資格勉強は、誰かの善意の上で成り立っている
資格勉強って、自分の努力だけで成り立っていると思いがちだけど、最近になってそれは少し違う気がして来た。
もちろん勉強するのは自分だし、机に向かうのも自分だ。
努力のメインは、当たり前だけど自分になるはずです。
でも、その勉強時間って本当に「自分だけ」で作っているんだろうかと、ふと考えることがある。
自分の場合、行政書士の勉強をしていた期間は一年以上ほぼ資格中心の生活でした。
大学生なのに、彼女とゆっくりデートする時間はほとんど作れなかった。
たまに、ご飯行くくらいでした💦
当時は「今は仕方ない」と思っていたけど、今振り返ると彼女はかなり我慢してくれていたんじゃないかと思う。
「勉強あるなら大丈夫だよ。」など、勉強優先の生活で大丈夫的なことを言ってくれていたけど、本当はもっと一緒に出かけたりしたかったのかもしれない。
バイトも同じでした。
試験前になると、シフトを減らしたり調整してもらったりしていた。
ただでさえ人が集まらなくて、人が足りない状況だったのに…。
あの時は「ありがたいな」くらいにしか思っていなかったけど、あれも当たり前じゃなかったと今となっては思います。
お店側からしたら、人が足りないから出てくれないと困る可能性だってあるわけだから。
こうやって振り返ると、自分の勉強時間って実は完全に自分のものではなかった気がする。
・誰かが少し我慢してくれていたり
・誰かが少し配慮してくれていたり
そういう小さな善意の上に乗っていた時間だったんじゃないかと思います。
資格勉強って、つい「どれだけ努力したか」の話になりがちだと思う。
例えば、
・何時間勉強した
・これだけ参考書解いた
とかの話をしたことが無いだろうか?
もちろん努力は大事だし、それを否定するつもりは全くない。
でも、その努力を続けられる環境は、本当に自分一人で作れているのかと言われたら、たぶん違う。
・もし彼女が「勉強ばっかりでつまらない」と怒っていたら。
・もしバイト先が「シフト減らされたら困る」と言っていたら。
その時の勉強生活は、きっと続けられなかったと思うし、もしかしたら合格できていなかったかもしれない。
そう考えると、
資格勉強って意外と誰かの善意の上で成り立っているものなのかもしれない。
だからこそ、資格に受かった時に「頑張ってよかった。」と思うだけじゃなくて、少しだけ周りに感謝できる人でいたいなと思う。
努力は確かに自分のものだ。
でも、その努力を続けられる環境は、自分一人では作れないことも多い。
そういうことを、忘れないでいたい…。
