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晴れ男、孫を連れて山へ行く―― 蓼科・奥飛騨・宇奈月、三世代五人の四日間

一 出発

十連休などという、聞いただけで膝の力が抜けそうな大型連休が、令和への改元とともに世にあらわれた。日頃、育児に追われている娘が「どこかへ行きたい」と言い出したのは、そういう時節のことである。長い休みというのは、子を持つ親をかえって落ち着かなくさせるものらしい。

そこで老夫婦に娘、それに孫の男児が二人。合わせて五人、三世代の小さな隊列が編成された。年長は五歳、年少は三歳。行き先は孫たちの興味を引きそうなものを中心に、蓼科の別荘を拠点として日帰りで回れる範囲。三泊四日のドライブと相成った。

連休の前半は天候がぐずついていたが、私たちが出発した四日以降、空はからりと晴れ上がった。我ながら晴れ男の面目躍如である。もっとも、晴れ男というのは晴れた日にだけ名乗ればよいので、気楽な肩書きではある。

さて、五月四日。この日は東京に用があったので、国道246号から環状7号を抜け、永福入口から首都高4号線、そして中央道へと乗り継ぐ。石川パーキングエリアに着いた午後6時半、夕方に降ったという激しい雹もあがって、空が赤く焼けていた。年少の孫がその空を指さして「やけてる、やけてる」と言うので、何が、と訊くと、「おそら」と答えた。

別荘というものは予約がいらぬ。いつでも行けるのが第一の効能だが、それ以上にありがたいのは渋滞を避けられる点だ。蓼科に向かうのは、いつも決まって夜と決めている。ゴールデンウィークだろうがお盆だろうが、渋滞に巻き込まれた験しがない。この日も、世のUターンラッシュを横目に、わずか2時間半で到着した。みなが同じ時間に同じ方角へ動こうとするから道が詰まる。少しずらすだけで、夜の高速はがらりと空いている。

二 渓流の岩魚

明けて五月五日、晴れ。

ゆっくり起きて朝食をすませ、蓼科に来たら必ず立ち寄る高林養魚場へ向かう。午前中は、孫たちが何より楽しみにしていた渓流釣りである。連休のさなかとあって、釣り堀はずいぶん混み合っていた。だが、この日は魚の食いつきが悪く、釣果はイワナがわずか3匹。本当は夕飯のおかずにと目論んでいたのだが、これでは2匹足りない。そんな愚痴をおかみさんにこぼしたところ、なんと2匹おまけしてくれた。ハラワタを処理し、塩を振ってもらってテイクアウトである。

年長の孫は、自分の竿で釣れた一匹を「これはぼくの」と言って譲らない。バケツの中の他のイワナと見分けがつくのかと訊くと、「ぜんぶわかる」と胸を張った。あとで塩焼きになって皿に並んだとき、当然ながら、どれが自分のものか見分けはつかなかったらしい。しばらく皿の上をじっと睨んでいた。

続いて向かったのは北八ヶ岳ロープウェイ。昔はピラタス・ロープウェイと呼んでいた。私はここに何度も来たことがある。歩いて登ったことさえある。だが、最後に訪れたのは2003年。気がつけば16年ぶりであった。

乗る前に、オープンテラスで軽食をとって小腹を満たす。全長2,215メートル、高低差466メートル。連休中は10分間隔の運行で、101人乗りの大きなゴンドラだ。クーポンを使って大人1,700円。孫たちには、生まれて初めてのロープウェイである。ぐんぐん高度を上げると、あっという間に山麓駅が遠ざかった。正午発の便はキャビンに余裕があったが、すれ違う下りのゴンドラは満員だった。窓の外には八ヶ岳連峰が美しく連なっている。

坪庭駅に着くと、気温は摂氏6度。下界は初夏だというのに、ここはまだ早春の冷気の中にある。探勝路には残雪があちこちに残っていて、孫たちは雪を握っては投げ、握っては投げしている。年少のほうは、雪を口に入れようとして年長に止められていた。私はそのあいだ、縞枯山の縞枯れた斜面や、靄の向こうの遠い峰を眺めていた。孫は足元の雪を、私は遠い山を見ている。同じ場所に立って、見ているものはずいぶん違う。40分ほど遊んで下りのゴンドラに乗った。

昼食は、蓼科第二牧場へ向かう途中、グーグルマップで見つけた「そば処せんすい」。通りすがりに入った店だが、これが当たりだった。豚のつけ汁そばに、もりそば、もりとろろそば。締めて4,400円。ほぼ満席の賑わいぶりが、味の保証になっていた。

