ちはやぶる神代もきかず龍田焼

『ちはやぶる 神代もきかず竜田川 からくれないに水くくるとは 』
在原業平
のっけから和歌で恐縮です。ご存知、泣く子も黙る「在原業平」さんです。今週は百人一首と万葉集に関係する料理・食品を妄想します。

在原業平
なぜ在原業平で泣く子も黙るのかと言えば、まず、業平の父は平城天皇の第一皇子・阿保親王、母は桓武天皇の皇女・伊都内親王です。超良血ですね。さらに六歌仙に数えられるほど和歌が上手い。これは、当時は大きなアドバンテージです。さらにさらに、言い伝えでは類いまれなるイケメンだったそうです。これでは黙るしかないでしょう。

竜田川
冒頭の和歌は、『竜田川の水面を(紅葉が)あざやかな紅色にくくり(しぼり)染めにするなんて、神の時代にも聞いたことがないよベィビー』 という意味です。「神の時代に生きてたんか!」とツッこみたいところですが、業平さんが言うのならしかたありません。
その竜田川は、奈良県の生駒山(標高642m)の東側から南へ流れ、斑鳩町で大和川に合流します。わずか15kmの短い川ですが、紅葉の名所として有名です。

業平さんが感動するだけあって、なかなかの景観です。と言いたいところですが、業平さんが詠んだのは現在の竜田川ではありません。
現在の竜田川は江戸時代に紅葉の名勝地として売り出すために、平群川の一部を「竜田川」と称し観光地化したものです。1889年(明治22年)には奈良県宇陀郡の山間部から6000本の楓が移植されています。
業平さんが詠んだ、平安時代の竜田川は奈良県生駒郡三郷町から東の大阪府側に流れていた大和川の支流だとも、現在の大和川の生駒山から大阪平野に流れ込む一部分だとも言われています。まあしかし、竜田川がどこを流れる川でも、そんなことはまったく気にしないのが料理界です。

龍田焼
現在は「竜田揚げ」が有名ですが、料理としては「龍田焼」が先です。
龍田焼きは、魚鶏肉を酒と醤油で洗い、小麦粉をまぶして焼いたものです。「醤油が染みた小麦粉が焼けると、色が濃くなって紅葉が川面を流れるようだ」というのが、よく言われる命名理由です。

しかし、これは近年に解説されたもので、昔の料理名はそれほど真面目に考えてはいません。そもそも竜田焼や竜田揚げは、料理屋では和食の組み立ての中に入るような正統派の料理ではありません。 したがって、命名にも胡散臭さが付きまといます。誰が名付けたのかも不明ですが、おそらく関西の料理人でしょう。

だいたいそんなもんです
実際のところは、竜田焼(揚げ)を他の名前で呼ぼうとすると、醤油焼きとか、醤油つけ焼き・付け揚げ程度の名称しか浮かびません。甚だパッとしないのです。そこで思いついたのが「紅葉」だったのでしょう。「紅葉の色でよくネェ?」、「それいいね👍️」となったのでしょう。
ただ、そこで「紅葉焼(揚げ)」にするほど素直な人達ではなかったようで、一ひねりして紅葉の名所から拝借して、いや、業平のネームバリューを期待して「龍田」と名付けたのだと思います。
ちなみに、現在は新字体の「竜田川」ですが、昔は旧字体の「龍田川」だったので、料理名は「龍田焼」です。

鯛が食べたいねん!
「ちはやふる…」は百人一首ですが、万葉集には次のような一首があります。
醤酢に 蒜搗きかてて鯛願ふ 我れにな見えそ 水葱の羹
長忌寸意吉麻呂
これを現代大阪弁に訳してみると、
醤と酢を混ぜて、すりつぶした蒜を入れたヤツで鯛を食べたいねん! 水葱のスープなんかいらんから見せんといてえな!
なんかキレ気味ですね。作者は長忌寸意吉麻呂さんです。どこまでが姓で、どこからが名かよく分かりません。

醤と蒜
醤は今の醤油の原型で、「モロミ」のようなものです。平安時代の醤は米・麦・大豆で作る穀醤、小魚で作る魚醤、獣肉で作る肉醤、野菜(野草)で作る草醤がありました。長忌寸意吉麻呂さんが言う醤は、おそらく穀醤だと思われます。
蒜は葱やノビル等のことで、「大蒜」はニンニクです。水葱は水葵という植物で、水辺に生息しています。
「酢醤油に葱で鯛を食べたい」と言うのですから長忌寸意吉麻呂さんは中々の食通です。どこまでが姓なのかは分かりませんが。
あまりにも食欲に忠実な歌だなと思って調べてみると、長忌寸意吉麻呂さんは宴席で即興で歌を作る名人だったそうです。この歌を詠んだときは「酢、醤、蒜、鯛、水葱を詠める歌」というお題だったので、「ととのいました!」と、この歌を詠んだそうです。どこから名なのかは分かりませんが。
それにしても、お題の出し方が下手なんじゃないかと思いますし、万葉集にこの歌でよかったのか? と言えば失礼でしょうか?

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