打ちのめされるようなすごい本 『The Goldfinch』 Donna Tartt
Donna Tartt, The Goldfinch (Abacus, 2014)
一昨年、ドナ・タートの『The Goldfinch』を英語で読みながら、へえ面白いなあと思った箇所などを Threads にそのつど書いていたので、ちょっと時系列に編集してみた。読み終えての感想は一番最後のポスト(3月26日条)にあります。だらだら長いのでお急ぎの方はそちらをどうぞ。当時のAIの呼称などがある意味懐かしい。
2024年1月15日
たとえば今読んでるDonna Tartt の『The Goldfinch』。主人公の少年がニューヨークのヴィレッジの工房で、いろんな修復中の骨董家具を興味深く見回す場面。 椅子やソファーや時計や鏡なんかと一緒に Highboys なんて見知らぬ単語が出てくる。「ハイボーイ」と呼ばれる家具だということは当然わかるのだけど、具体的にどんなものかなあ、と知りたくなるので、Bard や ChatGPT に聞くと、直ちに教えてくれる。するともちろんほんのわずかな時間とはいえ、読書が中断されることになるので、そういう時間が積み重なって、読むのが遅くなる。まあ、神は細部に宿り給うわけだから、そういうところをおろそかにしない読書こそが読書の楽しみと言えないこともないが、読書の醍醐味は一気呵成のスピードにもあるので、このあたりの矛盾が外国語の本を読むときのもどかしさに繋がる。ちなみに highboy というのはこういうやつね。