牧場へやって来たのには訳がある。当時放映中だった朝の連続テレビ小説の舞台になった牧場を、孫に見せてやりたかったのだ。ところが肝心の牛が一頭もいない。聞けば、この時期はまだ麓の牛舎にいて、放牧は来月中旬からだという。年長は牧場の柵をしばらく揺すっていたが、牛が出てこないとわかると、「うし、おやすみなんだ」と自分を納得させていた。

そこで、もうひとつの目当て、ソフトクリームへ方針を変える。牛乳専科もうもう。孫はソフトクリーム1個350円、娘は冷たい牛乳の小200円。店の外まで行列ができている。年少は、自分のソフトクリームが溶けて手に垂れてくるのに気を取られ、肝心の上のほうを食べそびれて半分以上を地面に落とした。そして、落ちたソフトクリームをしばらく見下ろしてから、けろりとして兄のぶんをねだりに行った。

子どもたちが格闘しているあいだ、私は100メートルほど先の鳴石遺跡へ足をのばした。カラマツ林の向こうに、岩が二つ並んでいる。古代東山道の祭祀遺跡のひとつで、千数百年も昔、ここで人が何かを祈っていたという。ソフトクリームの行列の、すぐ裏手のことである。

ビーナスラインを蓼科まで戻ると、聖光寺――地元で「トヨタ寺」と呼ばれる――の桜がちょうど満開で、大勢の観光客が押し寄せていた。だが、私たちの目的は道路の向かいにある店、ピーターである。

正式には「ザ・ババリアン・ペーター・タテシナ」というらしいが、本店がレストランピーターなので、我が家では昔から「ピーター」で通している。ドイツ語読みなら「ペーター」でよかろうに、頭に英語の「ザ」が付いているのが、どうにも据わりが悪い。小さな山小屋風のその店で、夕飯のおかずにソーセージを3種類買い求めた。蓼科湖の向こうに八ヶ岳が望めて、なかなかの眺めである。

別荘にいったん戻り、別荘地内の温泉「鹿山の湯」へ。ここも連休中は混むので、まだ明るいうちにひと風呂浴びた。

午後6時前、ようやく別荘に腰を落ち着けた。窓の外のカラマツ林が、夕陽に照らされて金色に輝いている。岩魚の塩焼きとソーセージ、それにサラダ。おかみさんがおまけしてくれた岩魚が、食卓を支えてくれた。年長は結局、皿の上の一匹を「これがぼくの」と決めて、いちばん大きいのを取った。

三 クマと鰻

五月六日、晴れ。

この日は朝8時に蓼科の別荘を出発し、奥飛騨クマ牧場を経て、宇奈月温泉に至る235キロのロングドライブである。

実を言うと、先に予約したのは宇奈月のほうだった。孫たちをトロッコ電車に乗せてやりたい一心で決めた宿だ。問題は、蓼科から宇奈月へ向かう途中に、子どもの興味を引くものがあるかどうか。例によってグーグルマップとにらめっこした末に、奥飛騨クマ牧場を見つけたのである。

高速に乗る前にガソリンを補給し、諏訪インターから中央道へ。長野道に入ると、北アルプスの峰々が姿を現した。松本インターで降り、野麦街道、すなわち国道158号を辿ると、左手に梓湖が見えてきた。奈川渡ダムである。

前川渡で少し寄り道をした。県道84号乗鞍岳線にかかる前川渡大橋からは、梓湖の眺めが見事だ。しばし記念撮影。はるか頭上には、かつて安房峠を越えていた国道158号の旧道が走っている。今は安房トンネルが開通して便利になったが、昔この界隈は難所だった。ワインディングロードを愛する身としては、あの曲がりくねった道が、いささか懐かしい。

蓼科を出て2時間半、奥飛騨クマ牧場に到着した。クーポンを使うと大人990円、小人540円の1割引き。入場料にはエサ代も含まれている。入口ではピエロがバルーンの大道芸をしていて、クマを見る前だというのに、孫たちはまず風船に飛びついた。それから、両手に風船をぶら下げたまま、クマ牧場へと向かうことになる。

ツキノワグマが多数放牧されている。手を叩いて客の注意を引き、エサをねだるクマ。うまくキャッチすれば、たちまち仲間との奪い合いが始まる。一番広い牧場にはかなりの数がいて、これだけのエサ代はさぞ大変だろうと、つい余計な心配をした。一番奥には、ヒグマが一頭。ツキノワグマの3倍はあろうかという巨体で、さすがの貫禄だ。檻越しに眺めるからこそ、可愛いと言っていられる。

