《エッセイ》晴れた日に
晴れた日に本を読んでいると、「そんなことより外で遊べ」と言ってくる先生がいた。
小学生ながらに「なぜそこまで指図されなければいけないのか?」と反発を覚えた私は、それを無視して読書を続けることの方が多かった。
しかし、今の私は思う。
もっと、外で遊んでおいた方が良かったなぁ、と。
幼少期に手足を動かして伸び伸びと遊んでいれば、今ほど体のかたさに悩まされなかったかもしれないし、視力も今よりはマシだったかもしれない。
もしかしたら、その先生も似たようなことを感じていたからこそ、そんなことを言ったのかもしれない。
こんなふうに、年長者だからこそ見えることや、年長者ならではの後悔から、若者に助言する場面は散見される。
「若いうちに勉強しておきなさい」などが典型例だ。
しかし、若者は耳を貸さない。
当然である。
彼らにとっては「今」がすべてであり、「先」など知ったことではないのだから。
そしてそのうちの何割かは後悔助言型年長者となり、歴史は繰り返される。
では、どうすればこの負のループを断ち切れるのだろうか?
これはもう、年長者が「自分はこういう後悔をしているから、若いうちにぜひこういうことをやっておいた方がいい」と順序だてて説明するしかないと思う。
間違っても説明をすっ飛ばして「若いうちに勉強しておけ」などという言葉だけぶつけてはいけない。
先ほども述べたように若者は基本的に「今」しか見ていないし、そもそも「やれ」と言われると益々やる気を削がれるのは、人類共通の性なのだから。
「私は学生の頃毎日遊びに明け暮れ、単位数ギリギリで卒業した。だから勉強する習慣が抜けてしまったし、社会人になって否応なく勉強しなければならなくなった時、大変な苦労をした。遊びもいいが、せっかく時間があるのだから、興味を持てる講義くらいは聴いた方がいい。勉強に集中できるのは今しかないのだから」と説明すれば、少しは聞く耳を持つ人もいるのではないだろうか。
とはいえ、生きていれば多少の後悔が発生するのは仕方がない。
せめて、これからの人生に生かせればいいと思う。
今の私は晴れた日に、流石に外遊びはしないが、なるべく散歩することを心がけている。
「こんな天気の良い日に家に籠るのは勿体ない」と自発的に外に出た私にとって、日光は優しく、心地良い。