2024年1月24日
『The Goldfinch』ストーリーもめちゃくちゃ面白いんだけど(今三分の一を過ぎたあたり)細部がとにかく凝っていて、例えば今日は、ラスベガスのバカラのディーラーが Diego Rivera みたいな奴というところで躓いて、ディエゴって誰だよと調べ始めると、ここからどんどん脱線していって、当然フリーダ・カーロのことを調べ始めて、するとメキシコ亡命時代のレオン・トロツキーとの不倫?問題なんてのに突き当たって・・・・もう脱線が止まらないので、読書が一向に進まないのだった。
2024年2月4日
巧妙な骨董商の手口。 いささか問題のある骨董を疵を隠してコレクターに売りつける。コレクターも目が利くので、入手した後で疵に気付いてクレームを言ってくる。そこで骨董商は、「確かにこれは疵と言ってもいいですね。わかりました、それでもこれが本物であることは確かですので、お売りした代金に10パーセント乗せて買い戻しさせてください」と言う。誠実な商売人のふり。大抵のコレクターは、まあ、いいよ、持っておくことにする、という形で決着がつく。 でもシビアな客は「そりゃそうだよ、こんなん売ってもらっては困る」と言って10パーセント上乗せの返金を受け取る。 骨董商の負け——?さにあらず。
シビアな客——大抵は目利きの上客あるいは著名人——が気がつかないのは、彼らが一旦保有した以上、その骨董には彼らから骨董商が買い取った(実際には買い戻しただけなんだけれど)履歴がなんらかの公式の書類(例えば領収書とか)として残ることなんだよな。例えば、もしその客が、ジョン・レノンだったと想像して見たら、どうなるかは素人にもわかる。 骨董商売おそるべし。(笑)
2024年2月17日
The old Caveat Emptor rule
買主危険負担の原則。the buyer beware rule.テレビのお宝鑑定団見ていると、結構な人がネットオークションで、骨董品にお金を費やしていることにびつくりする。番組的には、とんでもない掘り出し物を幸運にも手に入れたパターンと、自信満々で数百万円と言い切った美術品が数千円と鑑定されて大恥かくパターンの二つがあるが、気のせいか前者の比率が意外に多い。その際に、解説としてネットオークションは相続した親族の骨董品の処分に困って、その価値を知らない人が出品することもあるからだ、と言う。たしかにそういうこともあるだろうが、むしろ、テレビや業界が、いたずらに射倖心を煽ってるんじゃないかなぁ、と疑っている。騙された素人を、あははは、と笑えるのは、買主危険負担の原則を我々が当然のことと心得ているからだろうなぁ。 ちなみにCaveat Emptor とラテン語なのは、これがローマ時代から使われてきたルールだから。
考えてみたら、もうひとつパターンがあるな。 ホンモノとして出品されて百数万円で買ったやつがやはり数百万円相当だった、あるいは「出品した奴、知らねーんだ、しめしめと」掘り出し物のつもりで数千円で落札したのが、やはり数千円だった——どっちも適正価格で売買されたパターン。これは「案外、ネットオークションも健全じゃん」と思わせるように仕組んでいるのかもしれないなぁ。どっちにしてもテレビの言うこと全部ウソと思った方がいい。
2024年2月19日
to set up wedding registry at Tiffany‘s (P.506)という箇所で、ちょっと躓いた。ティファニーで婚姻届出す?もう一度読んで、いや、ここはたぶんリングとセットで役所に持って行ける「ティファニーの婚姻届」を誂えるという意味だな、とわかった。ティファニーってそんなサービスもしてるのか、とググッたら、日本の店でもやってるんだな。知らんかった。
さらに調べたら、役所に置いてある届出書じゃなくて、オリジナルの婚姻届で出したいというニーズが思いの外多いんだな。びっくりした。婚姻届も映えんといかんのか。なるほど。
2024年2月24日
“Meanypants!”
she shouted down the stairwell when—three a.m., three sheets to the wind on rum and Coke—I finally staggered down to catch a cab because I had to work the next day.
主人公のテオとキティが恋人になった頃の二人の関係をうまく表している箇所。 three sheets to the wind on rum and Coke というイディオムは、酔っぱらいの意味だけど、キティが父親譲りの操船の腕前を持っているという設定があるので、よく効いているな。 ただし、午前3時と、3を掛けたところはなかなか上手く訳せないだろうなぁ。
2024年2月26日
the sense of impasto という言葉で躓く。美術、とくに油絵をやってる人にはお馴染みなのかも知れないが、私は何のことかわからなかった。絵画において、絵具を厚く盛り上げて描かれた部分の質感や立体感を指す言葉、「盛り上げ技法」「厚塗り」。
2024年2月26日
‘Planting’ was a racket whereby fakes or inferior antiques were placed in private homes—often homes belonging to the elderly—to be sold to vultures clustering at the deathbed: bottom feeders so eager to rip off the old lady in the oxygen tent that they didn’t realize they were being ripped off themselves.
臨終間近い富豪の年寄りの家に偽物の骨董などを仕込んでおいて、破格の値段で掘り出し物を買い取れると踏んで集まる業界底辺のハゲタカどもを逆に騙す手口。落語でも「猫の皿」があるが、骨董業界は奥が深い。自称目利きの素人が一番騙しやすいのは、どの業界も同じではある。いや、「猫の皿」はむしろ本物の目利きを騙す爽快感か。
2024年3月7日
スタントン・マクドナルド・ライトという画家の名前が出てきてどんな人かいなとググってみたら、なんとSS・ヴァン・ダインの弟だった。へえ。
2024年3月12日
lava-lampという言葉でつまずいた。「溶岩ランプ」?黒いゴツゴツした溶岩の中に電球を仕込んでいるランプを思い浮かべた。実際はこういうのでした。

2024年3月17日
Boris had repeatedly and with some urgency advised me to do, I stopped for a fifth of vodka...(p.646)
ここのa fifth of vodkaでつまずいた。テオがアムステルダムに飛ぶ空港の場面。いくらんなでも5本目のウォッカを買うわけはない。酒飲みなら常識なんだろうが、a fifth of vodka は「ウォッカ1本」の意味。知らんかった。