エサのカップを渡された年少は、最初の一粒を自分の口に入れてしまった。クマにやるのだと教えると、不服そうな顔をしながらも、二粒目からは投げ始めた。だが、力が足りず、エサはクマまで届かず手前にぽとぽと落ちる。その落ちたエサを、檻の下から器用に手を伸ばして拾うクマがいて、結果として年少のエサは無駄にはならなかった。本人は、自分が名コントロールでクマに届けたつもりでいる。

11時40分、昼食はネットで調べておいた「うな亭」へ。知る人ぞ知る人気店である。小上がりが16席、カウンターが8席ほどの小さな店だ。先代は奥飛騨で鰻の養殖をしていたという。私たちが入った後、客が続々とやって来て、あっという間に満席になった。中丼が1個1,500円。腹を開いて、蒸さずに焼く関西風だ。そういえば、この奥飛騨はフォッサマグナの西にあたる。関東で慣れた蒸しの鰻とは、焼き方からして違う。パリッと香ばしく、たいへん旨い。並丼1,000円、ちらし1,500円、きも吸い200円。締めて6,156円。以前より少し値上がりしたそうだが、それでも安い。

腹を満たし、高原川沿いの奥飛騨湯ノ花街道、国道471号を北へ進む。スーパーカミオカンデで知られる神岡町を抜け、国道41号に合流。1時間あまり走って富山市内に入ると、縦長の信号、道路脇のポール、荒れた路面――いかにも雪国の風景である。富山インターから北陸道へ。砺波平野には、散居村と屋敷林が広がっていた。田植えはもう始まっている。

黒部インターで降り、県道14号を宇奈月方面へ。インターを降りてわずか20分弱、あっけないほど早く、今宵の宿「黒部・宇奈月温泉 やまのは」に着いた。

まだ午後2時半だというのに、チェックインに応じてくれる。フロントは大混雑で、人気のほどがうかがえた。部屋は別館・飛鳥のデラックス和洋室、川側の最上階。セミダブルベッドが2台に、琉球畳8畳大の和室。三世代5人にはぴったりだ。この年の3月にリニューアルオープンしたばかりで、設備は最新、当然ながら清潔そのもの。文句のつけようがない設えに、娘は大感激であった。

子どもたちが川遊びを楽しみにしていたので、空模様は怪しかったが、さっそく川原へ降りることにした。急な階段を下りていくと、目の前をタヌキが横切った。慌ててカメラを構えたが、間に合わない。孫たちは「たぬき、たぬき」とそのあとも繰り返していたから、川より何より、タヌキが一番の収穫だったのかもしれない。

川原へ降りる人はあまりいないらしく、通路は未整備だった。最後の2メートルほどの崖を下りるとき、妻が転んで、危うく石に頭を打ちそうになった。幸い腰の打撲ですんだが、ひやりとした。当の子どもたちは、そんな騒ぎなどお構いなしに川へ入っていく。水は相当冷たいらしく、足を入れるたびに悲鳴をあげながら、それでも先へ先へと進んでいく。40分ほどして雨が降ってきたところで退散した。帰りは、あの急な階段を今度は登るわけである。

夕食は午後6時から、バイキングレストラン「Seeds」で。連休最終日とあって、260席ほぼ満席の賑わい。子どもたちにはカニが大人気で、幼児連れにはこういうバイキングがありがたい。なかでも白海老の天ぷらが絶品だった。私はビールのあと地酒を別注し、子どもの相手は妻と娘にまかせて、ゆっくりやらせてもらった。年少は、皿に取った料理にほとんど手をつけず、デザートコーナーのゼリーだけを三度も取りに行っていた。

四 トロッコと水平歩道

五月七日、晴れ。

いよいよこの旅のメインイベント、黒部峡谷のトロッコ電車に乗る日だ。とはいえ、終点・欅平までは片道1時間18分。幼児には長すぎるので、一番手前の黒薙駅までの往復にとどめることにした。

朝は私ひとり先に起きて、ひと風呂浴びたあと、ホテルの中を探索した。ロビーのコーヒーは自由に飲める。昔ながらのスタンドバーや琺瑯看板、卓球道場にカラオケルーム。サイン色紙の代わりに、著名人の絵付け皿がずらりと陳列されていて、なかには池田満寿夫や粟津潔の作品まである。

ロビーの一角に、古い木の管が展示してあった。宇奈月温泉の引湯木管である。源泉は黒部川上流の黒薙にあり、大正のころ、赤松をくり抜いたこの木管で湯を引いていたという。法学をかじった者なら、この温泉地の名を聞いてニヤリとするだろう。あの有名な判例の舞台である。説明はこのくらいでよい。知っている者はもう思い出しているし、知らぬ者は調べればよい。

