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夢を見つけたのに、進めない私の話


やっと見つけたんだよ。
初めて「これだ!」って、心がぐわんと動いた。

それが「書く」ということ。
いつか、「書く」を仕事にしたいと思ってる。

やっと見つけたんだよ。
ずっとずっと探してきて、やっと。

でも最近、ふと思う。
それって本当に“夢”なのかな。
ただ、「夢を見つけた自分」
「やりたいことを持ってる自分」
「やっと見つけた」っていう自分に、
執着してるだけなんじゃないかって。

だって、思うように書けない。
いや、書いてる。
スマホのメモ機能に。
LINEのメモに。
ジャーナリングのアプリに。
いつも持ち歩いてるロルバーンのノートに。
ボイスメモにも。

でも、それをうまくまとめて
noteに載せられない。

「毎日書けてる?」と聞かれたら、答えに詰まる。
書きたいとは思ってる。毎日、ずっと。
朝起きた瞬間から、「今日は書けるかな」と思ってる。

今こうして書いてることも、
昨日の夜中にふっと目が覚めたときに思い浮かんだ。
ずっと心と頭をふわふわ漂ってたものが、
急にギュッと形になった気がして、
目を閉じる瞬間に思った。
「あぁ、これだ。これを書きたい。明日これを書こう」って。

大人になってから、こんなふうに
「やりたい!」って心が震えるものに出会ったのは初めてだった。
それが「書く」ということだった。

そして、できることなら、それを仕事にしたい。
収入にしたい。人生の一部にしたい。

文章を読むたびにワクワクして、
「んー!さすが!」と唸ったり、
「ほーほー!そういう表現か!」と感動したり。
コツコツ自分と向き合う中で、
言葉にならなかった想いが言葉になった瞬間の、
あの、生ぬるくてどこか重たい気持ちが
冷たい水で一気に流されるような、あの爽快感。

やりたいことが見つかると、
こんなにも心って楽しくなるんだ。
こんな年齢になって、初めて知った。

「夢は?」「やりたいことは?」
その問いにいつも答えられなかった私が、
「あるんです、やりたいこと!」と
やっと言えるようになった。

ずっと探しても見つからなくて、
そのうち思ったんだ。
この世界には、夢を持って叶えられる人と、
夢を持てない人の二つのグループがあって、
私は後者なんだって。

私は、あっち側の人間じゃない。
しょうがないよね。しょうがないよ。
そうやって納得してきた。

でも、やっと見つけた。
私のやりたいことを。

なのに、noteが進まない。

夢って、やりたいことって、
寝る暇も惜しんでやれるものでしょ?
どんなに疲れてても自然とやってしまうものが、
本当に「やりたいこと」なんでしょ?

じゃあ、私はどうなの?
ただ考えてるだけで、
実際には動いてない。
それって本当にやりたいことなの?

──最近、そんな声が聞こえる。
日々、その声はどんどん大きくなっていく。

私ね、誰かにうなずいてほしいんだ。
「そうだね、あなたの夢は“書く人”になることなんだね」って。
「そこにいていいんだよ」
「そこを目指していいんだよ」って。
「その夢、持っててもいいんだよ」って。

手放したくないんだ。
やっと見つけたから。
夢を、やりたいことを。

でも、これってただの「夢がある自分」への執着なんじゃない?
夢を持てない側だと思ってた私が、
やっとこっち側に来れた気がして、
それを失いたくないだけなんじゃない?

ふと、辞書をパラパラとめくってみた。

『欲』──欲しがること。むさぼり求めること。
またはその気持ち。
『執着』──ある物事に強く心ひかれること。
心がとらわれて、思いきれないこと。

私はその言葉を、じーっと、ぼーっと、ながめた。

やっぱり、これは“執着”なんじゃない?
いや、欲でしょ。
どう考えても、欲だよ。

……そう考えてたとき、
頭にひとつの映像が浮かんだ。

「書く」という、キラキラした箱を大事に
胸に抱えながら
はしごを登っていく私。

その下から、「そんなのただの執着だよ!」と
いじわるを言って足をつかんでくる人がいる。

それは──間違いなく、私だった。

私は聞こえないふりをして、
「書く」という箱をギュッと抱きしめて、
落とさないように
はしごを登り続ける。

次、また足をつかまれたら
顔面を蹴り飛ばそうと思う。

私の欲を守れるのは、私だけだ。


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