孫と過ごした北海道四日間 【2/全4回】
その二 「なつぞら」の跡を辿って
テレビドラマをほとんど見ない私が、2019年から翌年にかけて毎朝15分、欠かさず見ていたドラマがある。NHKの連続テレビ小説「なつぞら」だ。
理由は単純で、孫たちが見ていたからだ。孫の家に泊まった折にたまたまつけっぱなしのテレビを見て、そのまま続きが気になり、いつの間にかすっかり引き込まれていた。北海道の酪農家に引き取られた戦災孤児の少女「なつ」が、アニメーターとして成長していく物語だ。舞台の多くが帯広周辺で、今回の旅行先であるトマムとも近い。帯広まで足を延ばしてロケ地を訪ねることが、この旅の隠れたテーマのひとつになっていた。
9月29日(火)、晴れ。
この日の朝、まず雲海を目指すつもりだった。4:25の始発バスで雲海テラスへ上がる計画を立て、朝4時に起きた。しかし気象条件が整わず、ゴンドラは運休。仕方なく2度寝をしていると、しばらくして妻が「雲海、見えてるわよ」と声をかけてきた。

半信半疑で目を向けると、部屋の窓から雲海がはっきりと見渡せる。わざわざテラスまで上がらずとも、ベッドの上に半分横になったままで雲の海を眺められる。熱気球まで上がっている。テラスに行けなかった悔しさと、思いがけない恩恵とが混じって、「まあ、これでいいか」という気分になった。旅というのは、こういう形で帳尻を合わせてくれることがある。
朝食はサウス棟32階のGRILLED・AGI。前夜のうちにフロントで予約を入れておいた。窓の外はスキー場で、今は草が茂っているだけだが、冬にはここが白く染まるわけだ。セットメニューでおかわり自由、ドリンクバー飲み放題。ビュッフェではないから、子供が走り回る心配がなく、落ち着いて食べられる。美味しかった。

朝10時、レンタカーで出発。道東自動車道で帯広へ向かう。
最初の目的地は真鍋庭園だ。コニファーの生産で知られる農園で、「なつぞら」のロケセットが設置されている。入園料は大人1,000円だが、ロケセットを外から眺めるだけなら無料でいい。

11時到着。庭園の入口近くに、木造の馬小屋とアトリエのセットが立っていた。ドラマで「なつ」に絵の楽しさを教えた画家・山田天陽のアトリエだ。

セットの前に立つと、上の孫が急に静かになった。「ここ、テレビで見た」と小声で言う。それだけだ。説明しなくても、わかっている。毎朝一緒に見てきたドラマの舞台が目の前にある、その感覚を、子供なりに受け止めていた。
庭園内のカフェに入ると、撮影で使われた絵画が壁に並んでいた。天陽が「なつ」の演劇のために描いた「ゲルニカ」の模写もある。テレビの画面の中で見ていたものが、今ここに実物としてある。虚構の中の絵が現実の空間に置かれているのだから、これは虚実の二重構造だ。

山田天陽のモデルは、実在の画家・神田日勝だ。北海道の農家を営みながら独学で絵を描き続け、1970年に32歳で亡くなった。代表作「馬(絶筆)」は右半分が未完成のまま残されている。そのコピー画もカフェに飾られていた。農作業の合間にしか絵を描けなかった人が残した仕事を、テレビドラマが現代に甦らせ、ロケ地の農園がさらに次の世代に伝えている。文化というものの、不思議な連鎖だと思う。
続いて柳月本店へ。「なつぞら」でドラマの「雪月」として登場した帯広発祥の菓子メーカーだ。六花亭と並ぶ北海道の二大製菓と言われる。地元に根ざした老舗の店には、観光地の土産物屋とは違う誠実さがある。三方六を買った。
市内から国道38号線を西へ走り、新得町へ向かう途中、芽室町で「ゲートボール発祥の地」という看板を見かけた。こういう「発祥の地」というものは全国に多いが、発祥がどこであれ、その事実を誇る地元の気持ちはそれ自体で温かい。
新得町は「日本一のそばの町」だ。帯広名物の豚丼を食べるつもりだったが、朝食をしっかり食べすぎて腹が減っていない。蕎麦に変更した。

有名店「みなとや」に入ると、トラック運転手と地元の人たちとで賑わっている。観光客向けでない食堂は正直だ。とろろそば950円、なめこおろしそば900円。蕎麦の風味がきちんと立っていて、大満足だった。「普通に美味しい」というのは、実は高い評価だと思っている。奇をてらわず、飽きがこない。そういう味が旅先ではいちばんありがたい。

そばの後、しばた牧場へ向かった。「なつぞら」で「なつ」が渡った木橋が設置されているはずの場所だ。農道をひたすら進んで、グーグルマップを頼りに入り口を見つけた。道標は何もない。