朝食を昨夜と同じ「Seeds」のバイキングですませ、9時過ぎにチェックアウト。車で黒部峡谷鉄道の宇奈月駅へ向かった。ところが、駅前の有料駐車場が1回900円と割高ときている。そこで子どもたちを先に降ろし、私だけ車をホテルの駐車場まで戻した。改めて徒歩で宇奈月駅へ。距離にして450メートル、徒歩6分。900円を節約するための6分の散歩だが、年寄りの足腰には、ちょうどよい運動でもある。

トロッコ広場では、レトロな凸型電気機関車の前で記念撮影。このトロッコ電車、もともとは黒部川の電源開発のための資材運搬鉄道であった。今でも所有者は関西電力で、沿線の水力発電所の保守に欠かせない、現役の路線である。

10時03分発、欅平行き。改札が始まると、年長は駅員の改札鋏の音に夢中になった。カチン、カチンと小気味よく鳴るあの音である。乗り込んでからも、窓の外の峡谷より、さっきの鋏のことばかり口にしていた。せっかくの絶景も、五歳には改札鋏に負けるのだ。

全車両が開放型の普通客車。沿線案内は、富山県出身の女優・室井滋さんのナレーションで、わかりやすく聞きやすい。峡谷を見下ろしながら、電車はぐんぐん山奥へ分け入っていく。途中には、サルのための吊り橋「猿橋」があった。人間がサルのために橋を架けてやるというのも、なかなか律儀な話である。あちこちに送電線が目立つのは、黒部川水系にいくつものダムと発電所があり、その電力が主に関西方面へ送られているからだ。

新緑のトンネルを抜けて、黒薙駅に到着した。私たち以外にも数人が下車する。隣の車両に乗っていた白人男性の二人組も、ここで降りた。あの熱心な様子からして、おそらく鉄道好きであろう。

電車は私たちを残して、さらに奥へと消えていった。子どもたちは、十分にトロッコを堪能したようだ。

実を言えば、私自身は、この先の道を誰よりもよく知っている。今から40年前、立山に登ったあと、黒部ダムから2日間かけて、黒部峡谷の下廊下から水平歩道を踏破したことがあるのだ。当時の切符には、生命の保障はしない、という趣旨の注意書きが添えられていた。その注意書きを握りしめて、若かった私は断崖の道を歩いた。

そして今、その同じ峡谷の入口で、孫の手を引いて、トロッコの座席に座っている。あの断崖の細道と、この快適な座席とが、同じ一本の峡谷でつながっている。

黒薙は源泉のある場所で、急な坂を20分ほど登れば大露天風呂があるという。だが、こちらは老人と幼児の一行である。賢明にもパスした。9分後、帰りの電車がやって来た。これは復路の一番電車で、どんなに急いでも、これより早く戻る術はない。新山彦橋を渡れば、終点の宇奈月駅はもう間近だ。

駅に着くと、今度は徒歩で散策路を歩いた。これが思いのほか変化に富んだ道で、子どもたちは大はしゃぎだ。山彦橋の上を駆けまわり、旧路線の長いトンネルや冬期歩道を通り、宇奈月ダム展望台へ。走るトロッコに手を振ると、向こうからも応えてくれる。黒部川支流の弥太蔵谷に架かる吊り橋は、年長が「ゆれる、ゆれる」と言いながら、わざと足を踏み鳴らして揺らしていた。トロッコに乗ること自体より、この前後の散策のほうを、子どもたちは面白がっていたようだった。

午前11時50分、宿を後にして、いよいよ宇都宮の娘宅までの394キロを、運転を交代しながら一気に走る。北陸道からは立山連峰と日本海が見えた。妙高サービスエリアでトイレ休憩をとると、連休が終わったばかりの構内は、人も車も嘘のように閑散としていた。横川サービスエリアでは、夕飯用に定番の峠の釜めしを買い求めた。旅の終わりに釜めし、というのは、もはや我が家の習いである。その後、北関東自動車道などを乗り継いで、午後6時前には無事、宇都宮の娘宅に帰着した。

後日、年長の孫が、黒部峡谷のトロッコを工作した箱庭を作ったという話を聞いた。残雪も、峡谷も、トロッコ電車も、五歳の手にかかれば、段ボールとクレヨンの小さな箱の中におさまる。聞けば、駅員の改札鋏まで再現してあったというから、やはりあれが一番の収穫だったのだ。

岩魚をおまけしてくれたおかみさん、手前に落ちたエサ、改札鋏の音、そして40年前の断崖。私が覚えているものと、孫が覚えているものは、たぶん違う。それでいい。同じ四日間を歩いて、めいめい別のものを持ち帰る。旅の土産とは、そういうものらしい。

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