見出し画像

「私の孤独な日曜日」を読んで考えた私の孤独な日曜日


日曜日の朝、いつもの癖で6時前に目が覚める。
最近、長く眠ることができない。
昔は普通に10時間ぐらい眠れたのに。

ベッドの中で変な欲が出て
「せっかくの日曜日。今日は部活もゆっくりでお弁当もないんだから寝てやる。まだ寝てやる」
と、無理やり目を閉じる。

眠っているのか。
夢を見てるのか。
薄目で空間を見ていたのか。

ぼんやり寝室の壁が見えてくる。
すごい腕を捻ってスマホを手元に引き寄せて時間を確認。さっきより40分ぐらい進んでいた。

もういいや。
自分の変な欲との戦いもなんだかなぁと
思って起き上がる。

ベッドの周りに置かれた私の積読たち。
現在読んでる本と他、違うジャンルの本を何冊かピックアップしてリビングに行く。



今日は雨だ。
どんより暗い部屋。
どんよりしてる部屋の空気を変えたくて、
急いで窓を開ける。

雨の匂いとベランダの植物の匂いが混じって、
湿気と共に部屋に入ってくる。



今日の息子の部活はお弁当がいらないし、いつもよりスタートがゆっくりで息子はまだ眠ってる。
若いから、いくらでも眠れるだろう。

趣味で音楽のイベントをやってる旦那は、昨日は友達の店でフライヤーの仕上がり確認後、
新宿のクラブへ。
「仲間が回してるから顔出す」と言っていたので、まだ帰って来ない。
朝7時。
でも、これも我が家では普通。

たぶんもう少ししたら、
ベロベロに酔っ払った旦那が、
なんでそんなに音が出ることがあるんだ!とばかりにガチャガチャと玄関に入って来るだろう。



最近暑くなってきたから、健康のために飲んでいた白湯がしんどくなってきた。
冷たい水を流し込みたい。
キリッとした冷えたお水を飲みたい。

食道を冷たいものが流れて、体の内側が潤ってシャキッとする感覚。

でも寝起きには気温に関係なく白湯がいい
と「ていねいな暮らし」の本にはよく書いてある。
「内臓は冷やさない方が健康にいいので〜なんちゃらかんちゃら。」

私は丁寧な暮らしの本や雑誌、YouTubeを定期的に見て、憧れてはケッと毒づいてる。
心底憧れてると同時に、
「こんなこと出来るかい!」と心の中で罵倒する。

それなら見なければいいのに、
やっぱり見てしまう。
いつか‥私も!と、憧れているのだ。



ケトルにお湯を沸かしかけたが、やっぱり白湯より冷たい水を心が求めてる。
自分の心に素直に従おう。
これだって丁寧な暮らしの1つだ。

最近よく言われてるでしょ。
『自分を大切に扱う』
ほんと。大事な事だよ。

冷蔵庫から強炭酸のペットボトルを、プシュッと音を立てながら開けて、ぐびぐび飲む。

(もう水でもなくなっている‥)

ピリピリと食道に冷たい炭酸が流れ込んでいく。
私の内臓、いまビックリしてるんだろうなぁと思いながら、満足して自分を潤す。

こんな湿気の多い日に朝から白湯なんか飲めるか!と思いながら、窓の外の雨を眺める。



今日はなにしよ。

そんなことが頭をよぎったとき、息子が芸術的な寝癖を完成させて起きてくる。
「おはよう。朝ごはん作るね」と言って、いつも通りの朝が始まった。



少し経つと、すごい音を立てながら旦那が千鳥足を超えてもつれ足で玄関に入ってくる。
「おかえりー大丈夫?手洗って、もう寝室で寝てね。リビングに来ないで」
と、早口で釘を刺す。

リビングに来てソファに座ったら終わり。
そのまま寝てしまい、起こすのが大変だから。



これはもう、お昼過ぎまでは絶対に起きてこないなと思いながら、息子に朝食を出す。
今日の部活は大会のお手伝いなので、いつもより少しゆっくりに家を出る。

行ってらっしゃい。



体にプログラムを組み込まれたロボットのように、家事を進めていく。

めんどくさいな。
後でやるか。
もう少ししたらやるか。
休みだし、のんびりするか。

そんな風に思ってソファに座ったら、もうダラダラしてしまい後で後悔するのが目に見えてるので、心を無にして家事を進めていく。



一通り終えて、また窓の外へ目をやる。
シトシト。シトシト。静かに雨は降り続けてる。

さて、今日はなにしよ。



リビングで一通りの家事を終えたあと、急に手持ち無沙汰になる。
やることはある。読みかけの本も、途中の文章も。
でも、どこか手が伸びない。

このまま一人で静かに過ごすのがいいのか、
それとも誰かとお茶でもして笑い声を聞いて過ごすのがいいのか。

わからない。



誰かと話したい気もするし、でも「おいでよ」って言われたらきっと「うーん、今日はいいや」ってなる気もしてる。

ああ、なんだろうこの気持ち。

ちょっと寂しい。
けど、誰かと過ごしたいわけじゃない。
それも正直めんどくさいと思ったりする。

でも寂しい。

ただのわがままか‥?



ソファに横になり、とりあえず
読みかけの本を読み始める。
読みながら、頭の片隅でこの寂しさについて
考え始める。



大人の『寂しさ』は扱いづらい。
どんどん複雑化していく。

こうして紐解く前によくわからなくなって
塞ぎがちになってしまうのだろうか、
そんな不安が頭をよぎる。



誰かと一緒にいて寂しさがなくなるほど、大人の寂しさは単純ではないから。
悩ましい。

でも、本当は寂しさというより
誰かが“私を気にかけている”と感じられたら、
それで十分なのかもしれない。



一緒にいなくても、
インスタやTikTokとかじゃなくて
“繋がってる”という確認を時々、
声や個人的なLINEの文字でちょっと、
チラッとでいいから感じられたら。

それで満足なのかもしれない。

“繋がってる”という確認が常に必要なわけじゃないけど、
それが必要なコンディションの時が
大人にだってあるのだ。



そんなことを、本を読みながら、
考えてると睡魔が襲ってくる。

外はシトシト雨の音。
窓からは雨の匂いとベランダの植物の匂い。

ウトウト‥さらに強い睡魔が襲ってくる。



2歳児の子育て奮闘中の親友からLINEが届く。
PTAの作業で、画用紙に花火を書く作業を任されたらしい。

「ねー。これ花火に見える?」

それはとてもきれいに描けてる花火だった。



“繋がってる”確認ができて、
なんだか心が柔らかくなって、
そのまま深い眠りについた。



#読書感想文#エッセイ#私の孤独な日曜日#月と文社

いいなと思ったら応援しよう!