木橋は確かにあった。ドラマでよく見た風景が目の前にある。ただ、周囲には本当に何もない。牧場の真ん中に橋が一本あるだけだ。上の孫は記念写真を撮って満足した様子だったが、下の孫は「なんで橋があるの」と聞いた。「なつぞらに出てくるんだよ」と言うと、「そう」とだけ答えて、また別のものを見始めた。

次は北広牧場へ。「なつ」が育った柴田家のロケセットがあるはずだと向かったのだが、着いてみると、そのセットはすでに狩勝高原へ移転していた。帰宅後に調べてわかったことで、現地では諦めるほかない。知っていれば立ち寄ったのに、と悔やまれた。それにしても、大型トラックがひっきりなしに出入りする巨大な施設が広がる北広牧場は、ドラマの中の温かみある柴田牧場とは全くかけ離れていた。ロケというものは現実の中に別の現実を投影する。その落差が、ここでは露骨だった。
帰り道に狩勝峠展望台に立ち寄った。寄り道の予定ではなかったが、道路沿いに案内板が出ていて、それに従ったら着いた。

これが素晴らしかった。
視界の広さは北海道一、という説明が大げさに聞こえないほどの眺めだ。東大雪山系の山々と、広大な十勝平野が一望のもとに広がっている。東ヌプカウシヌプリ、西ヌプカウシヌプリ、南ペトウトル山、北ペトウトル山。アイヌ語の名をつぶやきながら指を差すと、上の孫が「むずかしい名前だね」と言った。「もともとここに住んでいた人たちの言葉なんだよ」と答えたが、うまく伝わったかどうかわからない。

旅程には入っていなかった場所が、この旅でいちばん印象に残る眺めになった。計画を立てすぎないことで、余白に何かが入り込んでくる余地が生まれる。旅の名言めいたことを言うつもりはないが、狩勝峠がそれを実感させてくれた。
午後3時過ぎにリゾナーレトマムへ戻り、部屋で少し休んでから、4時過ぎのエリア内バスでGAOアウトドアセンターへ向かった。サファリカートツアーだ。

グループ単位でカートに分乗し、ガイドの先導で広大な元ゴルフ場エリアを走り回るアクティビティで、この日は6台が参加した。私たちは一番早く予約していたので列の先頭だ。先頭というのは、未知のものに最初に出会えるという特権がある。
出発してほどなく、キタキツネが現れた。

カートが止まる。ガイドが指さす方向に、キツネが立っている。大きな尻尾が夕暮れの光の中でふさふさと揺れていた。野生のキツネは、こちらを観察するように少し立ち止まってから、ゆっくりと草の中へ消えた。上の孫が「ほんものだ」と言った。動物園でもなく、テレビでもない。「ほんものだ」という一言に、すべてが込められていた。

元ゴルフ場の芝生をカートで疾走しながら、ガイドがヒグマの爪痕を見せてくれた。木の幹に深く刻まれた引っかき傷。爪の幅から「当時2歳、今は5歳くらいの成体になっているはず」という説明に、子供たちがざわついた。「今もいるの?」と下の孫が聞く。「いるよ、山の中に」とガイドが答えると、下の孫は少し身を縮めた。その反応が、なんだか可愛らしかった。

エゾシカを発見した。カートを止めると子供たちが駆け寄ろうとして、シカが一斉に逃げた。白いお尻が揃って跳ねていく。「白いのは仲間に逃げろって知らせるサインなんだ」とガイドが説明する。上の孫が「賢いんだね」と言った。
5時10分頃、日没が近い。ライトをつけてカートで森の中を走ると、また別のシカの群れが現れた。オス1頭にメスが30頭ほど、ハーレムだ。「オスが一番強いから」とガイドが言うと、上の孫がしばらく考えてから「じゃあ弱いオスはどこに行くの」と聞いた。核心をつく質問だ。「一人でさみしくしてる」とガイドが少し笑いながら答えた。

暗くなってからウサギを探して走り回ったが、見つからなかった。別のキタキツネを発見して、子供たちは小さく喜んだ。ツアー終了後、毎年生え替わる雄シカの角を触らせてもらった。下の孫が両手で持ち上げようとして、重くて無理だった。「こんなの頭につけて走るの?」と言うので、「そう」と答えると、しばらく黙って角を見つめていた。

満足度の高いアクティビティだった。今日のハイライトは、帯広のロケ地めぐりではなく、むしろこのサファリカートだったかもしれない。子供たちの顔が一番輝いていたのは、このカートの上だった。
午後7時、夕食はノース棟31階のSORA -天空-。寿司とすき焼きを頼んだ。サシが苦手なのでサーロインではなくランプを選んだが、これが大正解だった。トマムという土地は、肉が美味しい。

部屋に戻って、サッポロビールを飲みながら今日を振り返った。「なつ」が渡った橋、狩勝峠の眺め、夕暮れの中のキタキツネ、シカの群れに問いを立てた孫の声。それぞれが、きちんとした記憶として残っている。
明日は早起きが必要だ。今度こそ、雲海テラスへ上がるつもりでいる。
