなさんはわたしが宗教じみた人と思うでしょうか。
実は逆なのです。
わたしの実家は姉が新興宗教に入ってしまった家なのです。
その経験から、わたしは氏神様、神社、ご先祖様の供養以外は、何もやらないと決めています。
皆様の思うことの反対なのです。
神社には感謝のみ伝え、御利益の所には行かない。
嫌なことがあっても、まずは正面突破でやってみようと考える。
そういう考えです。
みなさんも、生き切って、あの人頑張ったねと思って欲しくないですか?
わたしは「色々あったけれど、人生頑張って生きましたよ。」
と神様に伝えられたらいいなぁ
と思っています。
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産婦人科に勤めて40年の助産師
清水智子
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