旅に対する気づき
YouTubeで旅動画を見ていたとき、「おしゃれな街を歩いている自分が好き」という一言が差し込まれていて、思わず納得した。
その言葉は、単に景色が好きとか、その街の雰囲気が好きという話ではない。むしろ、その空間にいる自分自身を好きでいられるかという感覚に近いと思う。
行きたい場所や気分が高揚する空間には、たしかに「居たいから居る」という側面がある。
けれど同時に、そこで過ごしている自分の存在が、自分の美意識にかなっているかどうかも大きい。どんなにおしゃれな街でも、そこに存在する自分に違和感があれば、完全には満たされない。逆に、そこにいる自分に納得できるなら、その場所はより強く自分のものになる。
部屋の散らかりが心の状態を映すなどと言われるように、選ぶ空間や場所にも、自分が現れていると思う。
どんな場所を心地よいと感じるか、どんな空間に身を置きたいと思うか、その選択には価値観が表れる。
だから、選択の感覚が近い人とは、どこか共通点があると思う。
空間の好みは、そのまま人となりの一部なのかもしれない。
旅が好きなのも、そういう理由がある気がする。
旅は単に遠くへ行くことではなく、さまざまな外界との接触を通して、自分の在り方を確かめる行為だと思う。見知らぬ街を歩き、普段と違う空気に触れ、その中でどう振る舞うかを意識することで、自分の存在の輪郭が少しずつ見えてくる。旅とは、自分を内省するための装置であり、同時に、自分の存在をデザインし直すための機会でもある。
理想の生き方や理想の自分があるのは、今がその状態ではないからだ。
けれど、そこに向かう姿勢は選べる。どこへ行くか、どんな場所を選ぶか、そこでどう立つか。そうした一つひとつの選択の積み重ねの中で、「自分が好きと言えるか」が試されているように思う。
私は、何者かになりきれていない自分も含めて、その時々の状態や状況の中で「自分が好き」と思える選択をしていきたい。
いつも自分を見ているのは他でもなく自分である。
とは言っても、完璧な自分になることより、その都度自分に納得できる選択をすることのほうが、ずっと大事なのかもしれない。
今日もいい1日