2024年3月19日
Running my fingertip incredulously around the edges of the board, like Doubting Thomas across the palm of Christ. As any furniture dealer knew, or for that matter St. Thomas: it was harder to deceive the sense of touch than sight... Tartt, Donna. The Goldfinch(p.672)
アンティーク家具のディーラーでもある主人公が、取り戻した「絵」を指で確かめている場面。クリスチャンならすぐにわかるのだろうが、わたしはそうではないので「疑いのトマス」(ヨハネ福音書20章24節)を知らなかった。
2024年3月24日
a broad, fair, middle aged woman, pillowy at the bosom and impersonally genial like a procuress in a second rate genre painting. (p.709).
procuress という単語でつまずいた。なにかを調達する女、という意味はわかるのだが、「その類の二級品の油絵」に描かれている女のイメージが浮かんでこない。フェルメールの牛乳を注ぐ女を思い浮かべたがちょっと違うかなと、Geminiに聞いたら、回答を拒まれた。(かれは性的な事柄や薬物に関わる表現だと時々わざとわからないふりをするのはご承知の通り)Claudeの方に聞いたら遊郭の仲介をする女である旨、教えてくれた。なるほど、とググってみたところ、二級品どころか、フェルメールその人の作品にThe Procuressというのがあることを初めて知った。無知だなあ、ワシ。「取り持ち女」なるほど。こういうの↓

2024年3月25日
“Well—let’s put it another way. Who was it said that coincidence was just God’s way of remaining anonymous?”
“Now you really sound like my dad.”
“Who’s to say that gamblers don’t really understand it better than anyone else? Isn’t everything worthwhile a gamble? Can’t good come around sometimes through some strange back doors?”
(P.758)
いよいよラスト15ページのあたり。この痺れるような会話。主人公の父親はスポーツ賭博の取り立てに怯えておそらくは自殺したという背景。 偶然とはいえ、例の通訳氏がギャンブル依存症になったのは、ある意味では神の奇跡のような選手のそばにいたせいかもしれない。
2024年3月25日
I think of something I read about Sargent: how, in portraiture, Sargent always looked for the animal in the sitter (a tendency that, once I knew to look for it, I saw everywhere in his work: in the long foxy noses and pointed ears of Sargent’s heiresses, in his rabbit-toothed intellectuals and leonine captains of industry, his plump owl-faced children). (p.766)
ジョン・シンガー・サージェントという画家自体を知らなかったが、ググるとその膨大な数の肖像画が表示されて圧倒される。まさに私の好みの絵。
インターネットで、たとえば上記のような非営利の美術館がその収蔵品を高精細なイメージで公開していることは素晴らしいことだと思うが、同時にいくら8K映像で、肉眼では見えないようなブラシのタッチや木炭のかすれ具合をデジタル化したところで、画家その人が手で書いた物理的な作品そのものこそがオリジナルであり、デジタル化したものはあくまでコピーに過ぎない。金銭的な価値を言い募ることは下品かもしれないが、アートを所有することにはやはり何か決定的に重い意味があるのだと思う。 だから——とここで話が飛んでしまうが、音楽はどうなのか。録音された音源ではなく、コンサート・ホールに足を運んで、実際に耳で聴いた演奏の音だけがオリジナルだという考え方をするとオリジナルは一瞬一瞬でこの宇宙から消えてゆくことになる。それでいいのだ、という考え方もある。モーツァルト本人の演奏を我々が聴くことはもはや永遠に叶わない。

2024年3月26日
たまたま今はAIが自由自在に使える時代だったからよかった。なにしろ登場人物が、フランス語、ドイツ語、ポーランド語、ロシア語、ウクライナ語、ラテン語、アラビア語、果てはマレー語までそのまま喋ったり書いたりするのであります。もちろん英語の発音で写した表記で、例えばキリル語や漢字がそのまま出てくる訳ではない。また英語圏の読者だって必ずしもそれを読める必要はないのだが(なんとなく文脈で意味は推理できるから)きちんと翻訳出来るに越したことはない。それに主人公が言及する古典から現代までの小説や詩や、映画、音楽、演劇、建築、骨董品、そして何より絵画について知らないことが(まあ私が無知なだけだが)次から次に出てきて、それらを面白がってググっていたから、いっこうに読書がはかどりゃしねえ。(笑)それでも、これはとんでもない作品であることは確かでありまして、米原万里の言葉でいうと間違いなく「打ちのめされるようなすごい本」でありました。ただし、スラスラ読めるとは言えないし、人生にもはやあまり期待することのない(私のような)人にしか薦められない。
