忘れられない私が、「忘れる」について考えてみた
「一晩寝たら忘れる」の正体
悔しいこと、思い通りにいかないこと。それでも私たちは、それを飲み込みながら前を向くしかないのかもしれません。
新日本プロレスの鷹木信悟選手が、こんな言葉を口にしていました。
「どんなことがあっても一晩寝て起きたら忘れる。」
この言葉を聞いたとき、私は昔、同じようなことを言っていた人のことを思い出しました。
「私は一晩寝たら忘れる。」
「嫌なことがあっても、無理やりにでもポジティブに考える。」
その人はよくそう口にしていました。
深くネガティブに考えてしまう私にとって、その人は本当に眩しい存在でした。自分にはないものを持っていて、新鮮で、輝いて見えたのです。
一緒にいる時間は楽しくて、大切にしたい縁だと思っていました。
今は紆余曲折あって疎遠になってしまいましたが、出会いも思い出も、私にとっては今でも宝物です。
どこかで元気に幸せにいてもらいたいと願うばかりです。

本当に「忘れる」ことなどできるのか
ただ、ふと疑問が浮かびます。
「本当に、一晩寝たら忘れられるものなのだろうか。」
もしその理論が成立するなら、鷹木選手は過去の負け試合を覚えていないことになります。
あの人も、私との関係を"なかったこと"にしているのだろうか──そんな考えがよぎります。

そこで、自分なりに考えてみました。
彼らは「忘れる」のではなく、嫌なことをポジティブに変換する力を持っているのではないか、と思うのです。
そのスキルを、わかりやすく伝えるために「一晩寝たら忘れる」という表現にしているだけなのかもしれません。
これはあくまで私の仮説ですが、そう考えると妙に納得がいきますし、確かに魅力的な生き方だと思います。
一方で、私にとって「忘れる」という言葉は、とても悲しく残酷な響きを持っています。
いままでのことをキャンセルして、無かったことにする──そんな否定のような痛みを感じてしまうからです。
ここで思い出すのが、サン=テグジュペリの『星の王子さま』です。
大人は大切なことを忘れてしまう、と彼は静かに警鐘を鳴らしました。
数字や肩書きばかりを追いかけて、子どもの頃に持っていた純粋さや、心の奥で光っていた“何か”を見失ってしまう。
そしてキツネは王子さまにこう伝えます。
「友だちを忘れてしまうのは悲しいことだ。ぼくは、きみを忘れない。」
その言葉は、忘れることの痛みと、忘れないことの尊さをそっと教えてくれます。
だからこそ私は思うのです。
忘れることが前に進むための術になる人もいれば、忘れないことで自分を保つ人もいる。
どちらが正しいという話ではなく、それぞれの生き方があっていいのだと。
けれど、前に進むために必要な「忘れる」もあるのだと、最近は少しずつ理解できるようになりました。
小さな変化

そして、私自身にも変化がありました。
嫌なことや否定されたように感じる出来事があったとき、
「ここは自分のいる場所ではないのかもしれない」
「この人は、自分が付き合うべき相手ではないのかもしれない」
そう考えられるようになったのです。
以前の私は、自責の念ばかりが先に立ち、深く落ち込むことが多かったように思います。
けれど今もその傾向はありますが、なるべくそれを減らして少しだけ自分を守る方向へ思考が動くようになりました。
これは小さくても確かな一歩だと感じています。
深く考えすぎる性質が、こうした気づきをもたらしてくれたのかもしれません。
世の中の出来事は、良し悪しが表裏一体で存在していて、そのどちらも抱えながら私たちは生きているのだと思います。
これからも、自分なりのペースで、そんな物事と向き合っていけたらと思います。

