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【中山道 加納宿】長良川うかいミュージアム【御鮨街道・東海道】

名高い浮世絵シリーズの「中山道六十九次」でも描かれているように、古から鵜飼は長良川の伝統行事であり、原風景であり、風物詩・観光名物であった。
(少なくとも7世紀には鵜飼が行われていたことが書物で確認できるそうだ。)

ちなみに鵜飼とは、鵜(水鳥)を巧みに操って川にいる魚を獲る漁法のことである。


「(中山道六十九次)河渡/渓斎英泉(けいさいえいせん)」


長良川の鵜飼(うかい)について知るために、長良川うかいミュージアムにやって来た。

長良川うかいミュージアム

すぐ裏には(鵜飼が行われる)長良川、そして金華山である。
金華山の山頂には織田信長が築いた岐阜城の天守閣がある。
(【補足】現在の岐阜城(天守閣)は復元)

金華山の向こう側には岐阜駅があり、岐阜市の市街地である。
金華山にはロープウェイで山頂にいけるようで、山頂から市街地を見下ろす夜景が大変素晴らしいようだ。
その市街地の基になったのが江戸時代に中山道唯一の城下町の宿場町であった加納宿である。
(岐阜城は江戸時代には廃城となっていたので、すぐ近くに加納城があり、その城下町としても加納宿は大変栄えていたらしい。)

「(中山道六十九次)加納/歌川(安藤)広重」

ちなみに(京都からみて)先ほどの河渡宿の次の宿場町が加納宿でもある。


ミュージアムのすぐ裏には長良川と金華山

長良川の鵜飼は、古から様々な権力者や偉人に愛されてきたらしい。
江戸時代には尾張藩が全面的に取り仕切り、発酵・調理された鮎寿司(ナレズシ)を将軍に献上していたそうだ。

将軍に献上する鮎寿司(ナレズシ)は発酵・調理が終わると、加納宿からそのまま南下し、名古屋※へ渡る。
(※御鮨街道(別名:鮎鮨街道)である。)
そしてそのまま宮(熱田神宮)から東海道を進み、江戸へ運ばれたそうだ。

そのまま中山道で江戸へいかずに、宮(熱田神宮)から東海道を進むのか・・

尾張藩が全面的に取り仕切っているので、名古屋を経由する必要性があったのかもしれない。



ありがとう
長良川うかいミュージアム

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