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杉山神社

今回は『杉山神社』へ参拝してきました。

杉山神社は東京都稲城市平尾に鎮座されます神社です。

鳥居の前に杉山神社の説明が記されていました。

「鶴見川流域に72社ある杉山神社のうちの1社であり、最も上流地域にあたると思われる神社である。」と記されています。

鶴見川というのは、東京都と神奈川県を流れる一級河川で、東京都町田市上小山田町の泉を源流として神奈川県横浜市鶴見区の河口から東京湾へ流れているそうです。

横浜方面を中心に多くの杉山神社が存在するんですね。

御神体は延徳4年(1492年)の懸仏(かけぼとけ)でしたが、江戸時代末に失われたそうです。

懸仏(かけぼとけ)というのは、神仏習合の思想に基づいて制作された鏡板に仏や神の像を刻んだり貼り付けた器物(きぶつ)だそうです。

第1の鳥居から境内へ入ると参道の右側に手水舎があるので、杉山神社は右側通行なのかもしれませんね。

そして真っ直ぐの急勾配の階段を上ります。

そして第2の鳥居の手前に、再び右側に手水舎がありました。

懸仏(かけぼとけ)は江戸時代末に失われてしまいましたが、現在は日本武尊(やまとたけるのみこと)と弟橘姫(おとたちばなひめ)の木像が安置されているそうです。

第2の鳥居から更に急勾配の階段を上ります。

杉山神社の主祭神は日本武尊(やまとたけるのみこと)、配祀(はいし)は弟橘姫命(おとたちばなひめのみこと)、合祀(ごうし)は須佐之男命(すさのおのみこと)、猿田彦命(さるたひこのみこと)です。

日本武尊(やまとたけるのみこと)は『古事記』『日本書紀』に登場する英雄です。

『古事記』では”倭建命(やまとたけるのみこと)”と表記されるそうです。

日本武尊(やまとたけるのみこと)は父である第12代景行天皇(けいこうてんのう)に東国平定を命ぜられます。

兄を殺してしまったり日本武尊(やまとたけるのみこと)は気性の荒い少年でした。

そのため景行天皇(けいこうてんのう)は日本武尊(やまとたけるのみこと)を恐れて遠ざけようと、西国に行って熊曾建(くまそたける)兄弟を討つよう命じました。

日本武尊(やまとたけるのみこと)は熊曾建(くまそたける)兄弟だけではなく、出雲建(いずもたける)も討ち取ったのです。

征伐を終えて都に帰ったのですが、父の景行天皇(けいこうてんのう)はすぐに東方征伐を命じたのです。

父から遠ざけられていると感じながら日本武尊(やまとたけるのみこと)は、草薙剣(くさなぎのつるぎ)を持って、東方の蝦夷(えみし)を討ちに行くのです。

走水の海(浦賀水道)で荒れ狂う海を鎮めるために、妃である弟橘比売命(おとたちばなひめのみこと)が海に命を捧げ、日本武尊(やまとたけるのみこと)は命を救われました。

日本武尊(やまとたけるのみこと)は都へ帰る途中の能煩野(のぼの)で力尽きてしまったそうです。

白鳥となった日本武尊(やまとたけるのみこと)は大和の方角へ飛んでいったそうです。

日本武尊(やまとたけるのみこと)は蝦夷(えみし)を制圧しますが、父親に愛されず遠ざけられても戦った悲劇の英雄でした。

ですがそれは『古事記』の話であり、『日本書紀』では親子関係は良好で信頼されていたそうですね。ホッとします。

今回も無事にお参りに来れました感謝の気持ちを伝えました。

そして配祀神(はいししん)である弟橘姫命(おとたちばなひめのみこと)は、日本武尊(やまとたけるのみこと)の妻です。

夫である日本武尊(やまとたけるのみこと)を助ける為に、海に命を捧げた女神です。

東国平定の途中、相模国(神奈川県)から上総国(千葉県)へ浦賀水道を船で渡ろうとしました。

海は荒れて乗っていた船は前へと進めなくなり、弟橘姫命(おとたちばなひめのみこと)が身を投じて海を鎮めたそうです。

千葉県の富津(ふっつ)市には『布流津(ふるつ)伝説』があるそうです。弟橘姫命(おとたちばなひめのみこと)が海を鎮めてくれたおかげで、日本武尊(やまとたけるのみこと)は無事に上総国へ上陸できたそうです。

日本武尊(やまとたけるのみこと)が上陸した後に弟橘姫命(おとたちばなひめのみこと)の衣の布が富津(ふっつ)の海岸に流れ着いたことから、「布が流れてきた津」→「布流津」→「富津」になったと言われているそうです。

そして無事に帰宅できてブログに記録しています。この感謝の気持ちを伝える為に、またお礼に参ります✨

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